感動は物語を生み、人は共鳴する。
【対談連載】2022年総集編 人には物語がある。
構成・文/奥田喜久男
週刊BCN 2022年12月19・26日付 vol.1950掲載
心に響く人生の匠たち
「千人回峰」というタイトルは、比叡山の峰々を千日かけて駆け巡り、悟りを開く天台宗の荒行「千日回峰」から拝借したものです。千人の方々とお会いして、その哲学・行動の深淵に触れたいと願い、この連載を続けています。
「人ありて我あり」は、私の座右の銘です。人は夢と希望がある限り、前に進むことができると考えています。中学生の頃から私を捕らえて放さないテーマ「人とはなんぞや」を掲げながら「千人回峰」に臨み、千通りの「人とはなんぞや」がみえたとき、「人ありて我あり」の「人」が私のなかでさらに昇華されるのではないか、と考えています。
「千人回峰」というタイトルは、比叡山の峰々を千日かけて駆け巡り、悟りを開く天台宗の荒行「千日回峰」から拝借したものです。千人の方々とお会いして、その哲学・行動の深淵に触れたいと願い、この連載を続けています。
「人ありて我あり」は、私の座右の銘です。人は夢と希望がある限り、前に進むことができると考えています。中学生の頃から私を捕らえて放さないテーマ「人とはなんぞや」を掲げながら「千人回峰」に臨み、千通りの「人とはなんぞや」がみえたとき、「人ありて我あり」の「人」が私のなかでさらに昇華されるのではないか、と考えています。
奥田喜久男(週刊BCN 創刊編集長)
感動は物語を生み、人は共鳴する。
そして、さまざまな示唆を得る。
今年も物語を紡げただろうか。
人生を織りなす縦糸、横糸。
一本一本紡げただろうか。
“千人”の回峰は“千”の物語を生む。
そして、さまざまな示唆を得る。
今年も物語を紡げただろうか。
人生を織りなす縦糸、横糸。
一本一本紡げただろうか。
“千人”の回峰は“千”の物語を生む。
【注】登場していただいた方々の肩書きは取材当時のものです。
297人目
逆風の中、父が創り上げた事業を再構築し新たな価値を提供する
『週刊BCN』vol.1905(1/3) 『週刊BCN』vol.1906(1/10)
298人目
ハードウェアが旅館からホテルに変わっても おもてなしの心は変わらない
『週刊BCN』vol.1907(1/17) 『週刊BCN』vol.1908(1/24)
299人目
ひきこもりの人たちの“細かさ”は強みであり武器となる
『週刊BCN』vol.1909(1/31) 『週刊BCN』vol.1910(2/7・14)
300人目
“価値”も“悲しみ”も生み出す 経営の正体を解明したい
『週刊BCN』vol.1911(2/21) 『週刊BCN』vol.1912(2/28)
301人目
民事再生を経験して切に願ったのは 「嫌いでもいいから、どうか信用してほしい」
『週刊BCN』vol.1913(3/7) 『週刊BCN』vol.1914(3/14)
302人目
お姐さんや周りに教えられ 芸の美しさを引き立ててもらう
『週刊BCN』vol.1915(3/21) 『週刊BCN』vol.1916(3/28)
303人目
20代で山に魅了され、傘寿の今 水彩とペンでその魅力を伝え続ける――第303回
『週刊BCN』vol.1917(4/4) 『週刊BCN』vol.1918(4/11)
304人目
人類に最もインパクトを与えられる仕事として AI開発の道を選びとる
『週刊BCN』vol.1919(4/18) 『週刊BCN』vol.1920(4/25)
305人目
AI技術をパートナーとして 人類の感覚器官に、自由を取り戻す
『週刊BCN』vol.1921(5/ 2・9) 『週刊BCN』vol.1922(5/16)
306人目
幼い日々のモノづくり体験が 最先端の通信・ネットワーク研究につながる
『週刊BCN』vol.1923(5/23) 『週刊BCN』vol.1924(5/30)
307人目
“変化を自分の手でつくってみたい”という起業への思い
『週刊BCN』vol.1925(6/6) 『週刊BCN』vol.1926(6/13)
308人目
音楽がなくても人は生きていける。 しかし音楽がない世界は心を疲弊させる
『週刊BCN』vol.1927(6/20) 『週刊BCN』vol.1928(6/27)
309人目
人にとって大切なのは 誰も盗めない内面の美しさを磨くこと
『週刊BCN』vol.1929(7/4)
『週刊BCN』vol.1930(7/11) 『週刊BCN』vol.1931(7/18)
310人目
本土伝来から100年 空手の本質は勝つことではなく身を護ること
『週刊BCN』vol.1932(7/25) 『週刊BCN』vol.1933(8/1)
311人目
現地の人たちの目線で考え 人を育て、組織をつくる
『週刊BCN』vol.1934(8/8・15) 『週刊BCN』vol.1935(8/22)
312人目
貴志川線のルーツは参宮線 自分の代で廃線にさせるわけにはいかない
『週刊BCN』vol.1936(8/29) 『週刊BCN』vol.1937(9/5)
313人目
美味しいお弁当を用意することも プロデューサーの大切な仕事です
『週刊BCN』vol.1938(9/12) 『週刊BCN』vol.1939(9/19・26)
314人目
一人の学生の変化から始まった 「ベンチャー起業論」
『週刊BCN』vol.1940(10/3) 『週刊BCN』vol.1941(10/10)
315人目
誰が見ても感動するほど 美しい山をつくりたい
『週刊BCN』vol.1942(10/17) 『週刊BCN』vol.1943(10/24)
316人目
コロナ禍によるピンチを 新たな事業のスプリングボードに
『週刊BCN』vol.1944(10/31) 『週刊BCN』vol.1945(11/7)
317人目
はじまりは 自分の好きな「きれいな音」を探すことだった
『週刊BCN』vol.1946(11/14・21) 『週刊BCN』vol.1947(11/28)
318人目
常に成長市場に身を置き 海外に強い会社をつくる
『週刊BCN』vol.1948(12/5) 『週刊BCN』vol.1949(12/12)
番外編 こぼれ話
このコロナ禍も3年になる。不自由だと感じる生活にも慣れてきて、今では常態化し、地球上のすべての人が新しい生活スタイルを強いられることとなった。私は今でも忘れがちだが、マスクも衣装の一つになった。マスクにも好みが出てきて、機能的にも日常用のマスク、運動用のマスク、オシャレ着用のマスクなどなど……。私の好みはユニ・チャームの「超快適」だ。これまでは白色一辺倒だったが、来年は“ガラ物”に挑戦してみよう。2022年は、『千人回峰』で22人の方々にお会いした。紙面で皆さんのお顔を見ながら、当日の対談シーンを回想している。どんな場所であったか。視覚、聴覚。供していただいたコーヒーの味と匂い。対面した場に感じた空気感。五感を総動員してお話を聞いた、あの日と同様の気分に浸りながら今、『番外編こぼれ話』を綴っている。こんな至福の時
はない。だって、原稿を書き上げる2時間の間に、22の物語を味わえるのだ。牛のように反芻しながら、皆さんの“人となり”から学ぶべきものを体感しているのだから。
07年1月に開始した『千人回峰』は、今年で318人目の登場となった。少し、この先を見てみよう。1000から318を引くと、残り682。それを1年分の22で割ると、31年になる。現在の私の年齢に足すと、105歳となる。「う~ん」と唸りながら、「まだ存命中の人は結構いるはずだよね」と自分を納得させてはみるものの、半信半疑だ。この話題を編集ク
ルーに振ってみたところ、ライターの小林茂樹さんは「ボク、生きてませんよ~」。「それは困る」と私。二人でニタリと笑みを交わした。
この納刊号に掲載した皆さんは、対談前にはマスクをしておられて、お互い合意の元にマスクを外して話し始める。そして再びマスクをして、お別れをする。この動作が当たり前になった。このまったく不思議な習慣への変化を余儀なくされた私たちは、生活スタイルも次なる仕組みを模索し始めた。周囲の仲間を見回してみると、早い人は次なる「仕事の仕方」に挑戦している。来年はどんな方々にお会いできるのだろうか。楽しみである。(BCN 奥田喜久男記)