ひたすら先生の真似をすることが 「自分の表現」につながっていった――第317回(下)

千人回峰(対談連載)

2022/11/25 08:00

大萩康司

【対談連載】ギタリスト 大萩康司(下)

構成・文/小林茂樹
撮影/長谷川博一
2022.9.13/東京都中央区のKAJIMOTOにて

週刊BCN 2022年11月28日付 vol.1947掲載

【東京・銀座発】その生い立ちや音楽の話が弾んで一段落し、将来の話に転じると、大萩さんは、ふと「東京藝大にはギター科がないんですよ」と口にした。日本を代表する音大(美大でもあるが)でギターを専攻できないというのはちょっと意外だ。聞けば、海外の音大には必ずギター科があり、国内でも大萩さんが教鞭をとる大阪音大や洗足音大などではクラシックギターを学ぶことができる。「ギターの地位向上を」と言うといささか趣がないが、そんなところにも大萩さんのギター愛が感じられるのだ。
(創刊編集長・奥田喜久男)

「君は音が聞こえていない」という指摘がもたらした大きな成長

奥田 現在、ギタリストとして世界的に活躍されている大萩さんですが、高卒後、パリのエコール・ノルマル音楽院に留学したときはどんな様子でしたか。

大萩 できないタイプの生徒でした。

奥田 できないタイプというのは?

大萩 いま、私は演奏活動だけでなく大学などで教える仕事もしているのですが、教えても改善できないタイプの生徒は、私が教えたことを自分のフィルターを通して解釈し、異なるものに変えてしまいます。これに対して優れた生徒は、教えたことを瞬時にそのまま再現できて、なおかつロボット的ではないんです。このように、教わったことを自分の手の中に入れられる人は伸びますね。

奥田 「手の中に入れる」ですか。素直に先生の真似ができる人のほうがその教えをわがものにでき、上達していくと……。

大萩 そうですね。私が留学したばかりの頃は、先生から指示されたことに対して「先生はこういうことを求めているのだろう」と思って自分なりの表現をしようとしたら、いきなり「君の音はこうだ!」と持っていた鍵束を石の床に叩きつけて大きなノイズを出したのです。その響き渡ったノイズを聞いてゾッとし、これではダメなんだと実感しました。

 「もっと丸くて太い音を出しなさい」と何度も指導されました。そういう音を出すにはどうすればいいかと考え、先輩たちのレッスンを聴講していると、本当に言われたとおり、忠実に音を出しているんです。それを見て、まずは100%、先生に従う時期が必要だということを感じました。

奥田 まさに、物事を習得する段階である「守破離」の「守」に取り組む必要があるということですね。

大萩 もちろん先生の真似をしても、まったく同じ音を出せるわけではありません。でも、壁に突き当たるまで真似をすることによって、どこが違うのかということはわかってきます。そこから「丸くて太い音」とはどういう表現か、自分の考えをつくらなければなりませんが、模倣を重ねてきたこの時点で、自分の中に大まかな表現の骨組みはできています。こうしたプロセスを経て、自分の表現を出したとき、先生は初めて「そうそう、それです」と認めてくれたのです。

奥田 先生が認めてくれるまで、どのくらいの時間がかかりましたか。

大萩 3年近くかかりましたね。「石の上にも3年」と言いますが、まさにそういうことなのだと思います。

奥田 どの世界にも共通するとは思いますが、師との出会いというものは、一流になるための重要なファクターですね。

大萩 留学2年目に、もともと一番行きたかったパリのコンセルヴァトワール(国立高等音楽院)に入学したのですが、そこの先生とはそりが合わず、とうとう授業を休んでしまいました。3回休んだら退学になるため、先生は心配して、出席のサインだけは出しに来なさいと連絡してきました。

奥田 どうして、そりが合わなかったのですか。

大萩 その先生はすぐにほめるタイプで、自分がいいと思わない演奏にも「ブラボー!」と言うのです。それに嫌気がさしたのですね。

奥田 その評価に納得がいかなかったと。

大萩 それに対して、その後師事したイタリア・キジアーナ音楽院のオスカー・ギリア先生は、納得のいかない演奏をすると、瞬時に「ノー!」と言ってくれるんです。そして「君は音が聞こえていない」と指摘されました。

奥田 音が聞こえていない、とは?

大萩 ギターの場合、メロディーだけでなく伴奏のベースラインや和音を一緒に弾くわけですが、当時、たとえば「メロディーしか聞いていない」とか「いまはベースしか聞いていなかったね」と全部当ててしまう先生だったのです。キジアーナ音楽院には4年間通いましたが、1年目は全部聞こえていると思っていたものの、聞いてはいなかったのです。それが少しずつわかってきたのが2年目で、3年目、4年目になってようやく、全部の音を聞き取りながら、それぞれの音を意識して演奏できるようになりました。

オーケストラに参加して知った
一流の音楽家の凄み

奥田 そして、2000年、22歳のときにプロとしてデビューされるわけですが、このときはもうすべての音を意識して演奏できていたわけですね。

大萩 いいえ、デビューしたとはいえ、まだ雰囲気にまかせて演奏したこともありましたし、演奏できているとはいえ、これでいいのかと思うこともありました。イタリア留学を終えた07年頃からそれができるようになったと思います。でも、その後、まだ自分が甘いことを思い知らされます。

奥田 修行が足りないと……。

大萩 15年のセイジ・オザワ松本フェスティバルでサイトウ・キネン・オーケストラに参加させていただいたのですが、ここで私は本当に貴重な体験をしました。このときはベルリオーズのオペラ「ベアトリスとベネディクト」を演奏したのですが、このオーケストラは世界中からえげつないほど上手いメンバーが集まってくるので、私なんか浮いちゃうんですよ。一瞬、おそらく0.1秒ほど遅れたとき、向かいにいるチェロ奏者から怖い目で睨まれたりして、冷や汗をかいたおぼえがあります。

 100人ほどのオーケストラで、その100人がそれぞれの音をすべて聞いているくらいのアンテナを張っているのを目の当たりにして、自分の音だけではなく他の人の音もすべて聞くような意識を持つべきだと思い、また、もっと耳を開かなければならないと思いました。

奥田 それは本当に貴重な体験でしたね。ところで、どんなに才能ある音楽家でも、演奏だけで生計を立てることは難しいと聞きますが……。

大萩 そうですね。私はギタリストになって22年になりますが、幸い演奏で生計を立てています。ただし、演奏だけで生計を立てられるのは国内に10人いるかいないかで、それ以外の人は生徒を集めて教えることで収入を得ています。ただ私は、演奏は生活の手段だけではないと思っているんです。

奥田 と言いますと?

大萩 「演奏したい!」という心の状態を保つことが大事だと気づいたのです。以前「情熱大陸」というドキュメンタリー番組に出た後、急激に仕事量が増え、毎日が演奏会のような状態になりました。そうなると、共演者やスタッフとふれあう時間もなく、自分自身、楽しむことができなくなってしまったのです。そこで意識が変わり、演奏会を行うタイミングや頻度も自分で考えるようになりました。

 そして、16年には所属していたレコード会社との専属契約を解消し、セルフレーベルをつくってフリーになりました。そうすることによって、一緒に演奏したい音楽家と自由に創作活動ができるようにしたのです。

奥田 やりたいことをやるためには、ご自身がリスクを取ることもいとわないということですね。今日はとても興味深いお話を聞くことができました。これからのご活躍も大いに期待しています。

こぼれ話

 今、キース・ジャレットの『ザ・ケルン・コンサート』を聴きながら、この文章を綴っている。今回の『千人回峰』で出会った音楽家は大萩康司さん。話を聞けば聞くほど“音”の世界は深い、と思った。いや、待てよ。以前、プロのカメラマンにインタビューした時には“光”の世界は深い、と思った。う~ん、そういえば刀鍛冶の方との話では、炎と水が織りなす“温度”の世界は深いと思った。こう書き出しながら、“深い”と思うこと自体が深いのだと、思い直し、“深い”ことの深度自体を推し量ることが深いのだ、と考え…、いや待て、この話はここで止めよう。

 大萩さんがギタリストを目指す第一歩は「きれいな音」を探すことだったという。ここでまた、立ち止まってしまう。“きれいな音”とは何か、である。パリにある音楽院で大萩さんに音の神髄を教える立場の先生は、レッスンの途中で突然、キーホルダーの束を石の床に打ち付けた。その瞬間の音は想像できる。不快な音だ。では、きれいな音とは何だ。その好みは人さまざまのはずだ。しかし、音を聞き分ける訓練を受けた人は、音の違い、深さを感覚で認識できるのだろう。音を奏でる演奏家でなくても、オーディオの音を聞き分けられるマニアにも、音のプロはいる。いやはや、面倒臭いことから書き始めてしまった。

 ここで、イヤな音について綴ってみよう。ガラスが擦れるあの「キーッ」音。想像しただけで寒気がする。深夜に爆音で走り抜けるエンジン音。これは「ムカッ」とする。食事の時に口から漏れる咀嚼音と、麺をすする音。この類いの音に関してはお国柄の食文化ともいえる。最近、私はすする音を立てないで蕎麦を食べることができるようになった。かつて、落語家が腕を上下に動かして、少し身体をゆすりながら、美味そうに蕎麦をズズっと食べるシーンに憧れて、真似したことがある。すする音を出すこともできるが、海外に出向くようになってからは、音無しの構えを決め込んでいる。本音をいえば、音無しは美味くない。それでもあの「ズルズル音」にはエッ!?的な思い出がある。この先は中国の方は読み飛ばしてほしい。中国には幾たびも通った。ある朝、温麺をすすっていると、ふと周囲が気になった。私の周辺の人たちは静かに食べておられるのだ。皆さん、中国人である。ここはニューヨークじゃないよね。はっと思い至って別の機会に親しい中国の友人にズルズル音について聞いてみると、すすらないそうだ。中国の食堂で周囲をそれとなく見渡すと、あまり他人のことは気にしていない様子であった。結局のところ、音とは人それぞれの価値観そのものである。あまりこだわらないようにしよう。こだわり始めると“深み”に足を取られそうになる。

 「東京藝術大学にはギター科がない」。大萩さんに聞いて初めて、そうだよねと認識した。では、三味線は学べるのか。邦楽科がある。ギターは他の音大では学べるという。この話題はその分野の専門家の皆さんにお任せするとして、もう少し“音”について綴ってみよう。人には音の好みがある。弦楽器、管楽器、鍵盤楽器、打楽器がある。ギターやチェロなどは弦楽器だが、叩く、爪弾く、弾くなど音の出し方が異なる。その違いは音そのものの彩りをつくる。それぞれの良さがある。楽曲によっても、演奏家によっても、彩りは異なる。が、好きな音は自分自身の気分が決める。気分ほど気ままなものはない。私はといえば、その時の気分で音楽を流している。聴き心地の良さを感じるままに音楽をBGMとして流している。ギター曲では「アルハンブラの思い出」「禁じられた遊び」が好きだ。年齢、もろだしですね。

 音の好みは楽器の好みとも結びつく。私はチェロの弦音が好きだ。大萩さんは、チェリストの宮田大さんとの演奏会が多く、共演のCDも出している。タイトルは、『Travelogue』-音の対話が描き出す新たな風景 彼方への音旅-。その中のお気に入りはショパンのチェロ・ソナタOp.65~III.Largo。チェロとギター音の相性が抜群にいい。風の音と雨音といった感じ…。
 


心に響く人生の匠たち

 「千人回峰」というタイトルは、比叡山の峰々を千日かけて駆け巡り、悟りを開く天台宗の荒行「千日回峰」から拝借したものです。千人の方々とお会いして、その哲学・行動の深淵に触れたいと願い、この連載を続けています。

 「人ありて我あり」は、私の座右の銘です。人は夢と希望がある限り、前に進むことができると考えています。中学生の頃から私を捕らえて放さないテーマ「人とはなんぞや」を掲げながら「千人回峰」に臨み、千通りの「人とはなんぞや」がみえたとき、「人ありて我あり」の「人」が私のなかでさらに昇華されるのではないか、と考えています。
 
奥田喜久男(週刊BCN 創刊編集長)
 
<1000分の第317回(下)>

※編注:文中に登場する企業名は敬称を省略しました。

Profile

大萩康司

(おおはぎ やすじ)
 1978年4月、宮崎県生まれ。97年、宮崎県立小林高校卒業後に渡仏。パリ国立音楽院やエコール・ノルマルで学ぶ。ハバナ国際ギター・コンクールで第2位と審査員特別賞「レオ・ブローウェル賞」を受賞し、その後4年間イタリアのキジアーナ音楽院でオスカー・ギリア氏に師事した。ラ・フォル・ジュルネTOKYO、セイジ・オザワ松本フェスティバル、霧島国際音楽祭などの国内主要音楽祭に招かれるほか、最近ではN響(井上道義指揮)と「アランフェス協奏曲」を好演し、またモスクワ、コロンビア、キューバ、台湾での国際フェスティバルに招かれるなど、国際的に活躍している。録音も多く、最近ではメゾ・ソプラノの波多野睦美との「プラテーロとわたし」、チェリスト宮田大との「Travelogue」、オーボエ広田智之との「Cantilene」、セルフレーベル第二弾ヴィラ=ロボス作品集「メロディア・センチメンタル」をリリース。洗足学園音楽大学と大阪音楽大学の客員教授も務める。