社会全体を変えるダイナミックな教育の枠組みを新たに創り出したい――第314回(下)
【対談連載】福岡大学 経済学部 教授 阿比留正弘(下)
構成・文/浅井美江
撮影/篠﨑真尚
2022.7.21/福岡市城南区の福岡大学にて
週刊BCN 2022年10月10日付 vol.1941掲載
【福岡市発】2021年、日本の小・中学校における不登校の児童生徒数は約20万人。学年が上がるほど不登校が増えているという。この数年、子どもの自殺者数が過去最悪を更新しているというデータもある。この暗澹たる現状において、阿比留先生が語ってくれたダイナミックな構想はどれも今すぐにでも実現したいものばかりだ。さまざまな原因で疲弊している日本だが、先生のような教育者がいることに一筋の光を見る。できる限りのエールと支援を送りたい。
(創刊編集長・奥田喜久男)
経済学を学ぶきっかけは
「経済学=社会病理学」という考え
奥田 先生が教員になろうと思われたのは幼い頃からですか。阿比留 いや、逆です。小学校の頃から母親に「お前は大きくなったら先生になるんだよ」と言われ続けた反動で、「絶対に先生にはならない」と思ってました。実は大学卒業後、大阪の証券会社に勤めたこともあります。
奥田 おや、そんなことが。
阿比留 でも半年で辞めました。企業の利益が優先されて、お客さんがないがしろになっているようで耐えられなくて。
奥田 わかる気がします。
阿比留 少し話を戻すと、僕が経済学を勉強しようと思ったのは、青山学院大学時代の恩師である柴田敬教授の言葉なんです。先生は戦前の日本を代表する経済学者として3本の指に入る方でした。
奥田 その言葉とは。
阿比留 「経済学とはSocial Pathology=社会病理学である」。つまり、社会の病気に対して問題提起や原因追求をしたり、処方箋を出したりするのが経済学であると。
奥田 柴田先生とその言葉が、阿比留先生を導かれた。
阿比留 はい。証券会社を辞めた後、柴田先生がおられた青山学院大学の修士課程に戻り、筑波大学の大学院を単位取得退学し、1985年、福岡大学に就任したというわけです。そして再来年“ここ”を去ります。
奥田 2024年ですか。退官後はどういう形で大学との関わりを?
阿比留 何もなくなります。
奥田 え!? 阿比留ゼミやベンチャー起業論は?
誰も引き継がないんですか。
阿比留 引き継ぎません。すべてなくなります。
奥田 大学からのオファーは?
阿比留 ないです。
奥田 いや、それはあまりにももったいない…。
阿比留 地元の他の大学の先生たちが残したいと動いてくださっているようです。
奥田 ならば先生も。
阿比留 いや、僕はもういいです。皆さん頑張ってくださいと。
――奥田が言葉に詰まっていると、同席していた教え子の松藤さんが――
松藤 あの、僕は何とかして残していきたいと思っていて。実は先生にはまだご相談してないんですが…。
奥田 うん。ぜひそうしてください。何とか引き継いでください。では、先生はどうされるんですか。
阿比留 ちょっとね、日本の教育を変えたいなあと…。小学校・中学校のあたりから、文部科学省がつくっている仕組みを全部変えたいなと。
奥田 具体的には。
阿比留 今、不登校の子どもたちが20万人くらいいると言われていて、同時に学級崩壊も起きている。それは今の学校教育への抵抗がそういう形で現れてきているんじゃないかと。そうした子どもたちの受け皿をつくってもいいかなと思っています。
奥田 実現するには何が必要ですか。
阿比留 何が問題なのかということの共有ですね。みんなにわかってもらわないといけない。今の教育で一番おかしいのは“他人発の教育であること”。本来、教育とは自らの能力を高めることなのに、今
は他人との比較ばかりです。他人からどう見られているか、他人と成績を比較して勝ったとか負けたとか。結果的に自分の能力に目を向けていない。
奥田 同感ですね。僕も本当にそう思います。
阿比留 自然と、自分がいかにダメなのかを再認識するような教育になっているわけです。それではいけない人間はスイッチが入ると化けます。自分の価値に気づいたり、自信をもったり、興味のあることに出会うとみんな変わる。長年、学生を見ていてそこが実に面白い。
奥田 はい。スイッチは入りますね…。
根っこにあるのは
社会の病気を治すこと
阿比留 もう一つ。“教育の後に仕事が来ていること”を変えたい。僕が考えているのは、小学校でも“仕事”から入ればいいんじゃないかと思うんです。奥田 仕事から入るとは?
阿比留 例えばケーキ屋さんだったら、お客さんのためにおいしいケーキを作る想いを綴れば国語です。食材の分量をきちんと計るには算数や理科が必要だし、身体にいい材料を使うことは環境や医学にも通じます。
奥田 なるほど。実際の仕事を軸に考えていくと、確かにいろいろな学科につながります。
阿比留 仕事から入って上手に誘導することで、教えるのではなく、子どもたちが勝手に、しかも自ら進んで学びたくなる環境をつくることが教育なのではと。
奥田 ああ。ベンチャー起業論にも通じますねえ。
阿比留 まだあるんですが、あれ? 何だっけ(松藤さんにたずねる)。
松藤 “現場軽視”です。
阿比留 そう、それ。今の教育は、“口で仕事をする”のがいい仕事だと共通理解されている向きがあります。弁護士、政治家、教師、全部が口を使っていますよね。
奥田 言われてみれば確かに。
阿比留 でも実際は、手足を使って仕事をしている農家や漁師、職人など現場で働いている方々がいないと世の中は成立しません。どっちが上とかじゃなくて、現場の人に感謝し、感謝を値段に変える。そうすることで、経済が公益資本主義的なものに変わり、社会全体が変わっていく。そういうダイナミックな教育の枠組みを変えることにチャレンジしてみたいです。
奥田 今お話しいただいたその考えは、柴田先生が提唱された「経済学とはSocial Pathology=社会病理学である」に収斂されるわけですか。
阿比留 そうですね。僕は大学教授になってからも論文を書いているだけの自分はあまり好きになれなくて…。社会の病気を治すことを何とかしなくてはと、ずっと思っていたんです。
奥田 模索をされていた。
阿比留 だけど、ベンチャー起業論を始めて気がついたのは、社会問題を解決しているのはいろいろな企業や経営者なのだと…。
奥田 おお…。
阿比留 であれば、そこを僕がもっと掘り下げていけばいい。経済学が僕の中で“すっ”と一致した瞬間でした。僕の原点は柴田先生と出会い、社会の病気を治すことが根っことなっています。
奥田 (大きくうなずいて)今日のお話でよくわかりました。
阿比留 …ところで、今さらですが、そもそも今日来られたのはどういう経緯だったんですか。
奥田 松藤さんです。知人を通して知り合ったんですが、とにかくビヘイビア(振る舞い)がすごい。大したもんです。こんな学生を育てられた先生に、ぜひともお会いしてみたいと。
阿比留 ああ、そうでしたか。うんうん。彼はすごいです。…彼から叱られることはあっても、僕が叱ることはないですねえ。
――奥田、大笑い。そこにすかさず松藤さんがつぶやくように――
松藤 先生はそこがすごいんですよ…。
奥田 そう。そうなんですか、松藤さん。
阿比留 いやあ、そうか。おかげで奥田さんのようなすばらしい方にお会いできました。ありがとうございます。
奥田 いや、それはこちらのセリフです。僕は阿比留先生が退官される以降の活動にもすごく興味があります。何かの形でぜひ応援したい。今後ともどうぞよろしくお願いします。
こぼれ話
出会いは大切にしたい。その、たまたまの出会いが太い縁となって、今この「こぼれ話」の活字となって実った。今年、私は40年務めた創業以来の社長職を退任したので、時間の都合がつくようになった。一度は訪ねたいと思っていた南九州市にある『知覧特攻平和会館』。願いがかなって、4月21日に訪れた。鹿児島県出身の友人に道案内をお願いした。博多で合流し、車で向かった。「おはようございます」。自己紹介をしながら4人のメンバーで出発した。私は運転席との対角線に座った。高速に入り、スムーズなコーナリングで快適だ。会話も若々しい話題に終始した。それもそのはず、運転手の青年は福岡大学の学生だという。今回、カメラマンを務めてくれた篠崎真尚さんの後輩だ。彼も若い。3人の“九州男児”に囲まれながらの旅だ。ある時には二人の会話が弾み、また3人の会話に耳を傾けながら九州男児たちの関係性も理解できた。その頃には4人の声が狭い車内に飛び交った。知覧では思い思いに館内展示を見た。友人の提案で戦艦大和の沈没地を鎮魂する場所を訪ねた。そこで池田武邦さん(千人回峰/第170回に登場)が建立した碑を見た。まるで、そこに佇んでおられるような気配を感じた。不思議だった。この旅で運転手を務めたのは学生の松藤大治さん。およそ12時間に及ぶ移動を難なくこなしてくれた。彼の気配り、目配り、会話が醸す安心感。久しぶりに飛行機のファーストクラスの気分を味わった。どんな先生の下で学んでいるのか気になった。「阿比留正弘先生です」。松藤さんは、1999年に始まったベンチャー起業論を実践する組織運営の学生代表を務める。その会は、ゼミ生はもとより、学外生も参加し、社会人にまで枠が広がっているという。
「阿比留先生に会わせてください」。はい、の二つ返事で、7月21日、福岡大学のキャンパスへの訪問が実現した。今回の『千人回峰』には松藤さんも登場している。阿比留先生は隣に座る彼に「そうだよね」と確認しながら対談は進んだ。あたかも秘書に確認する信頼感が伝わってくる。阿比留先生に“ラク”しておられますねと、冗談めかしてたずねたら、「だって、学生の皆さんが勝手に進めてくれるんですから」と。社長業の長い私はもっと早くにお会いしていればよかった、と思った。対談後、先生の備忘録を頂戴した。読み進むうちに「松藤直美さんからのご感想をコメント欄に転記させていただきました」でカーソルが止まった。全文掲載する。
「松藤大治の母です。大治が大変お世話になっております。 昨年度から『備忘録』を楽しみに拝見させていただいております。 学生の親としては、我が子が大学でどのような人と出会い、どのような学びをしているのか、とても興味があり、また心配でもあります。この『備忘録』は、そんな親心を安心させてくれる場所でもあります。
正直申しますと、備忘録の中には、私がこれまで出会ったことがない分野や内容、言葉がたくさんあります。わからないまま読み進めたり、調べたり、また大治に尋ねてみたりと、頭と心をたくさん使う文章も多くあります。しかし、その出会いや学びが少し息子に近づいた気がして、嬉しくもあり、楽しみでもあります。
いくつになっても、新しいことへの出会いや興味関心を持つこと、そして知ることはドキドキするし楽しいですね。 大治は阿比留先生に出会い、ベンチャー起業論に学び、会うたびに成長を感じることができ、親として大変嬉しく思います。大治は幸せ者だなと心から思います。大学生というこの時期に、貴重な体験ができ、今だからこそ感じること、考えること、悩むこと、惜しみなくたくさん経験してほしいと願います。 今後とも、どうぞよろしくお願いいたします。備忘録、これからも楽しみにしております。
大変かと存じますが、このような親のためにも、ぜひ、阿比留先生の言葉で伝え続けて欲しいと願います」
先生の返信抜粋。「どうして、松藤君のような学生が育つのだろうかといつも不思議に思っていたのですが、お母さんのメールを読んで、その秘密がお母さんの優しさにあることが確認できた気分になりました。 阿比留正弘」
親子の出会い、人の出会いって、素晴らしいですね。
心に響く人生の匠たち
「千人回峰」というタイトルは、比叡山の峰々を千日かけて駆け巡り、悟りを開く天台宗の荒行「千日回峰」から拝借したものです。千人の方々とお会いして、その哲学・行動の深淵に触れたいと願い、この連載を続けています。
「人ありて我あり」は、私の座右の銘です。人は夢と希望がある限り、前に進むことができると考えています。中学生の頃から私を捕らえて放さないテーマ「人とはなんぞや」を掲げながら「千人回峰」に臨み、千通りの「人とはなんぞや」がみえたとき、「人ありて我あり」の「人」が私のなかでさらに昇華されるのではないか、と考えています。
※編注:文中に登場する企業名は敬称を省略しました。
Profile
阿比留正弘
(あびる まさひろ)
1953年5月生まれ。77年、青山学院大学経営学部入学。在学中、恩師である柴田敬教授が提唱する「経済学とはSocial Pathology=社会病理学」に感銘を受ける。卒業後、大阪の証券会社に勤めるも、仕事に疑問を抱き、退職。改めて経済学者を目指し、85年、筑波大学大学院で社会科学研究科 経済学博士後期単位を取得し満期退学。同年、福岡大学専任講師に就任。産業組織論、応用ミクロ経済学を専門とし、99年より「ベンチャー起業論」の講義を通して起業家育成教育を開始。