人類に最もインパクトを与えられる仕事として AI開発の道を選びとる――第304回(上)

千人回峰(対談連載)

2022/04/15 00:00

渡久地 択

渡久地 択

AI inside 代表取締役社長CEO兼CPO

構成・文/小林茂樹
撮影/長谷川博一
2022.3.7/東京都渋谷区のAI insideにて

週刊BCN 2022年4月18日付 vol.1919掲載

【東京・渋谷発】渡久地択さん率いるAI insideは、手書き文字の高精度デジタル化を行うAI‐OCRで急成長している企業だ。実は本紙の取材記者に「AI分野で出色の経営者を推薦してほしい」と依頼したのだが、昨年11月15日号の「Key Person」欄に登場していただいた渡久地さんの名前が即座に挙がった。ビジネスの詳細についてはそのバックナンバーに譲り、この千人回峰では、優れた若手起業家が生み出されたバックボーンにはいかなるものがあったのか、根掘り葉掘り聞くことに徹してみた。
(創刊編集長・奥田喜久男)

2022.3.7/東京都渋谷区のAI insideにて

プロミュージシャン志望から
AI開発に進路変更

奥田 渡久地さんのプロフィールを拝見すると、「高校卒業後、すぐに起業」とあります。IT系企業経営者の経歴としてはめずらしいタイプだと思うのですが、なぜ、そんなに早く起業に踏み切ったのですか。

渡久地 どうせやるなら早くやるべきで、みんなに合わせていたらそれだけ遅れてしまうという思いがあったからですね。

奥田 なるほど。それは確かにそうですが、口で言うほど簡単なことではありませんよね。その起業に至るまでの渡久地さんの足跡についてお話しいただけますか。

渡久地 小さな頃は、絵画、水泳、野球など、いろいろな習い事をしましたが、当時はろくに挨拶もできないほど、人見知りの激しい子どもでした。

奥田 今の姿を拝見すると、それはちょっと意外ですね。

渡久地 でも、その後、中学では生徒会長を務めたり、仲間とバンド活動に精を出したりするなど、アクティブな面も出てきました。高校は、家から一番近くにある地元の進学校で、勉強もきちんとこなしていましたし、自分に必要なことは自ら学んでいました。例えば、私は文系だったのですが、自分にとって数学の知識は必要になると思い真剣に勉強しましたね。

奥田 バンド活動はどのような?

渡久地 ロックバンドですね。私はギターやピアノを弾いていましたが、当時はそれでプロになろうと真剣に考えていました。

 実は高校時代、自前でライブを主催していたんです。民間のライブハウスを借りると20万円くらいかかるのですが、公共施設のホールを借りれば1万~3万円程度ですみます。ただし、公共施設では機材を貸してくれないため、それは別に調達していました。

奥田 機材のレンタル料を払っても、ライブハウスより安くつく、と。

渡久地 そうですね。いくつか他のバンドを集めて開催するのですが、自分たちが最後に演奏して目立っていました(笑)。そして他のバンドがお客さんも連れてくるから、自分たちだけで集客に苦労することもないわけです。

奥田 それは有料のライブですか。

渡久地 はい。チケット代は3000円くらいですね。

奥田 ほう、高校時代からビジネスの才にも長けていたのですね。

渡久地 バンドでも、どうやったら一番になれるかを常に考えていました。

奥田 それで、音楽でプロを目指す話はどうなったのですか。

渡久地 高校を卒業する頃、本当に音楽の道を行くのがいいかと自問し、それを確認しようとしました。

奥田 どのように確認したのですか。

渡久地 過去100年に起こったこと、この先200年のうちに起こるだろうことをピックアップした年表をつくってみたのです。それを見渡して、自分の進むべき道は音楽ではなく、最も人類にインパクトを与えるであろうAIか宇宙事業の分野だと考えました。そこで、大きな資本力が必要な宇宙事業ではなくAIを選んだというわけです。

物事の歴史と構造を知ることで
将来起こりうることを予測する

奥田 過去の歴史に学び、未来予測をした結果がAIに行き着いたというわけですね。その重要な判断のもととなった年表は、今も残っているのですか。

渡久地 残っています。そこから10年ほどの未来を抜き出して、マインドマップ化したものを仕事に生かしているんです。

奥田 ということは、渡久地さんが18歳の頃に予測した内容が、いまも通用しているわけですね。

 ところで、高校を出てすぐに起業することについて、親御さんはどんな反応をされましたか。

渡久地 もちろん、反対しました。

奥田 大学受験もしなかったのですか。

渡久地 いいえ、何校か受験し、一応そのうちの一校に入学したのですが、すぐに中退しました。学費は自分の奨学金で賄ったので、中退したことは事後承諾ですね。

 父親はデザイン事務所を経営しており、経営者の厳しさを知っているがゆえに、大学に入りなおして大企業に就職すべきだと説きました。でも、私自身は自分の道は自分で選ばなければと考え、その意思を貫いたわけです。

奥田 もし、渡久地さんのお子さんが将来同じようなことを言って来たら、どう答えますか。

渡久地 もちろん全面的にOKですよ。むしろ「早くやれよ!」という感じです。ただし、自分のやりたいことをするためには、それに必要な勉強をすることがその前提になるとは思います。

奥田 お話を聞いていると、高校での成績も優秀だったようですし、とても学ぶことを大事にされているように思います。

渡久地 頭がいいとか勉強ができるというのではなく、物事の構造を理解するのは早いかもしれません。学校の試験でも、出題者が何を考えて試験問題をつくっているのか考え、自分でその問題をつくってみれば、本番でほとんど正解できるはずです。そうやって、ハックすることが好きですね。だから、当時は「みんなもやってみればいいのに」と思いました。

奥田 塾の先生になっても大成功しそうですね。

渡久地 独立して1年ほどはまったく食えなかったので、実際に塾の先生をしていました。最下位に近い生徒の成績を、飛躍的に伸ばした経験もあります。

奥田 やはり、起業当初はだいぶご苦労されたのですね。

渡久地 最初の会社を立ち上げたのは、2004年のことでした。AIをやりたかったのですが、まだ外部環境が整っていなかったため、当初はポータルサイトを立ち上げました。ところが、このビジネスはうまくいかず、家賃を払えずアパートを追い出されてしまいました。

奥田 もう実家には頼れないし……。

渡久地 水道光熱費の支払いを滞納すると、まず電気が止まるんですよ。しばらくするとガスも止まりましたが、水道はなかなか止まりませんでしたね(笑)。

奥田 水道を止めると、命にかかわりますからね。でも、そんな順番を知っている人は、今の世の中にあまりいないかもしれませんよ(笑)。(つづく)

小学校2年生のときに書いた作文

 「大きくなったら、おしろ三つぶんの大きいいえをたてるぞ」という幼い頃の夢が書かれている。今、そんな家を建てたいと思っているかどうかは別だが、渡久地さんと話していると、そうした夢を現実のものにする力を秘めているように感じる。
 

心に響く人生の匠たち

 「千人回峰」というタイトルは、比叡山の峰々を千日かけて駆け巡り、悟りを開く天台宗の荒行「千日回峰」から拝借したものです。千人の方々とお会いして、その哲学・行動の深淵に触れたいと願い、この連載を続けています。

 「人ありて我あり」は、私の座右の銘です。人は夢と希望がある限り、前に進むことができると考えています。中学生の頃から私を捕らえて放さないテーマ「人とはなんぞや」を掲げながら「千人回峰」に臨み、千通りの「人とはなんぞや」がみえたとき、「人ありて我あり」の「人」が私のなかでさらに昇華されるのではないか、と考えています。
 
奥田喜久男(週刊BCN 創刊編集長)
 
<1000分の第304回(上)>

※編注:文中に登場する企業名は敬称を省略しました。

Profile

渡久地 択

(とぐち たく)
 1984年、愛知県北名古屋市生まれ。愛知県立西春高等学校卒業。高校を卒業後すぐにIT企業数社を設立。2004年より人工知能の研究開発を始める。以来、継続的な人工知能の研究開発を行い、多数の技術特許を取得。研究開発と同時にビジネス化・資金力強化を行い、15年、AI insideを創業。19年、東証マザーズ上場。同社の経営戦略とプロダクト開発を指揮している。