感動は物語を生み、人は共鳴する。
2021年総集編 人には物語がある。
構成・文/奥田喜久男
週刊BCN 2021年12月20・27日付 vol.1904掲載
心に響く人生の匠たち
「千人回峰」というタイトルは、比叡山の峰々を千日かけて駆け巡り、悟りを開く天台宗の荒行「千日回峰」から拝借したものです。千人の方々とお会いして、その哲学・行動の深淵に触れたいと願い、この連載を続けています。
「人ありて我あり」は、私の座右の銘です。人は夢と希望がある限り、前に進むことができると考えています。中学生の頃から私を捕らえて放さないテーマ「人とはなんぞや」を掲げながら「千人回峰」に臨み、千通りの「人とはなんぞや」がみえたとき、「人ありて我あり」の「人」が私のなかでさらに昇華されるのではないか、と考えています。
「千人回峰」というタイトルは、比叡山の峰々を千日かけて駆け巡り、悟りを開く天台宗の荒行「千日回峰」から拝借したものです。千人の方々とお会いして、その哲学・行動の深淵に触れたいと願い、この連載を続けています。
「人ありて我あり」は、私の座右の銘です。人は夢と希望がある限り、前に進むことができると考えています。中学生の頃から私を捕らえて放さないテーマ「人とはなんぞや」を掲げながら「千人回峰」に臨み、千通りの「人とはなんぞや」がみえたとき、「人ありて我あり」の「人」が私のなかでさらに昇華されるのではないか、と考えています。
奥田喜久男(週刊BCN 創刊編集長)
感動は物語を生み、人は共鳴する。
そして、さまざまな示唆を得る。
今年も物語を紡げただろうか。
人生を織りなす縦糸、横糸。
一本一本紡げただろうか。
“千人”の回峰は“千”の物語を生む。
そして、さまざまな示唆を得る。
今年も物語を紡げただろうか。
人生を織りなす縦糸、横糸。
一本一本紡げただろうか。
“千人”の回峰は“千”の物語を生む。
【注】登場していただいた方々の肩書きは取材当時のものです。
273人目
音楽の不思議な力に魅せられオーケストラの経営立て直しに奔走
『週刊BCN』vol.1856(1/4) 『週刊BCN』vol.1857(1/11)
274人目
黎明期のパソコンに魅せられソフトウェア開発の世界へ
『週刊BCN』vol.1858(1/18) 『週刊BCN』vol.1859(1/25)
275人目
「歌に始まり、歌に終わる」学園生活の理念が子どもたちの感性を育む
『週刊BCN』vol.1860(2/1) 『週刊BCN』vol.1861(2/8)
276人目
自分の強みは製品に対する「こだわり」“ソニーらしさ”の中でモノづくりに没頭する
『週刊BCN』vol.1862(2/15) 『週刊BCN』vol.1863(2/22)
277人目
勉強嫌いの“島の少年”が一念発起し歯科医を目指す
『週刊BCN』vol.1864(3/1) 『週刊BCN』vol.1865(3/8)
278人目
「仕事を背負う」ということは 自分のやりたいようにプロデュースをすること
『週刊BCN』vol.1866(3/15) 『週刊BCN』vol.1867(3/22)
279人目
フランス文学者のエッセイに触れ江戸文化の研究にのめり込む
『週刊BCN』vol.1868(3/29) 『週刊BCN』vol.1869(4/5)
280人目
最先端の研究者の心の奥底にはいつも『論語』の言葉があった
『週刊BCN』vol.1870(4/12) 『週刊BCN』vol.1871(4/19)
281人目
目の前の課題に夢中で取り組んでいると自分のやるべきことが見えてくる
『週刊BCN』vol.1872(4/26) 『週刊BCN』vol.1873(5/3・10)
282人目
皆、心が弱っていた。お客様へ、従業員へレシートが“希望”を語る象徴になった
『週刊BCN』vol.1874(5/17) 『週刊BCN』vol.1875(5/24)
283人目
「簡単な英語で、 編み物をするように何かをつくる仕事」この職業との出会いが経営者の道につながる
『週刊BCN』vol.1876(5/31) 『週刊BCN』vol.1877(6/7)
284人目
正反対のタイプだからこそ創業者を支え、共に歩むことができた
『週刊BCN』vol.1878(6/14) 『週刊BCN』vol.1879(6/21)
285人目
世の中を変えるパブリッシングメディアを創り人に感動を与えたい
『週刊BCN』vol.1880(6/28) 『週刊BCN』vol.1881(7/5)
286人目
アジャイルは目的ではなく、あくまで手段 まずは顧客のニーズを的確に捉えること
『週刊BCN』vol.1882(7/12) 『週刊BCN』vol.1883(7/19)
287人目
プログラミングを知ったことで世の役に立つ道を歩むことができた
『週刊BCN』vol.1884(7/26) 『週刊BCN』vol.1885(8/2)
288人目
子どもの頃から「なぜ?」を追求し自らの生きる姿勢を確立する
『週刊BCN』vol.1886(8/9・16) 『週刊BCN』vol.1887(8/23)
289人目
聴こえてくる音から思い出す景色がある 音の旅を楽しんでみて
『週刊BCN』vol.1888(8/30) 『週刊BCN』vol.1889(9/6)
290人目
『世界の浅草』のためなら、労は厭わないしITやマーケの知識をフル活用する!
『週刊BCN』vol.1890(9/13) 『週刊BCN』vol.1891(9/20)
291人目
父の背中と業界の先達に学び家電戦国時代を生き抜いてきた
『週刊BCN』vol.1892(9/27) 『週刊BCN』vol.1893(10/4)
292人目
元日本代表が選んだ腸内環境ビジネスというセカンドキャリア
『週刊BCN』vol.1894(10/11) 『週刊BCN』vol.1895(10/18)
293人目
お客様に幸せをもたらすためには自分たちが幸せでなければならない
『週刊BCN』』vol.1896(10/25) 『週刊BCN』vol.1897(11/1)
294人目
“国のために働きたい”という思いは官僚志望だった学生時代と変わらない
『週刊BCN』vol.1898(11/8) 『週刊BCN』vol.1899(11/15)
295人目
繊維の町に生まれ新たなアパレルの世界に飛び込む
『週刊BCN』vol.1900(11/22) 『週刊BCN』vol.1901(11/29)
296人目
日本企業がGAFAに伍するためには総合的な知識を備えた人材育成が必要だ
『週刊BCN』vol.1902(12/6) 『週刊BCN』vol.1903(12/13)
番外編 こぼれ話
慶大・相磯先生の近況
今年も最終号を迎えた。この『千人回峰』は2007年から掲載を始めたので、満14歳だ。前号掲載の宮田一雄さんで296人目。年明け早々には300人目の方とお会いして、2月には掲載の運びとなる。どなたとご縁を結ぶのか、楽しみである。今年は思わぬ方との接点があった。相磯秀夫先生だ。4月26日号に登場いただいた増田幸宏先生との会話の中で、相磯先生の話が出た。実に懐かしい。私は、相磯先生に「慶應大学湘南藤沢キャンパス(SFC)」の開設当初に構内を案内していただいた。先生が教室のドアを開け、事細かに説明し、ドアを閉めて次に向かう。廊下を歩きながらSFCのコンセプトを話された。ここには未来があると思いながらも「この地は遠くありませんか」と質問したら想定内の質問であったらしく、ニコニコほほ笑みながら、待ってましたとばかりにお応えになった。丁重にお見送りいただき、もったいなく感じながら「ここが湘南藤沢キャンパスなんだ」と独りごちたのを思い出す。その後いく人もの優秀なSFC卒業者に会った。学生ばかりでなく、SFCの先生方がIT、インターネット業界を牽引してこられた。慶大SFCは、経済学部の加藤寛先生と環境情報学部の相磯秀夫先生らが中核となって開設を推進してこられた。私はお二人に会った。相磯先生はいつもニコニコ顔だ。加藤先生はいつも難しい質問をされる。トンチンカンな理解でうまく答えられない自分が情けなくて、足が遠のいた。かれこれ40年になる。増田先生に「相磯先生との再会」をお願いした。その返事としていただいたお便りの文面を紹介する。
「BCNの奥田喜久男会長のご活躍をお聞きし、『千人回峰』の執筆をされているとのことで、さすがと感銘を受けております。思い起こせば、奥田会長が「慶大SFC」を訪問されたのもその始まりであったのではと考えております。私にも『千人回峰』に参加するようにお勧めのようですが、最近は体調を崩し、思うようにならない事情があります(注:1932年3月3日が誕生日)。
考えてみれば、今年「89歳で知力・想像力・体力・意欲」がすっかり衰えた老齢者ですので、何が起こっても不思議なことはありません。覚悟はしております(注:何とも丁寧な近況をお伝えいただいた。この10年での先生の業績を記す)。①最先端ICT技術:人間中心の超スマート社会(Society 5.0)実現のため、②人工知能:あらゆる分野における人工知能(特に、文系AI人材の育成)を含む、③健全かつ効率的で持続可能な社会の実現に大きく貢献する(SDGs・ESG・DXならびに数年~数十年先の技術・社会の未来予測など)ことの手助けをしてきましたーーということで、情けないことですが、『千人回峰』のご希望にもお応えできません。私の非礼をお許しいただけますように(相磯先生筆)」。
私が89歳になった時、ここまで丁寧に近況を伝えることができるだろうか。相磯先生、この範を心に刻みます。 (BCN 奥田喜久男記)