これからのCEATECは年4日開催ではなく365日情報発信すべき――第276回(下)
鹿野 清
日本エレクトロニクスショー協会 執行理事・理事/CEATEC実施協議会 エグゼクティブ・プロデューサー
構成・文/小林茂樹
撮影/松嶋優子
2020.12.4/東京都千代田区のBCN会議室にて
週刊BCN 2021年2月22日付 vol.1863掲載
【内神田発】最近は神社仏閣めぐりをするようになったとおっしゃる鹿野さん。ソニー退職後は名誉職に就いて悠々自適の人生かと勘違いしたが、実はフルタイムでとてもハードに仕事をしておられる。聞けば、大阪や名古屋への出張の帰途に、計画を立てて寺社詣でをしておられるそうだ。西国三十三所巡礼の旅は現在27か所まで達成。西国といっても近畿中心部だけでなく、第一番札所の和歌山・那智勝浦の青岸渡寺から、第三十三番札所の岐阜・揖斐川の華厳寺まで2府4県にまたがる広範なエリアに散在する。巡礼のほうもかなりハードに違いない。
(本紙主幹・奥田喜久男)
海外勤務を通じて
その国に合わせたモノづくりの大切さを知る
奥田 鹿野さんは、海外でのビジネス経験も豊富ですね。鹿野 1985年にアメリカ・ニュージャージーに赴任するのですが、そのきっかけがなんともいえないものだったのです。私は握力が強く、重い27インチのブラウン管テレビをひとりで抱えて運ぶことができました。それを見たソニー・アメリカのトップが「こいつはいい。アメリカでテレビのマーケティングをやれ」と。
奥田 本当の話ですか?
鹿野 半分冗談でいっているわけですが、それも海外に出るきっかけの一つでしたね。ふつう、海外赴任となると事前に半年ほど語学研修を受けてから行くものでしたが、私の場合は英語があまりできないにもかかわらず、何の研修も受けさせてもらえませんでした。出発前日も残業し、それから荷物をまとめて羽田に向かいました。
奥田 その後、ベルギーのブラッセルにも赴任されたり、全世界の販売責任者になられたりと、海外市場との関わりが大きかったと思いますが、その中でどんなことを感じられましたか。
鹿野 私はソニー時代、世界80か国以上回っています。それも、ただ行ったことがある国というのではなく、実際に現地のお店を回り、お客さんと直接話したことのある国なんです。やはり、そこで感じたのは、国や地域による文化の違い、人の違いですね。
奥田 具体的にはどんな違いですか。
鹿野 たとえば色温度というものがあって、ブラウン管に映る白色には、赤みを帯びた白と青みがかった白があります。ただ白色といっても、人種によって色素の捉え方が異なったり、国によって好みが違ったりするのです。そのため、テレビの場合は国によって色調を調整してから出荷するなど、その国に合わせたモノづくりが必要であることを感じましたね。
奥田 ヨーロッパ時代はPC事業も統括されていましたが、ソニーに限らず、日本のPCが軒並み伸び悩んでしまった理由は何だと思いますか。
鹿野 数を追いかけて、世界のシェアトップ3に入ろうとしたことですね。それをするのであれば、もっとモノづくりを充実させ、サプライチェーンの整備をしなければいけなかったのですが、その部分が弱い日本のメーカーは価格訴求するしかなかったわけです。これはテレビも同じで、かつては世界でシェアをとっていたものの、上から下までラインアップを広げたことで、価格訴求するしかなくなり、きびしい状況に陥ったということですね。
奥田 でも、ソニーのテレビは復活しましたね。
鹿野 やはり、付加価値の高いハイスペックのものに絞り込んだことが成功の要因だと思います。
不幸なコロナ禍を
変革の好機と捉えることも必要
奥田 2020年はコロナ禍の影響により、働き方もコミュニケーションの取り方も変わらざるを得ない状況に陥りましたが、鹿野さんはこれをどう捉えていますか。鹿野 2020年のCEATECは10月に、Inter BEEは11月にそれぞれオンラインで開催しました。CEATECは21年目、Inter BEEに至っては56年目にして初めてのオンライン展示会となったわけです。新型コロナウイルスの感染状況が今後どう推移するかわかりませんが、たとえ収束したとしても、前の形には戻らないだろうし、戻れないでしょう。
コロナ禍は人類にとって大変不幸な出来事ですが、誤解を恐れずにいえば、大きな変革のチャンスと捉えることもできます。
奥田 変革のチャンスですか……。
鹿野 たとえば、DX(デジタルトランスフォーメーション)に関しても、コロナ禍によって加速したという側面があります。そしてCEATECについていえば、2019年に幕張メッセで行われたコンファレンス(講演会)は4日間で162のセッションが開かれて2万8000人が聴講したのですが、20年にオンラインで行われたコンファレンスでは、4日間で81セッションで、10万人以上の方が聴講しました。
奥田 オンライン開催のほうが聴講者の数が断然多いと……。
鹿野 オンラインだと、時間をずらして他のコンファレンスを聞くこともできるため、むしろメリットが大きいということがわかったわけです。そうであれば、リアルな空間で展示会を開くことができるようになっても、コンファレンスはオンラインでというやり方も考えられるでしょう。
奥田 なるほど。それもコロナをきっかけにした変革の一つということですね。でも、実際の製品やサービスに触れる感覚や会場の熱気を伝えることはオンラインでは難しいのではないですか。
鹿野 それはおっしゃるとおりですが、私たちはCES(米国の電子機器見本市)やIFA(ドイツの国際コンシューマ・エレクトロニクス展)に先駆けて、初めて100%オンライン展示会を開催した、いわばファーストペンギンです。そのため、次回はコロナ禍の状況における展示会のあるべき姿を提案すべく、その内容を模索しているところです。
そして、もしリアル開催が可能になるのであれば、「Society 5.0(超スマート社会)」によってどのように生活が豊かになるかを実感できるような体験型の展示会の内容についても考えていきたいですね。
奥田 コロナ禍とは別に、展示会そのものがどうあるべきかという時代にさしかかっているように思うのですが、鹿野さんはどうお考えですか。
鹿野 この仕事を始めた3年前から、このままでいいのかとずっと自問自答してきました。会場を借りて、出展社から場所代をもらって、まるで神社仏閣の境内に並ぶ屋台の仕切り屋のようじゃないですか。
奥田 私もそう思っていました(笑)。
鹿野 それではダメだと思い、いろいろと考えました。展示会のKPI(重要業績評価指標)は出展企業数、来場者数、商談数(成約金額)の三つで、これはずっと変わっていません。18年の来場者数は15万人以上、19年は14万4000人、20年はオンラインなので直接比較はできませんが、実数は8万人です。でも毎日のように来る人が多いので、延べにすると13万人が来場しているんです。メディアには「来場者半減」と書かれてしまうわけですが、単なる来場者数ではなくどのような人がどのように見ているかのほうが大事だと考え、KPIに平均滞在時間を加えました。19年のCEATECでは平均滞在時間4時間以上の方が来場者の63%も占めていて、これは年々長くなる傾向にあるんです。
奥田 来場者の「質」も加味すべきということですね。
鹿野 それから、今後ハイブリッド(リアルとオンライン)のCEATECを開催するにあたって、年に4日と限定するのではなく365日何かをやるべきだと思っています。今回は、アフターイベントとして「ニューノーマル」をテーマにしたパネルディスカッションを配信していますが、オンラインであれば会場を借りる必要がないので、年間を通じた情報発信が可能です。
奥田 まさに、これまでの「展示会」の概念を変えるということですね。さらなる変革の実現を期待しています。
こぼれ話
世界中の人の行動様式が変わった。世の中がデジタル・インフラの環境の中でコミュニケーションをとるようになった。正確にいえば、取らざるを得なくなった。スマホやPCの使用率がアップしたというばかりではない。一対一の対話でも、一対Nの場であってもである。そのため人々の行動範囲は狭くなり、自分の居場所があらゆるケースの中心となった。居ながらにして世界のどこへでも出かけていける。誰とでも会える。さらに丁寧に分析すると、この段階まではこれまでの行動様式に組み込まれていた。驚くべき変化は、居ながらにして仕事をすることを余儀なくされたことで、いつの間にか、社会が行動様式として“居ながら様式”を認めたことだ。それも地球規模の出来事だから決定的だ。こうした経験は人類史の中でも数えるほどしかない大きな節目であろう。2020年はよくよく考えながら環境の変化に順応してきた。そんな折り、「そうだ鹿野清さんにお会いしてみよう」と、ふと思った。大がかりな展示会を催して、ひとりでも多くの人を集めてメッセージを投げかける。これが鹿野さんの仕事だ。目的を果たそうとすればするほど、三密な環境になる。さて、どうするのか。リアルなイベントの開催が許されないとなれば、オンラインとの並行開催なのか、あるいは完全にオンラインのみの形式か。これまでに前例のない未知との遭遇である。世界中が同じ条件の下にある。鹿野さんはどのような判断をするのか。激変した環境に対応するやり方、明日のあるべき姿への対応。世界から注目される立場にある大イベントの開催運営責任者として、どのような意識にあるのか。具体的な打ち手は何か。次から次へと質問項目が頭に浮かんでくる。
当日は気分的には10年ぶりぐらいの感覚でお会いした。「お久しぶりですね」と挨拶するのもそこそこ、夢中で話し込んだ。ソニー・パーソンは年齢を超えて独特のオーラを発散する。昨年、この『千人回峰』でお会いした出井伸之さんと話の組み立てが「似ている」とも思った。会話は心地よく進み、世界中のイベント形式が変わることがわかった。変化は決定的なものだと、感じた。「ヨーロッパのあのイベントの先を越しましたよ」と。世界の人に距離の意識変化が起きた。近い所、遠い所の認識が新しくなった。この変化は始まったばかりだ。今から楽しみなことがある。「2020年という特別な年は人類史上でどのような言葉で刻まれるのか」である。
心に響く人生の匠たち
「千人回峰」というタイトルは、比叡山の峰々を千日かけて駆け巡り、悟りを開く天台宗の荒行「千日回峰」から拝借したものです。千人の方々とお会いして、その哲学・行動の深淵に触れたいと願い、この連載を続けています。
「人ありて我あり」は、私の座右の銘です。人は夢と希望がある限り、前に進むことができると考えています。中学生の頃から私を捕らえて放さないテーマ「人とはなんぞや」を掲げながら「千人回峰」に臨み、千通りの「人とはなんぞや」がみえたとき、「人ありて我あり」の「人」が私のなかでさらに昇華されるのではないか、と考えています。
※編注:文中に登場する企業名は敬称を省略しました。
Profile
鹿野 清
(しかの きよし)
1951年8月、山形県山形市生まれ。75年、電気通信大学電気通信学部経営工学科卒業後、ソニー商事入社。ソニー(本社)テレビ事業部を経て、81年、ソニー・アメリカに赴任。93年、日本に帰国。PC「VAIO」の立上げを行い、98年、欧州でのPC事業立上げの責任者としてソニー・ヨーロッパ(ベルギー)に赴任。その後、欧州コンスーマビジネス担当役員となり、2002年、国内販売部門帰任後は、B2Bおよびコンスーマビジネスの担当役員を歴任。08年、業務執行役員(SVP)として全世界のコンスーマー販売部門を担当。ブランディング担当役員としても各国の展示会・イベントを統括し、FIFAワールドサッカーおよびソニーオープンゴルフトーナメントを運営。渉外担当役員を経て、14年に退職。同年よりエレコム顧問、盛田エンタプライズ顧問などを務め、16年、日本エレクトロニクスショー協会顧問に就任。17年、同協会執行理事・理事となる。