「歌に始まり、歌に終わる」学園生活の理念が子どもたちの感性を育む――第275回(上)
高橋美千子
玉川学園高等部 音楽科教諭
構成・文/小林茂樹
撮影/松嶋優子
2020.12.17/東京都町田市の玉川学園にて
週刊BCN 2021年2月1日付 vol.1860掲載
【町田発】広大な自然の中にさまざまな学舎が建ち、幼稚園児から大学生までが集う玉川学園。取材当日は快晴。絶好の撮影日和だ。室内でのインタビューを終えてから屋外での撮影に移り、いろいろなアングルで高橋先生にポーズをとってもらう。すると、下校する女の子のグループが遠巻きに眺めていたり、男の子のグループがニコニコしながら、わざと近くを歩いたりとなかなか賑やかなのだ。先生への親しみが伝わるとともに、みんなとてもいい環境で、のびのびと育っているのだなと思う。こういう取材もいいものだ。
(本紙主幹・奥田喜久男)
大学1年生全員で歌う
ベートーベンの「第九」
奥田 私はクラシック音楽が好きで、日常的によく聞いているのですが、ハンドベルについてはあまりなじみがありません。もともとはどんな楽器なのですか。高橋 イギリス発祥の楽器で、教会での礼拝のための鐘、タワーベルから派生したものです。約500年前にできたといわれており、銅と錫の合金でできています。
奥田 なるほど、宗教的なバックボーンがあるのですね。
高橋 玉川学園の創立者の小原國芳先生はクリスチャンでしたが、特定の宗教教育は行っていません。ただ、礼拝堂でいろいろな宗教の方のお話を聞く機会があり、いまから50年ほど前、そうした場にハンドベルを取り入れたという経緯があります。
奥田 大人数でたくさんのベルを操るイメージがありますが、いくつくらいあるのですか。
高橋 5オクターブのもので80個ですね。それを10人ほどで演奏します。
奥田 一人当たり8個ですか。
高橋 曲調によって使わないキーのベルもありますから、実際には一人で6~7個を担当することになります。
奥田 大きさはいろいろですね。やはり大きいものが低い音を出すのですか。
高橋 はい、そこは他の楽器と同じです。大きいものは重さが4キロもあるんですよ。両手に持つと8キロ。腰で支えるので、そこにあざができてしまうこともあります。
奥田 優雅に見えますが、腕力も必要なのですね。ところで、玉川学園は教育の中における音楽を重視していると聞きましたが、そこにどんな理由があるのですか。
高橋 創始者の掲げた「全人教育」における真・善・美・聖・健・富という六つの価値のうち、美は芸術を意味するのですが、本物の音楽に触れることがバランスのとれた人間形成に資するという考えに基づいています。だから玉川学園では、幼稚園から高校生まで音楽が必修で、大学1年生も全員が音楽を学ぶようになっているのです。
奥田 音楽の授業では、どんなことをするのですか。
高橋 基本的には合唱が中心です。玉川学園に伝わる「愛吟集」という歌集に収められている曲を歌ったり、讃美歌や季節の歌を歌うこともあります。そのうえで、高校生は「メサイア」の「ハレルヤ」やモーツアルトの「レクイエム」を歌ったりします。同じように大学1年生は、大学から玉川学園に入ってくる学生もいるので、4月から歌う楽しさを学びながら練習し、12月には全員で舞台に上がりベートーベンの「第九」を歌います。
奥田 大学生は芸術学部だけでなく?
高橋 農学部の学生も工学部の学生もみんな一緒ですね。毎年、パシフィコ横浜のステージでそれを披露していたのですが、2020年はコロナ禍により中止となってしまいました。でも、オンラインの授業では各パートに分かれて合唱練習を行いました。
奥田 ステージがなくなったのは残念でしたね。
ステージを目指す音楽だけでなく
日常生活の中で音楽に親しむことが大事
奥田 「第九」は、いつごろから歌われるようになったのですか。高橋 玉川学園と「第九」の出会いは、いまから86年前まで遡ります。オール玉川での合唱は、1962年からです。
奥田 「オール玉川」ですか。
高橋 いまもその伝統は引き継がれていますが、学内のオーケストラも生徒も教員も一緒になって、ステージでの本番に向けて自分たちの「第九」をつくり上げていくということです。
奥田 ということは、玉川学園のOG・OBにとって「第九」は思い出深い曲なのですね。
高橋 同窓会やホームカミングデーなどの場では、校歌とともに「第九」は、どの世代の方も必ず口ずさみますね。
奥田 校歌はどのような歌詞なのですか。(歌詞を見ながら)なるほど「わが魂の」「野に鋤振う」「神います」といった言葉には、何か学園の理念が込められている感じがしますね。
高橋 玉川学園には「歌に始まり、歌に終わる」という言葉があります。幼稚園から高校まで、毎朝、朝会が開かれるのですが、朝会ではまず何曲か歌を歌い、黙祷をした後、校歌を歌い、その後に連絡事項などを伝えるのです。
奥田 黙祷というのは?
高橋 それぞれの生徒が「今日も一日がんばろう」という気持ちを確認したり、心を落ち着かせるための時間です。
奥田 宗教的なものではないわけですね。
高橋 はい。それから昼食前にも歌を歌い、黙祷をしてから「いただきます」をしますし、下校前の帰りの会でも「さよなら」の歌を歌うのです。
奥田 本当に「歌に始まり、歌に終わる」ですね。もし、歌がなかったらいまの玉川学園の姿はあったでしょうか。
高橋 いまとは違った形だと思いますね。私自身も玉川のOGなのでよくわかるのですが、歌とともに仲間と過ごし、日常のちょっとしたところにも歌があるということによって、例えば教師の言葉がけも違ってくるのです。
奥田 それはどのように?
高橋 玉川では「静かにしなさい」とか「早く整列しなさい」といった言葉はほとんど聞かれません。生徒たちは、歌が聞こえてくると自然とその場に集まってくるのです。
奥田 ほう、すごい歌の力ですね。
高橋 発表会のために練習して、ステージで歌って感動の涙を流すというのも一つの姿ですが、こうした日々の歌とのふれあい、私たちは“生活音楽”と表現していますが、それがあってこそステージでも輝くことができるのだと思います。
奥田 “ハレ”の場だけでなく、日常生活の中での歌も大事だと。
高橋 そうですね。難しい課題に挑戦し、一体感をもって取り組むことも大切ですが、例えば、この自然豊かなキャンパスの木々が紅葉しているのを見て「もみじ」の歌を口ずさみ、その隣りを歩いている子がそれにハーモニーをつけて歌うといった光景がよく見られます。これは音楽に限ったことではありませんが、10代の時期にそうした感性を身につけることはとても大事だと思います。(つづく)
石巻駅前でのハンドベルの演奏風景
玉川学園のハンドベルクワイアは、東日本大震災が発生した翌年の2012年から毎年、夏休みに東北地方での演奏旅行を行っている。2020年はコロナ禍のため実施できなかったものの、8年連続でさまざまな施設を訪れて演奏や合唱を行うとともに、地元の方々との交流を深めてきた。写真は、石巻駅前で行ったハンドベル演奏の一コマ。生徒たちにとって、そして先生方にとっても貴重な体験だったという。(撮影:2012年8月)心に響く人生の匠たち
「千人回峰」というタイトルは、比叡山の峰々を千日かけて駆け巡り、悟りを開く天台宗の荒行「千日回峰」から拝借したものです。千人の方々とお会いして、その哲学・行動の深淵に触れたいと願い、この連載を続けています。
「人ありて我あり」は、私の座右の銘です。人は夢と希望がある限り、前に進むことができると考えています。中学生の頃から私を捕らえて放さないテーマ「人とはなんぞや」を掲げながら「千人回峰」に臨み、千通りの「人とはなんぞや」がみえたとき、「人ありて我あり」の「人」が私のなかでさらに昇華されるのではないか、と考えています。
※編注:文中に登場する企業名は敬称を省略しました。
Profile
高橋美千子
(たかはし みちこ)
1975年、東京・築地生まれ。小学部から玉川学園に通い、中学部からはオーケストラに入部しチェロを担当。大学は文学部芸術学科に進み、ピアノを専攻する。99年、芸術専攻科修了後、高崎芸術短期大学(当時)で教鞭をとった後、フリーランスのピアニストとして活躍。2002年、玉川学園中学部教諭(音楽科)となり、ハンドベルクワイアの顧問となる。