「普通の日常生活」をワクチンで守る 私を信じてくれる人たちの期待に応えたい――第246回(上)

千人回峰(対談連載)

2019/11/11 00:00

赤畑 渉

赤畑 渉

VLP Therapeutics Founder&CEO

構成・文/南雲亮平
撮影/松嶋優子

週刊BCN 2019年11月11日付 vol.1800掲載

 ワクチンの目的は、秘かな効用で何も引き起こさないことにある。だから、ありがたみが分かりづらく、感謝もされにくい。赤畑さんは、「普通の人たちが普通に送る日常生活を守りたい」と、ワクチンを作り続ける。高校生時代に失った幸せを取り戻したいという思いが原動力だ。ついに副作用のない画期的なワクチンを生み出した赤畑さん。恩師や奥さんに背中を押されて決心した起業も、今では「自分で選び、つかんだ道」として覚悟をもって臨んでいる。「自分自身よりも深く私を信じてくれる人たちの期待に応えたい」。その目は、しっかり未来を見据えている。(本紙主幹・奥田喜久男)

2019.8.6/BCN22世紀アカデミールームにて

ワクチンを通して幸せの原風景を取り戻す

奥田 赤畑さんの経歴を拝見すると、教養学部を卒業されて現在はワクチンの開発者。この二つはどのように繋がっているのでしょうか。

赤畑 東京大学の教養学部には理系と文系があって、私は理系でした。3~4年生のときに物理、化学、生物の全部を勉強して、それぞれがぶつかる境界がおもしろい、新しい学問が生まれるというので、そこに進みました。

奥田 化学と数学と生き物、この三つの要素が化学反応を起こすだろう、と。現在の事業で成果が出ている部分は、化学反応の結果ですか。

赤畑 そうなんです。ワクチンの分野も感染症だけでなく、ガンや認知症まで効果が及ぶようにやっていけたらなと思います。

奥田 赤畑さんのワクチンはVLP(ウイルス様粒子)と呼ばれていますね。革新的な技術として、医学界で脚光を浴びていた、とうかがっています。どこが優れているのでしょうか。

赤畑 VLPとは、遺伝子をもたない、いわゆる空っぽなウイルスのことです。タンパク質の殻だけなので感染や増殖はしないのですが、免疫系はその殻の形に反応して抗体を作ります。すると、中身の入った同じ殻を持つウイルスがやってきても、抗体が攻撃してくれるようになるんです。

奥田 副作用がないとは、安全ですね。ワクチンの開発は、自分で選んだ道なのでしょうか。

赤畑 そうです。実は、医者になるよりも、研究者になりたかったのです。そういう意味では、自分で選んだ道ですね。研究者のほうが、大勢を救えると、若い時分は考えていたので。

奥田 医者か研究者で迷うとは……。お生まれはそんな環境だったんですか?

赤畑 実家は尾道でスーパーマーケットを営んでいました。ところが私が高校生くらいのときにつぶれてしまい、それで父親は無職になってしまったんです。

奥田 苦労をなさったのですね。

赤畑 小学生の頃は、暗くなるまで野球をして、夕飯の時間に団地に帰るじゃないですか。それぞれの家が近づくと夕飯のいい匂いがして、みんなでバイバイする。それが“幸せの原点”のような気がします。高校2~3年生の頃にそんな生活も崩壊してしまったわけですが……。

奥田 大変な時期だなぁ。そんな不安定な環境にあっても東大を目指したのですね。

赤畑 研究者になって何か多くの人の「普通の生活」に役立つようなことができればと思って勉強しました。それは、小学生の頃の自分にとって当たり前だった平和な幸せの時代が戻るといいかもと考えていたのかしれませんが……。

奥田 当たり前の生活も難しいということですね。

赤畑 ガンのワクチンも開発しているんですけれども、ガンにかかった患者さんに何がしたいかとたずねると、「普通の日常生活を送りたい」と言うんですね。それが多分、本当のことだと思います。その一番大切な「普通の生活」をワクチンで取り戻すことができるのだったら、最高じゃないですか。

 ただ、ワクチンは誰にも感謝されないという性格をもっています。病気を予防する薬なので、防いだら何も痕跡が残りませんから。

奥田 ありがたみが分かりづらいですね。

赤畑 病気になってから飲んで治す薬とは違います。だけど、普通の人の一番大切な日常生活を陰ながら守っているのです。

奥田 お父さんの会社にもこうしたワクチンがあったら良かったのですが……。

赤畑 そうかもしれませんね(笑)。

トラウマを乗り越え起業する覚悟を決める

奥田 今の道は、自分で選んだのか、成り行きなのか、どちらだと思いますか。

赤畑 いくらチャンスが転がっていても、どれをつかむのかは自分です。例えば、偶然に出会った人がとても魅力的でも運命の人になるか否かは、自分がアプローチするか否かによって変わるじゃないですか。だから、今ある私も、自分でつかんだ道だと思います。

奥田 明確に「つかんだ!」と自覚された瞬間はありましたか。

赤畑 あります。あります。自分の会社を立ち上げたときです。1年ほど悩みました。もともと大学の教授になりたかったので、起業する気は毛頭なかったんですよ。

奥田 へぇ~、起業は頭になかったんだ……。

赤畑 ある人たちとの出会いがあって、起業を勧められたんですが、すぐには決断できなくて、迷いに迷いました。父が事業に失敗しているから、それだけはやりたくなかったんです。まったく同じことが起きたときに、お金が無ければ家族の仲がどれほど悪くなるのか、身をもって知っていましたから。

奥田 起業と倒産。そこは引っかかりますよね。

赤畑 まあ、でも、思い切ってやってみようかなって決断して……。いま振り返れば、いい選択だったと思います。

奥田 何が決め手になったんでしょう?

赤畑 広島県には、家庭内で男の立場が強い風潮があるんです。「ぐちゃぐちゃしている男はダメな奴」みたいな。どうも私は気が付かないうちに奥さんに“ぐちぐち”していたらしいんです。そしたら彼女に「そんなにぐちぐちしているんだったら、やったら!」と言い切られてしまって。それで決めました。

奥田 あら、ずいぶんはっきり言い切られましたね。バランスがとれていますね。

赤畑 大きな判断は、もう一つありました。ベンチャー企業をやるとなっても、当初は大学の講師と会社の半々でやるつもりだったんです。でも、スタートアップを応援する小さな集まりがあったとき、いろんな方と話をしました。そうしたら、そもそもベンチャーは120%努力しても95%がつぶれていると。これは中途半端にやったらつぶれると思って、やるんだったら全力でやろうと。

奥田 覚悟ですね。後悔はないわけですよね。

赤畑 今はしていません。なにより幸運だったのは、自分自身よりも深く私を信じてくれる人がいたことが大きかったです。

奥田 おぉ。これまでいろんな人に会いましたが、そんな言葉は聞いたことはありません。感銘ですね。

赤畑 財政面と精神面のサポートがあって、恵まれた環境です。その期待に応えたいのです。

奥田 期待に応えるということは、投資に対する回収でしょうか。

赤畑 まだ臨床試験の段階ですから、今はゼロですが、2022年に形になっていればいいなと思います。

奥田 詳細な計画はあるのですか。

赤畑 臨床試験を重ね、ワクチンが完成したら、まずは旅行者や軍関係者に使ってもらいたいと思います。一般生活者よりも必要とされ、お金も出てくるはずですから。最初はビジネスマーケットとして市場をとらえ、ある程度お金にめどがつけば、普及価格で資金的に乏しいアフリカの人たちに持っていきたいと考えています。(つづく)
 

学生からの寄せ書き

 慶応義塾大学と大学院の学生がワシントンDCのいろいろな国際機関を見学、そこに勤務する人たちに話を聞くというプログラムがあり、当時、NIH(米国国立衛生研究所)で働いていた私が講義をした際にお礼にもらった色紙が宝物。このプログラムを立ち上げた久能祐子(くのうさちこ)先生、上野隆司(うえのりゅうじ)先生にこのとき初めてお会いして、VLP Therapeuticsという会社を起業するきっかけになった。
 
 

心に響く人生の匠たち

 「千人回峰」というタイトルは、比叡山の峰々を千日かけて駆け巡り、悟りを開く天台宗の荒行「千日回峰」から拝借したものです。千人の方々とお会いして、その哲学・行動の深淵に触れたいと願い、この連載を続けています。

 「人ありて我あり」は、私の座右の銘です。人は夢と希望がある限り、前に進むことができると考えています。中学生の頃から私を捕らえて放さないテーマ「人とはなんぞや」を掲げながら「千人回峰」に臨み、千通りの「人とはなんぞや」がみえたとき、「人ありて我あり」の「人」が私のなかでさらに昇華されるのではないか、と考えています。
 
奥田喜久男(週刊BCN 創刊編集長)
 
<1000分の第246回(上)>

※編注:文中に登場する企業名は敬称を省略しました。

Profile

赤畑 渉

(あかはた わたる)
 1973年、広島県生まれ。東京大学教養学部基礎科学科卒業。97年、京都大学大学院人間環境学研究科入学。速水正憲教授のもとHIVワクチンの開発に携わる。2002年、同大大学院で博士号取得。同年、National Institutes of Health(国立衛生研究所)入所。09年から「VLP(ウイルスの形をした空粒子)」を使ったチクングンヤ熱のワクチン開発チームを総括。12年、VLPを使ってさまざまな病の新薬を開発するために、VLP Therapeutics(VLPセラピューティクス)を創設してCEOに就任した。