来たるべきプログラミングレスの時代にこそ 求められるエンジニアの力量――第242回(下)
石田裕三
野村総合研究所 産業ITグローバル事業推進部 上級アプリケーションエンジニア
構成・文/小林茂樹
撮影/山中順子
週刊BCN 2019年9月23日付 vol.1793掲載
石田さんは1998年に社内の海外留学生候補に選ばれ、翌年夏から2年間、米国のカーネギーメロン大学に留学した。そこで出会い、持ち帰った技術はオープンソースだったが、オープンソースに対する当時の評価はまだ懐疑的で、社内の理解を得るために相当な苦労を強いられたそうだ。しかし「間違いなくこれは使える」と確信した石田さんは、その意思を曲げなかった。「上司に“珍獣”とあだ名をつけられたんですよ」と笑う石田さんだが、その目利きも一流だったのだ。(本紙主幹・奥田喜久男)
日本人は前向きなエネルギーを
もっと発揮すべき
奥田 石田さんは「納得できないこと」をエネルギーの源泉にしてきたとおっしゃいましたが、それは具体的にはどんなところですか。石田 ビジネスの視点で言うと、かつて日本が焼け野原となった戦争直後は、ある意味何もないので、どんどんチャレンジをして、よりよいものを生み出すための前向きなエネルギーを発揮していたのだと思います。ところがいまは、失敗してはいけないと、みんながリスクを恐れるようになってしまいました。本来、日本人の魂をもってすればもっと先に行けるはずなのに、そこに蓋をしてしまっているというところが納得できないですね。
奥田 日本人の魂とは?
石田 令和の時代になったから言うわけではないのですが、その一つは、聖徳太子の「和を以て貴しとなす」の「和」ではないかと思います。それは人類の知恵でもありますが、人々が協力し合うことで獲物を仕留めたり、人間同士で搾取するのではなく助け合うことによって、ひ弱な人間がこの地球に君臨していけるということにも通じます。私がいまお付き合いしている中小製造業も、後継者難などの理由で倒産ではなく廃業するところが増えていますが、大企業を含めた「和」の精神が発揮されれば、もう少し状況は異なってくるのではないでしょうか。
奥田 いまの日本の産業界には、アグレッシブさや大局観が欠けていると。
石田 私はIT業界にいながら、IT業界が成長するために必要なのは「創造的破壊」ではないかと思っています。ITでお金を儲けようとかITでビジネスをしようという「売る側の論理」がある一方で、ITは社会的問題やビジネスの課題を解決する手段であると見ることができます。
正直なところ、そこに業界人としてのジレンマがあるわけですが、立場の違いもあり、うまく回っていないところがたくさんあるわけです。それを解決するためには、ITベンダー側にいながらユーザー側に立って、もう一度、ITというツールをどうやったら本当に生かせるかを考える必要があると思っています。
奥田 具体的には、どんな取り組みですか。
石田 いま、官庁や大学とのアライアンスをやり始めています。まだ入り口に立ったくらいの段階ですが、せっかくIT業界におり、これまでの経験もあるので、欧米の受け売りではなく日本の産学官連携のハブになりたいですね。
まずはやってみて後で考えるという行動パターン
奥田 石田さんの場合、ビジネスのアイデアはどのように生み出すのですか。石田 組織の中で下りてきた課題や要望から、きっかけをもらうことが多いですね。あるいは、中小製造業とのおつき合いの中でヒントをいただいたり、ご縁をつないでいただくこともあります。
つまり、ゼロから考えてインスピレーションがふっと浮かぶというより、何となく自分が思っていることにご縁の兆しを感じて「あ、これだ!」と思ったら飛びついてみるような感じです。それで全部がうまくいくわけではありませんが、まずはやってみて、後で考える。やる前にどうだろうと考えている時間がもったいないので、まずはやってみる。だから、失敗の数を増やすということが行動パターンとしては多いかもしれないですね。
奥田 なるほど、まずはやってみると。ところで、プログラミングについて、石田さんの思うところを少しお話していただけますか。
石田 コンピューター言語はたくさんありますが、プログラムを書いてミスをするプロセスは、COBOLの時代もJAVAの時代もまったく同じです。値に名前をつけて、その値をどこかに移動させて計算するという基本的な原理は何も変わりません。人の名前を読み違えるのと同じように、コンピューターも名前を間違えて指定してしまうと、当然、結果が違ってきます。このミスを検証するために、似て非なる問題について、非常に多くのエンジニアが世界中でテストを繰り返しています。これは大いなる無駄といえるでしょう。
人間は集中力がなくなったときにミスをするわけですが、集中力が途切れない人なんて絶対にいません。だから、集中力が下がったときでもミスをしないような、あるいはミスを機械的に検出できるような仕組みをつくることが求められていると思います。
奥田 なかなか大きな問題ですね。
石田 そうですね。これは、計算機科学の根本にある数理的な原理にかかわるものですが、それを使ってこの問題を本質的に解こうとしているところです。言い方を代えると、プログラミングレス、つまり人間が表現したいことをミスなく機械にやらせることが可能になれば、いま必要とされている大勢のエンジニアはいらなくなってしまいます。
奥田 もし、それが実現したらどうなりますか。
石田 そのエンジニアたちが活躍するステージが一段上がるというか、プログラミングではないもっと創造的なところに行けるはずです。ビジネス上の問題やITによって解決されていない世の中の問題に意識やエネルギーを注ぐことで、その問題解決に近づけることができるわけです。
奥田 そうした石田さんの取り組みは、どう表現されるのですか。
石田 それをキーワードで表現すると「事実データ中心指向」となります。データ中心指向(DOA : data oriented approach)というのは、80年代からありましたが、その前に「事実」をつけているんです。「私は何年何月何日に生まれました」という事実もあれば、「私の年齢は何歳です」というのもあります。この「何歳です」は事実ではないと私は思います。生年月日があって、今日の日付があれば、年齢は計算で求められるじゃないですか。「何歳です」というのは「状態」であり、事実データ中心指向では本当の事実しか書きません。あるいは、在庫について入りと出が万引きや破損も含めて事実として管理されていれば、計算で論理在庫と物理在庫が合うはずです。だから、在庫というのも状態なのです。
奥田 事実だけを使って、状態を導き出すと。
石田 そうです。これができてしまうと、今度はシステム開発が限りなくゼロに近づいていきます。資金力の乏しい中小製造業などにもデータ活用が容易になるわけです。
奥田 少なくとも壮大な計画であることは理解しました。これからも、ますますのご活躍を期待しています。
こぼれ話
アクションの早い人である。必要とあればどこにでも出かけていく人である。原点および座標軸が定まった人である。思考の深さをとうとうと語る人である。直感と縁を大切にする人である。学歴と職歴だけを見ていると技術者なのだが、話をしていると、感度の高い活動家に思えてくる。今回はIT分野に限った対談であったが、この枠を外すと、明治維新の志士たちはきっとこうした要素を備えた人物ではなかったかと思う。今回のように対談の顔合わせが初の時にはお互いのすり合わせ時間が必要だ。短時間でそれを終えるや、その後は話が盛り上がるばかりである。いやいや、正確に言えばどんな話題でも石田さんは盛り上げてくれる。システムの技術論ともなると解説および石田さんの信念めいた主義主張が、早口で進む。実は「分かんない」と私は思っているのだが、容赦なく続く。でもいいのだ、聞き流しておけば。普通は失礼なことなのだが、石田さんは話しながら論の組み立てを試みている節があるからだ。それも徹底して考え続けている。その時、たまたま私がいたという具合ではないかと思う。
石田さんはスポーツも徹底する。幼少期にはただひたすら棒を打ち込む剣術を習っていた。というより、修行に近かったのではないか。同じことの繰り返しだから飽きるのではとも思う。が、もしかすると棒への打ち込みを繰り返す間に敵対する人の打ち込みをイメージして、空想の中で戦っていたのではないか。石田さんの思考好きはこの打ち込み修行で培ったのではないかと勝手に考えた。次にお会いした時に確認してみよう。
「千人回峰」というタイトルは、比叡山の峰々を千日かけて駆け巡り、悟りを開く天台宗の荒行「千日回峰」から拝借したものです。千人の方々とお会いして、その哲学・行動の深淵に触れたいと願い、この連載を続けています。
「人ありて我あり」は、私の座右の銘です。人は夢と希望がある限り、前に進むことができると考えています。中学生の頃から私を捕らえて放さないテーマ「人とはなんぞや」を掲げながら「千人回峰」に臨み、千通りの「人とはなんぞや」がみえたとき、「人ありて我あり」の「人」が私のなかでさらに昇華されるのではないか、と考えています。
※編注:文中に登場する企業名は敬称を省略しました。
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Profile
石田裕三
(いしだ ゆうぞう)
1970年、埼玉県生まれ。慶應義塾大学理工学部電気工学科卒業。93年、野村総合研究所入社。99年、米カーネギーメロン大学に留学。経営学とソフトウェア工学を学ぶ。2001年の帰国以降はオープンソースを活用したプロダクトラインの構築に励む。専門は「関心事の多次元分離」。史上最強のMBAプログラマーを自負する。剣道二段。スキーも、かつてSAJ(全日本スキー連盟)の指導員や検定員資格を取得したほどの腕前。