毎日生きていることが今はとても幸せです――第229回目(下)

千人回峰(対談連載)

2019/03/08 00:00

木村宏之

木村宏之

合資会社アイティ企画 代表

構成・文/浅井美江
撮影/松嶋優子

週刊BCN 2019年3月11日付 vol.1767掲載

 常軌を逸する過酷な環境のもとで働いたことで、木村さんは心を病んだ。しかし、それに対して恨みつらみを口にしても仕方がないという。鬱病に対する世間の認識は、以前よりは進んだかもしれないが、本人にとって厳しい状況にあることに変わりはない。木村さんは2019年に50歳を迎える。人生100年といわれる時代にあって、ちょうど折り返し地点。先はまだまだ続く。まっすぐな木に陽の光がたくさん当たるようにと願う。(本紙主幹・奥田喜久男)

2018.11.8/BCN 22世紀アカデミールームにて

駅のホームで突然駅員さんに引っぱられた

奥田 木村さんは過酷な労働環境のもとで、心の病を発症されました。ご自身の自覚はあったんですか。

木村 いえ。周りから顔色が悪いから医者に行ったほうがいいと言われたことがきっかけでした。最初は内科に行ったんですが、メンタルクリニックを勧められました。

奥田 それが06年5月。病名を聞いて自分でも納得しましたか。

木村 もう受け入れるしかないなと思いました。

奥田 当時の仕事はメガバンクの合併に関するプロジェクトでしたよね。05年10月に発症されるまでの7カ月の間に、ご自身のなかであきらかに変化があったと思われますか。

木村 ぶっそうな話で恐縮ですが、当時の職場からの帰りのことです。駅のホームで電車を待っていたら、突然、駅員さんに引っぱられて後ろに倒されたことがあったんです。自分では何が起こったか分からなかったけど、「お客さん、あなた今、飛び込もうとしていましたよ」と言われました。

奥田 木村さん自身にはそういう意識はないけれど、そんなことがあったんですね。

木村 駅員さんにそう言われて、初めて「ああ、そうか」と。

奥田 僕、同じ経験があります。BCNを創業して6年か7年くらいだったかな。会社自体は伸びているんです。でも伸びている時って、過酷なんです。人や資金、モノを作っていくことの苦労がたくさんあった。まだ若かったこともあって、自分自身でそれを吸収したり消化したりができない。あらゆる苦労を丸呑みしてしまうんです。

木村 はい。

奥田 ある時、神田駅で僕は電車を待っていた。神田はいろんな路線が走っていますから、ホームが複数あります。僕が立っていたホームの向こうに友達が立っていたらしいんです。それで翌日その友達が、当時、僕の右腕の社員に言った。「奥田さんが危ないよ」と。

木村 ……。

奥田 自覚はまったくありませんでした。でも、その友達には僕が電車に飛び込みそうに見えた。だから危ないと。それを聞いたその社員が、時間をかけてゆっくりと僕を戻してくれました。そんなことを経験しているので、木村さんのことは何となく分かります。背負っていたものが、すごく重かったんですね。

木村 そうですね。それなりに重かったのでしょう。私の在職7カ月は長いほうでした。短い人は1カ月待たずに辞めていく人が多かったですから。

奥田 鬱と診断されてからも仕事を続けられた。

木村 途中で辞めるわけにはいかなくて。でもプロジェクトが終了した後、入院という形で休みを取りました。

奥田 発症から12年ほどになります。今の調子はどうですか。

木村 良くなってきているねとか、症状が治まってきているね、ということは言われます。

奥田 鬱というのはどういう状態をいうんでしょう。

木村 定期的に通院していますが、毎回医師から聞かれるのは「気分の調子はどうですか」という問いかけです。高揚している、落ち込んでいる、特に変化はない、その三つでいうとどれに該当しますか、という質問形式で診察を受けます。

奥田 自分の心の座標軸があって、基点があるとすれば、病気の状態によって座標軸が動く。それを医師が診断するということですか。

木村 診断の日でなくても、アップアップした時は自分から医師に電話をかけたりしていましたが、今はもう、それはありません。普通の状態です。

葛藤はあるけど、恨まないあれこれ考え過ぎないこと

奥田 今の生活を教えてください。どんな毎日ですか。

木村 夜11時くらいに就寝して、朝5時に起きます。

奥田 仕事は?

木村 今はしていません。少し前まではある会社の管理部経理課というところで、データ入力やチェック、ファイリングの仕事をしていました。

奥田 じゃあ生活はどうされているんですか。食べていかないといけませんよね。

木村 1年ほど前から、障害年金というのをいただいています。

奥田 ああ、それはありがたいですね。どうするともらえる仕組みなんですか。

木村 国の年金機構で、医師の診断書と所見をつけたものを提出すると、先方が判定して給付するかどうかが決まるんです。

奥田 鬱になってプラスになることはありますか。

木村 あれこれ考え過ぎないことでしょうか。

奥田 自分で抑制するわけですか。ふ~む。僕も(抑制を)やってみようかな。ところで、木村さん、かつて鬱になった時のことを恨んだりはしませんか。

木村 恨みつらみはありません。

奥田 どうして?きっかけはあの時の仕事でしょう。

木村 その時その場で、必要な方が必要な判断をされたことだろうと。それに尽きます。(しばし考えて)何と言えばいいんでしょうか……。ごねたり、粘ったりしても、いい答えにはたどりつかないと思っているので…。

奥田 いい答えとはどんな答えですか。

木村 自分にとって都合のいい答えにはならないということです。大義名分があればいくらでも戦うんですが、こと自分のことに関しては大義名分を持たないようにしています。ご都合主義になるだけだと思うので。

奥田 誰が誰にとってのご都合主義ですか。

木村 私が私にとってのご都合主義。

奥田 でも、やっぱり恨みたくなりませんか。

木村 恨みたくはなる、かもしれませんが、そんなことをしても仕方がない。

奥田 自分のなかで葛藤はありますか。

木村 あります。何かがあると、その都度、葛藤します。いい話を振られ、やっぱりなしと言われると腹も立ちますし。腹が立つというのは葛藤していることだと思いますから。

奥田 なるほど。まだ49歳。先は長いですよね。どんなふうに人生を考えていますか。

木村 とりあえず、人様に迷惑をかけず、私がお役に立てることがあったら何でもやっていきたいです。まずは就職したいですね。

奥田 木村さん、今、幸せですか。

木村 毎日生きていることが幸せなので、本当に幸せです。

奥田 最後の質問です。好きな本はありますか。

木村 ダサいと言われるかもしれませんが、太宰治の『走れメロス』が好きですね。

奥田 どの部分が好きとかありますか。

木村 セリヌンティウスがメロスに対して献身的なところが好きですね。小学校5年生の夏休み、読書感想文を書くために読んで以来、ずっと好きです。

奥田 太宰治ですか。僕は『二十四の瞳』です。

木村 壺井栄ですね。

奥田 そうそう。僕も読書感想文のために読んで以来、今も好きですね。壺井栄に手紙を書こうと思ったくらい(笑)。ほかにはどんな本を。

木村 池井戸潤の『下町ロケット』ですね。

奥田 なるほど。今日はいろいろなことを聞かせていただいてありがとうございました。
 

こぼれ話

 「木村さん、(千人回峰に)登場してくれてありがとう」。初めてBCNに訪ねてこられた時、名刺交換をしながら戸惑いましたよ。要件はなんだろう。どう対応したら良いのだろうか。心の中で、ぐるぐると考えが勝手に回り始め、ぎこちなく会話が始まりましたね。じっと私を見ている木村さんを感じながら、さらに話題を探しながら、時間が長いと感じました。私のほうが緊張していたように思います。

 「仕事、ありませんか」。一語一語をゆっくり丁寧に話される様子で、木村さんの置かれている状況をつかみました。
 背広の肩の汚れが目につき、ネクタイの締り具合はチグハグ。「職探しに困っています」という。そうだろうなと頷きながら、職歴を聞いた。そうなんですか、と相づちを打ちながらも会話は弾んだ。IT産業の立ち上がりの時代にしっかりした仕事をしてこられた、と思った。ちょうど私のIT記者の現役時代と沿っていたから、話題も懐かしかった。会話の中に固有名詞が出てこなくても、企業名は頭に浮かんできた。

 木村さんの呼吸が浅くなってきた。長く話し過ぎたかしら、と考えて、ひと呼吸入れた。一瞬、時が止まった。「人を恨んでいませんか」と問うた。「はぁい、恨んでいません」。今が幸せなんですという答えが返ってきた。本当ですか、なぜですか、と聞きながら、ハラリと涙がこぼれた。感情移入をし過ぎた経験はこれで二度目だ。『千人回峰』の第1回目に登場して頂いた千葉三樹さんの時以来だ。ジャック・ウエルチ氏にバカやろうと言ってGEを退職してからの生き様を聞いた時だ。あの時もこの時も、同じ心の味がした。
 


心に響く人生の匠たち

 「千人回峰」というタイトルは、比叡山の峰々を千日かけて駆け巡り、悟りを開く天台宗の荒行「千日回峰」から拝借したものです。千人の方々とお会いして、その哲学・行動の深淵に触れたいと願い、この連載を続けています。

 「人ありて我あり」は、私の座右の銘です。人は夢と希望がある限り、前に進むことができると考えています。中学生の頃から私を捕らえて放さないテーマ「人とはなんぞや」を掲げながら「千人回峰」に臨み、千通りの「人とはなんぞや」がみえたとき、「人ありて我あり」の「人」が私のなかでさらに昇華されるのではないか、と考えています。
 
 主幹 奥田喜久男(週刊BCN 創刊編集長)
 
※編注:文中に登場する企業名は敬称を省略しました。
 

Profile

木村宏之

(きむら ひろゆき)
 1969年生まれ。東京都練馬区出身。東京電子専門学校コンピュータ学科卒業。プログラマとして就職後、営業推進や社長室室長などを経て、日本電信電話公社(現NTT)が主導するキャプテンシステムに関わる。2001年独立して自身の会社を設立。