旧来のビジネスモデルをリセットし21世紀型のメディアの仕組みを構築する――第212回(下)
藤村厚夫
スマートニュース 執行役員 メディア事業開発担当
構成・文/小林茂樹
撮影/松嶋優子
週刊BCN 2018年7月2日付 vol.1733掲載
渋谷区神宮前に本社を構えるスマートニュースのオフィスは、ちょっと米国発ベンチャーの匂いがする。エンジニアやクリエイターの力を発揮できるよう、デザインや配置もよく考えられており、ひと言でいえばカッコいいのである。そんなオフィスの一隅に、大きめのマガジンラックが設えてあり、さまざまな種類の新聞や雑誌が置かれている。「この頃の人はネットだけで事足りるのかもしれないけれど、やっぱりこういう仕事だから」と藤村さん。そうした発想はとても大切だと思った。(本紙主幹・奥田喜久男)
消費者の多様な欲求に「答え」を提示していく
奥田 ところで、スマートニュースに掲載されるコンテンツは誰がどのようにして選ぶのですか。藤村 私たちが設計したプログラムによって選択しています。
奥田 プログラムが選択するということは、プログラムをつくる人が要件定義をしますから、人が介在しているわけですね。
藤村 そうです。
奥田 要件定義をしているのは、どんな人たちですか。
藤村 シンプルにいえば、創業者がまず原型をつくり、今はその発展系を営々と開発し続けています。エンジニアの人たちや一緒に働いている私を含めたメンバーの総和が寄与しているといえます。
奥田 そこには、何人くらいの方の哲学が含まれているのでしょうか。
藤村 哲学の根幹は、鈴木(健会長)と浜本(階生社長)の創業者二人です。彼らが最初にこうありたいと思ったものが太い幹をなしていることは間違いないと思いますね。
奥田 それは、コンテンツを流通させる部分における哲学なのか、それともコンテンツを提示する部分における哲学なのでしょうか。
藤村 たぶん両方に影響すると思うのですが、出発点はとてもシンプルです。自分が一消費者、一インターネットユーザーであると考えたときに、「こういうふうにコンテンツを読みたいね」とか「こんなコンテンツが欲しいね」という期待に対して最大限の答えを出したいと創業者の二人は思っていて、それをスマートニュースという形でスタートさせたということです。
奥田 その「答え」とは?
藤村 たとえば、話題になっているニュースや旬な情報が、欲しいと思った瞬間に、アプリを開けば提示されること。しかも品質の高いものが優先的に表示され、それは24時間365日、停止することなく動いており、さらに、スマートフォン上で気持ちのよい操作性が実現されること。そうしたことが、ユーザーに向けた私たちの一つの「答え」であると思います。
奥田 ユーザー本位のコンテンツ提供を、ということですね。
藤村 過去、コンテンツを供給する側の論理のほうが強かった傾向がありました。既存のメディアは、自分たちがつくっている質の高いコンテンツを、自分たちが提示する印刷物、あるいはパソコンで見てくれればいい、といったスタンスです。だから、夜中にベッドの中で読みたいとか、新聞各紙を比較しながら読みたいといった願望があっても、それはかなわなかったわけです。ところがスマートフォンの時代になり、スマートニュースのようなサービスが実現すると、そういう声に耳を傾けることが必要なことがわかってきました。やはり、いまは消費者の期待に寄り添ったつくり方、あるいはそういうサプライチェーンを設計し直すことが求められているのだと思います。
奥田 私はスマートニュースもメディアであると捉えているのですが、たとえば政治的なスタンスについてどう考えておられますか。
藤村 基本的には、政治的な色彩を極力排除する立場です。もともとスマートニュースの出発点にあったのは、いろいろな視点でニュースを見ることができるということであり、朝日新聞や産経新聞の記事が並んで表示されることもあるわけですが、それは多様性の視点が提供できるという意味で重要だと思っています。ユーザーに対して、バランスよく栄養(情報)をとってもらいたいという気持ちですね。
「うるさ型の爺さん」はどんな時代にも必要だ
奥田 ところで、このスマートニュースには、藤村さんの何を注入しようとしているのですか。藤村 う~ん、それって私に対する質問ですか?
奥田 だって、すごく深く物事を考えておられるし、とくにインターネットやウェブの世界では、哲学をもって発言されているじゃないですか。老骨に鞭打って…(笑)。
藤村 そうですよね(笑)。自身の個人的な感覚でいうと、非常に能力の高いエンジニアを集めて、彼らの力を最大限に発揮して、少数の力で世界まで行けるような事業体がつくれたらいいと思っていました。それはステップ・バイ・ステップで進めているつもりですが、とはいいながら、頭のいい人たちの集団について回る危険な落とし穴があるとも思っているんです。
奥田 それはどんな?
藤村 たとえば、多くの優れた才能を、金儲けや競争のためだけに浪費することですね。本来、自社が大切にすべき価値観や企業としての社会的使命を忘れ、常識から外れたビジネスを展開するようなことが、時として起こります。
奥田 なるほど、ありますね。
藤村 あえてイヤな言い方をすると、これは、優秀な人たち、学歴の高い人たちがややもすれば陥りがちな、ある種の落とし穴なのだと思います。グーグルも直面したかもしれないし、フェイスブックも直面しているかもしれません。そういうことを防ぐために、ちょっと視点の異なる人間がいたほうがいい気がします。それはいわゆる“常識”なのかもしれないし、うるさ型の爺さんの繰り言かもしれませんが、そこでウダウダ言うことも大事なんじゃないかと。
奥田 同感です。ところで、藤村さんは次に何を求めていかれるのか気になりますね。
藤村 また、転職活動ですか(笑)。真面目な話、スマートニュースは20世紀からみると近未来的な仕組みになっていると思うのですが、顕在化された意識の上で、将来かくあるべきというものを本当に見極められているのかといえば、まだぼんやりしているのが実際のところだと思います。
奥田 真の21世紀のメディアの探索ですね。
藤村 そのぼんやりしているところをクリアにしていかなければなりませんが、そこで必要なのは大きな組織や高度な事業とは限らず、ひょっとすると自分の頭の中で整理がつくかもしれないし、あるいは誰かと何かを始めたら見えてくるものがあるかもしれません。
あるいは、メディアと関係ないように見えている仮想通貨やブロックチェーンのようなものが、21世紀のメディアの仕組みをドラスティックに変える可能性もあります。そうしたことを考えると、また次の旅もあるかもしれません。もっとも、サラリーマンならもう定年年齢を過ぎていますけれど…(笑)。
こぼれ話
スマートニュースの設立は2012年6月15日。藤村さんは創業直後に入社して、ニュース記事の仕入れに相当するマスメディアとの記事連携業務に携わったそうだ。創業間もないスマートニュースにとって、ハードルの高い仕事であっただろうと推察する。同社の事業活動の主軸を担っておられたわけだ。次に携わったのは、良質な記事を機械的に読み込んでピックアップするアルゴリズムの開発。この業務は同社創業者の得意とする分野だそうである。続いては、スマートニュースアプリのプロモーション活動だ。こうした一連の事業活動の回転速度を上げ、渋谷駅宮下公園近くに500坪を超える新事務所を構えるほどのすぐれた業績を上げてこられた。15年10月13日の同社広報資料にはオフィスのコンセプトがきめ細かく記されている。人の生き方と働く環境の哲学がベースになっているとみた。今回の対談はその室内で行った。一般的なオフィスとは非日常な環境だ。入社を希望する人は山のようにいる一方で、退職する社員は皆無ではないかとさえ思えるほど、この会社は輝きを放っている。
新事務所への移転直前、15年9月11日付のDODAに「スマートニュース 藤村厚夫氏が語る、時代のリスクに立ち向かうための力とは」と題する記事が掲載されている。この記事には、藤村さんのメディア論の根幹が表現されている。一読に値する。
藤村さんとの再会は、BCNの記事がスマートニュースに配信開始したことがきっかけとなった。今年1月のことだ。その日を境にPVが爆発的に増加したものだから、スマートニュースのことをもっと知りたいと考えて、会社概要を調べてみた。そして驚いた。「あれっ!? 藤村さんだ」。対談の当日、「頼まれても、私には何もできませんからね」と、微笑みながら先手を打たれてしまった。どうもお腹の中を見透かされたようである。千人回峰のホストとして、まだまだたくさんの方々にお会いし、修行を積まねばなるまい。いまだ道半ば。
「千人回峰」というタイトルは、比叡山の峰々を千日かけて駆け巡り、悟りを開く天台宗の荒行「千日回峰」から拝借したものです。千人の方々とお会いして、その哲学・行動の深淵に触れたいと願い、この連載を続けています。
「人ありて我あり」は、私の座右の銘です。人は夢と希望がある限り、前に進むことができると考えています。中学生の頃から私を捕らえて放さないテーマ「人とはなんぞや」を掲げながら「千人回峰」に臨み、千通りの「人とはなんぞや」がみえたとき、「人ありて我あり」の「人」が私のなかでさらに昇華されるのではないか、と考えています。
※編注:文中に登場する企業名は敬称を省略しました。
Profile
藤村厚夫
(ふじむら あつお)
1954年、東京都日野市生まれ。78年、法政大学経済学部卒業。90年代にアスキー(現KADOKAWA)で月刊誌編集長、ロータス(現日本IBM)でマーケティング責任者を務め、2000年にアットマーク・アイティを起業。その後、合併を経てアイティメディア代表取締役会長。13年4月より現職。現在は、数多くのメディアパートナーとの折衝を担当。並行して、個人ブロガーとして、デジタルメディアの将来像設計を中心主題に据えた執筆および講演活動を継続している。趣味は、野球観戦および自らプレーすること。