経営のコツを知れば百万両 実践すれば一千万両の価値となる――第148回(上)

千人回峰(対談連載)

2015/11/19 00:00

佐久間 曻二

ぴあ 社外取締役 佐久間曻二

構成・文/小林茂樹
撮影/大星直輝

週刊BCN 2015年11月16日号 vol.1604掲載

 佐久間さんは、穏やかな表情で「サラリーマンとしてはバカなんです」とおっしゃる。入社2年目、こともあろうに松下の社歌や七精神を「古臭い」と言い放った話をうかがうと「サラリーマンとしては」の意味が得心できる。ところが29歳にして幸之助会長から直接説明を求められたときは、「松下の理念に反することをしてはいけない」そして「トップの判断を誤らせてはいけない」という一心だったという。でも、この流れに一切の矛盾はない。常にそこに「何が正しいのか」という自問があったからだ。(本紙主幹・奥田喜久男  構成・小林茂樹  写真・大星直輝)

2015.10.9/東京・千代田区のBCN22世紀アカデミールームにて
 
心に響く人生の匠たち

 「千人回峰」というタイトルは、比叡山の峰々を千日かけて駆け巡り、悟りを開く天台宗の荒行「千日回峰」から拝借したものです。千人の方々とお会いして、その哲学・行動の深淵に触れたいと願い、この連載を続けています。

 「人ありて我あり」は、私の座右の銘です。人は夢と希望がある限り、前に進むことができると考えています。中学生の頃から私を捕らえて放さないテーマ「人とはなんぞや」を掲げながら「千人回峰」に臨み、千通りの「人とはなんぞや」がみえたとき、「人ありて我あり」の「人」が私のなかでさらに昇華されるのではないか、と考えています。
 
株式会社BCN 会長 奥田喜久男
 
<1000分の第148回(上)>

※編注:文中に登場する企業名は敬称を省略しました。
 

入社2年目、専務を激怒させる

奥田 事前にいただいた資料を拝見すると、松下時代のご活躍もさることながら、WOWOWを短期間で再建されたプロセスには唸らされました。佐久間さんの手にかかればどんな会社でも立ち直らせることができるのではないですか。

佐久間 それはわかりません。たまたま運がよかったのでしょう。ただ、かつて(松下)幸之助さんの言ったことを自分なりに咀嚼し、経営のコツを理解して応用したということはありますね。

奥田 コツですか。

佐久間 幸之助さんは「経営のコツを知ることには百万両の価値がある」と言っています。私が松下で学び、百万両の価値があると思って自分なりにまとめた「三つの心構えと七つの決め手」というものがあるのですが、これをWOWOWで実践して、一千万両の価値にすることができたと自己満足しているんです。

奥田 一千万両ですか。すごい充実感ですね。ところで、松下時代にもいろいろなエピソードをおもちですね。この資料によると、入社2年目、25歳のときに「高橋(荒太郎)専務を怒らせる」とあります。これは?

佐久間 松下電器では、毎朝、社歌を斉唱し「七精神」を唱和するのですが、きちんとした内容とはいえ「産業報国の精神」といった戦時中の言葉が使われ、若い人間にとってはやり方がいかにも古い。高橋専務がモーター事業を再建できたのも、品質改善や商品開発といった施策を打ったからであって社歌を歌ったからではないと、若手を集めた懇談会の場で言ってしまったんですね。

奥田 それはとても大胆ですね(笑)。

佐久間 君は本社で訓練を受けたのかと激怒され、受けましたと言うと、もう一度本社に呼び戻して教育しなければいけないと。そのあたりから要注意人物と思われたんでしょうね(笑)。
 

トップの判断を誤らせてはいけない

奥田 そして、20代後半に二度にわたって「建白書」を出したとあります。これも穏やかではないような……。

佐久間 現場の流通が混乱し、販売店が困窮していることを憂慮して、若手社員数人で幸之助さんに直訴しようとしたのです。これが1960年のことですが、幸之助さんに届く前にストップをかけられてしまいました。ところがその2年後、全国の販売代理店を集めた伝説の「熱海会談」が開かれます。まさに、ここで話し合われたテーマは、私たちが建白書に込めた内容だったのです。

奥田 では、幸之助さんもその問題に気づいていたと。

佐久間 熱海会談のとき、幸之助さんはすでに会長に退いていました。ところがあるとき、昔なじみの販売代理店に行ったら、その代理店の社長が、厚みが4.5センチもある手形の束を見せて、「これがひと月にうちが受け取る手形だと。そのうち1枚や2枚は必ず不渡りになるし、ジャンプしなければいけないものも出てくる」と幸之助さんに話したんですね。

奥田 会長に退いても、現場の声を聞いていたのですね。

佐久間 そこで、幸之助さんはピンと来るわけですね。つまり、流通の現場で資金が枯渇し、みんながお金に困っている危ない状態であると。すぐに取引額の一番大きな販売代理店を調べさせると、売上の7倍近い額の債権をもっていました。もし、ここが潰れたら松下の利益の10分の1が飛んでしまいます。ところが営業責任者を集めて報告させるものの、みな保身に走るため本当のことがわかりません。そこで、販売代理店から事情を直接聞くために、熱海会談が開かれたわけです。結果としてこの熱海会談は、クレジット制度を創設することによって、販売店の資金繰りを悪化させる一因となっていた「自店月賦」をなくすなど、流通の悪循環を好循環に転換するポイントとなりました。

奥田 なるほど、幸之助さんもすごいけど、佐久間さんも先のことを見据えていたのですね。それで、28歳にして本社企画本部に栄転ですか。

佐久間 いや、栄転かどうかはわかりません。それまで組合で暴れていたので、要注意人物を転勤させただけかもしれません(笑)。

奥田 でも、その時期に初めて、直に幸之助さんとお話しされるわけですね。

佐久間 その企画本部時代、三役会議に呼ばれました。三役というのは、幸之助社長、松下正治副社長、高橋荒太郎専務の3人で、会社におけるすべての重大な事項を決定する機関ですが、当時、大手ミシン会社がやっていた「予約販売制度」について、その可否を企画本部に問うてきたわけです。

奥田 いきなり、三役会議に呼ばれたのですか。

佐久間 当初は「やるべきでない」という結論をその理由とともに上司に伝えただけです。すると、調べた本人を三役会議に呼べということになってしまったのです。

奥田 えらいことになりましたね。

佐久間 幸之助さんがやりたいと思ったことを否定したわけですから、直接呼ばれたのかもしれません。でも、不思議に怖いとは思いませんでした。私が被告席で説明するわけですが(笑)、何も言わないでじーっと聞いてくれるのです。その説明を終えた後、二つ質問をされました。「この報告は、自分の目で確かめたものか、自分の耳で確かめたものか、自分の足で確かめたものか」と。

奥田 目、耳、足! まさに現場主義の発想ですね。

佐久間 調査会社に任せたものではなく、自分でこういう段取りで調べましたと答えると、その次は、一流会社がやっている予約販売制度がなぜいけないのかと。そこで私は、一流会社がやっているからやるという判断をすべきではありませんと答えました。それによって、松下の理念に反することが起きて、ユーザーや得意先に迷惑をかける可能性があると。企画部門はトップの判断を間違えさせてはいけないという意識がありましたから、素直にそう発言したんです。

奥田 理念を掲げたわけですか。すごい大局観をもっておられたのですね。

佐久間 すると「うんわかった。やめるわ」と。話を聞いて、後はわれわれで協議するからというのが普通じゃないですか。こちらも驚きましたね。(つづく)

 

六本木男声合唱団の最年長メンバー

 佐久間さんは83歳にして合唱のみならず、ミュージカルまでも演じられる。この妖艶な美女の正体を問うというのも野暮というものか。

Profile

佐久間 曻二

(さくま しょうじ) 1931年、新潟県生まれ。56年、大阪市立大学大学院経営学研究科修了。同年、松下電器産業(現パナソニック)入社。83年、取締役経営企画室長、85年、常務取締役、86年、専務取締役、87年、取締役副社長、92年、参与。93年、日本衛星放送(現WOWOW)代表取締役社長に就任、2003年、代表取締役会長、06年、取締役相談役。08年、ぴあ社外取締役に就任。