中国ビジネスの第二世代は、高質な商品を高く売って儲ける――第137回(下)
古林 恒雄
上海華鐘投資コンサルティング 董事長
構成・文/小林茂樹
撮影/津島隆雄
週刊BCN 2015年06月15日号 vol.1583掲載
中国経済の急成長や日中関係の冷え込みなどにより、日系企業にとって中国ビジネスのメリットは失われたとみる向きが多い。しかし、古林さんのお話をうかがっていると、古いビジネスモデルに拘泥する企業は衰退し、市場としての中国を捉え直した企業が躍進していることがよくわかる。そして、もう一つ、中国ビジネスにおけるカギになるのが、古林さんは熟知しているものの、私には今一つ理解できない「中国人のメンタリティ」のような気がするのだ。(本紙主幹・奥田喜久男)
写真1 2009年12月にAERAの「現代の肖像」に取り上げられたのがきっかけで、“上海の鉄人28号”を主人公とする単行本が上梓された
写真2 古林さんが長い旅に出るときに愛用しているスーツケースとバッグ
「千人回峰」というタイトルは、比叡山の峰々を千日かけて駆け巡り、悟りを開く天台宗の荒行「千日回峰」から拝借したものです。千人の方々とお会いして、その哲学・行動の深淵に触れたいと願い、この連載を続けています。
「人ありて我あり」は、私の座右の銘です。人は夢と希望がある限り、前に進むことができると考えています。中学生の頃から私を捕らえて放さないテーマ「人とはなんぞや」を掲げながら「千人回峰」に臨み、千通りの「人とはなんぞや」がみえたとき、「人ありて我あり」の「人」が私のなかでさらに昇華されるのではないか、と考えています。
※編注:文中に登場する企業名は敬称を省略しました。
貧しさゆえに培われた相互扶助の精神
奥田 本業のかたわら、中国に小学校を建てられたということですが、これはどんな経緯で?古林 中国には貧困地域の教育改善を目的とする「希望工程(希望プロジェクト)」という非営利事業があります。2001年頃、私もその趣旨に賛同し、華鐘希望小学校という学校を建てようと、華鐘コンサルタントグループの会員企業に寄付金を割り振って3000万円ほど集めようとしていました。当時、会員であるダイキン工業から東京、名古屋、大阪で「ダイキン中国進出支援セミナー」を開催したいので講師をしてほしいとの依頼を受けており、報酬は要らないし手弁当でやるという条件で、華鐘希望小学校の建設資金の寄付をお願いして了承していただきました。私どもは、2002年に4校、会社設立10周年のときに1校、四川省の地震が起きたときに会社の旅行を中止して1000万円ほど出して6校目をつくりました。毎年、春と秋には先生と生徒に奨学金を出しています。
奥田 それはかなりのエネルギーを要すると思いますが、どういう気持ちで臨まれたのですか。
古林 お金に困って学習することができないというのは不幸ですよね。私は神戸出身できちんとした家に生まれたのですが、父親が昭和19年に亡くなって、岡山県の津山に引き揚げました。生活はあまり豊かではなく、高校、大学とずっと奨学金のお世話になりました。だから、勉強したい子どもにお金の心配をさせたくないという気持ちはあります。
奥田 これは国が建てるのではなく、篤志家がお金を出して建てるのですか?
古林 国の手が回らない地方もあって、・小平が提唱して「希望工程」の題字を揮毫して始まった運動です。基本的には地方政府と折半負担で校舎や寮を建てて、寄付した人の名前を冠した学校に改名します。
奥田 ビジネス上のメリットはあるのですか。
古林 ありません。社会奉仕活動ですからリターンはないですね。ただ中国では、日本の会社よりもはるかにそういう活動が盛んです。当社では年末のボーナスで、従業員全員に希望奨学金の原資を寄付させますが、部長級でだいたい5万~6万円、一般社員でも5000~2万円程度は出します。それから重慶で起きた水害のときなどは、ほとんどの家が月収分以上の寄付をしましたね。だから、東日本大震災のときも、中国からものすごく寄付があったんですよ。
奥田 なぜ、中国の人はそんなに社会的な意識が高いのでしょうか。
古林 貧しかったがゆえに、相互扶助の精神は日本と比べものにならないですね。そのような寄付金は税の控除を認めるなどの支援も整っています。もう一つ、中国には贈与税も相続税もないので、一族郎党50人くらいのうち、2、3人豊かな人がいれば皆で食事してもその人が全部支払ってくれるということがあります。あなたのお金も私のお金も、区別する必要がないんですよ。
奥田 そこがよくわからないのですが……。私のお金は私のものでしょう? 余っていても、人にあげる気持ちにはなりませんよ。
古林 そのあたりのメンタリティがまったく違うんです。でも、無理はしませんよ。無理はしないけど、中国では割り勘という感覚はなくて、誰かが払うんです。それから、日本人との大きな違いは、あまりお金を貯めようという発想がないことでしょう。私の会社の社員たちも、よく日本に行っています。このあいだ、若手の女性社員にどこに行ったの?と聞くと、網走から知床へ行って、流氷見物の船に乗ったと。北海道だけで10日近くの個人旅行ですよ。
「お金は使うものだ」という中国人のメンタリティ
奥田 お金を使うのが好きなんでしょうか。古林 というよりも、お金は使うものだという感覚が日本人より徹底していますね。明日はもっと給料が上がるのだから、節約する必要がないということもあります。ただ、この極楽とんぼがいつまで続くかわかりませんが、現状では少なくとも底辺の人たちは毎年1割近くは給料が上がります。私たちの会社でも、毎年7~8%上げています。会社の業績が悪くなれば、ボーナスを下げるだけです。ボーナスを下げて、年間2か月くらいになると、みんな辞めていくのでしょうね。もっと給料のいいところを探そうと。優秀な人材が居なくなれば会社は衰退しますので退場せざるを得ない厳しい社会です。
奥田 中国の経済成長にも、いよいよ陰りが出てきたといわれています。
古林 でも、7%成長です。7%というと、だいたいインドネシア、あるいはタイとマレーシアやベトナムを全部一緒にしたくらいのGDPが毎年新しく生まれます。それが毎年上乗せされるわけです。
奥田 その傾向はいつごろまで続くと?
古林 購買力平価では、2017年くらいにアメリカを抜くというのが世界のエコノミストの見解ですね(注:実際は2014年に中国はアメリカもEUも抜いたとIMFが発表)。2020年頃までは大きな波乱はないでしょう。
奥田 これから中国ビジネスに携わろうという企業に向けてアドバイスをいただけますか。
古林 日本社会が非常に排他的であることを意識すべきですね。中国やヨーロッパは常に他民族との交わりのなかで、何千年生き抜いてきたわけですが、日本は島国です。だから仕方ないのですが、その排他的内向的な国の人たちが中国に進出して、弱肉強食ジャングルのなかで金儲けをしようとするから大変で、すぐにだまされるのです。だから、だまされないように専門家と相談しながら進めたほうがいい。他人にお金を払うのがイヤだから自分でやるというのは、日本人の国民性です。でも、そのお金を惜しんだばかりに、その何十倍もの金を失うケースが少なくありません。欧米でのビジネス経験の長い人は、まず、どこに相談すればいいかを本気で探します。最初にその部分で、つまずかないようにしていただきたいですね。
こぼれ話
もう四捨五入で50年前になる若き頃に漢詩を高歌放吟していた時期があった。お酒が入ると仲間と『蒙古放浪歌』を歌い、ゴビの砂漠を駆け巡る馬賊気取りで、中国という大陸を漠然と考えていた。時は流れ、その地を踏んだのは中国視察団として1985年9月12日だ。CSAJの前身である日本パソコンソフトウェア協会が誕生して間もない頃で、団員8人でリーダーは専務理事となる清水洋三さんだった。クルマ移動の時には土埃をあげ、道路には自転車が隊列をなし、道端ではのんびりと野菜を地面に並べて売る人たちがいた。その頃に古林さんはカネボウの中国駐在社員として日中合弁の草分け企業を設立している。
古林さんはそこから30年にわたって中国の経済成長を見続けている。今年4月15日、古林さんは73歳の誕生日を迎えた。「まだまだこれからです」と重いリュックサックにそれはそれは重いスーツケースといういつもの姿で日本と中国を飛び回っておられる。お元気だ。が、そろそろ後継者が気になるところだ。
Profile
古林 恒雄
(こばやし つねお) 1942年、兵庫県神戸市生まれ。65年、東京大学工学部を卒業し、鐘紡に入社。75年、初訪中の技術紹介が成功し、78年から84年まで上海石化向けPETプラント輸出の現地総代表。85年より中国室長、中国首席代表として中国事業開発に従事し、二十数社の合弁会社を設立運営。94年、上海華鐘コンサルタントサービス、05年、上海華鐘投資コンサルティング、09年、上海華鐘信息管理コンサルティングを設立、董事長を兼任。上海市外国投資促進センター高級顧問、上海市外商投資企業協会副会長、各地人民政府、開発区顧問など。2000年、通商産業大臣より海外経済協力貢献者表彰、03年、上海市白玉蘭記念奨、07年、同栄誉奨受賞、09年、中国の永住許可証を取得。