そのためにだけ存在するという 単機能のいさぎよさに惹かれる――第124回(下)
岩井商会オーダーフレーム部 チーフビルダー 宮田有花
構成・文/浅井美江
撮影/津島隆雄
週刊BCN 2014年12月01日号 vol.1557掲載
「大学に入学する直前の健康診断で、付き添いでやって来て、息子の検尿コップを持ってうろうろしているお母さんたちを見て、あ、ここは私の居る場所ではないな、と思いました」。そう言って、宮田さんはからりと笑った。それから間もなく、宮田さんは退学届を出したのだそうだ。限られた人が目指す、赤門のある大学である。この、ものごとを観る眼と決断する物差し、そしていさぎよさが、宮田さんの人格を形成している。それは鋭く、まっすぐなのに、なんと柔らかく、やさしく、そしておおらかなのだろう。(本紙主幹・奥田喜久男) 【取材:2014.8.20/京都・イワイサイクル久世店「gan well」フレーム工場にて】
写真1~3 「フレームビルダーの何が楽しいって、設計から何から全部できること」と、ためらいなく言い切る
写真4 「道具は道具としかみていないので、使えなくなったら、バンバン捨てます」写真5 工房で宮田さんの仕事ぶりを見守るマスコット
「千人回峰」というタイトルは、比叡山の峰々を千日かけて駆け巡り、悟りを開く天台宗の荒行「千日回峰」から拝借したものです。千人の方々とお会いして、その哲学・行動の深淵に触れたいと願い、この連載を続けています。
「人ありて我あり」は、私の座右の銘です。人は夢と希望がある限り、前に進むことができると考えています。中学生の頃から私を捕らえて放さないテーマ「人とはなんぞや」を掲げながら「千人回峰」に臨み、千通りの「人とはなんぞや」がみえたとき、「人ありて我あり」の「人」が私のなかでさらに昇華されるのではないか、と考えています。
※編注:文中に登場する企業名は敬称を省略しました。
京都で開けたフレームビルダーの道
奥田 宮田さんが岩井商会に入社されたのはいつですか。宮田 2008年です。
奥田 それまでは何をしておられましたか。
宮田 ここに来る前は、東京で自転車屋をやっていました。でも、競輪の自転車をつくりたいと思って。たまたま知り合いから、ここ(岩井商会)の工場長が亡くなったと聞いて、面識もなにもなかったけど、履歴書を書いて送ったんです。「私を雇ってください。とりあえず根性だけはあります。とにかく一回会ってください」と。そうしたら、社長に「来てごらん」と言っていただいて……。
奥田 それで東京から京都へ。
宮田 実は岩井商会はどちらかというと卸がメインで、工房は会社の部門の一つという感じです。ただ、オーダーフレーム部門があるというのは卸をやっている他の会社には例がありませんので、その部分ではステータスで、会社の宣伝にもなります。今までの歴史もありますし、だからこそ社長は工房を残そうとしたのですが、工場長が亡くなられた、職人はいない。しかも、NJS(日本自転車振興会、現在は公益財団法人JKA)の免許をもって競輪の自転車をつくっていましたから、選手には誰がメンテナンスしてくれるんだと心配される状況でした。
奥田 競輪の自転車をつくるには免許が必要ですか。
宮田 はい。全国に31の製造業者がいますが、京都では岩井商会だけです。競輪って、F1と同じで、レースの前に検車があるんです。そもそもすべてのパーツに認定許可されたNJSの刻印がないと走ることができません。
奥田 もぐりの自転車は走れないわけですね。
宮田 無理です。競輪はギャンブルですから、巨額のお金が関わることもあって、そこは本当に厳しいです。私も今は免許をもっていますが、永久に認定されているわけではありません。3年に1度、競輪用自転車をロウ付けする(バラバラのパイプを溶接する)実技試験があって、基準を満たさないと、免許は即座に取り上げられます。奥田 先ほど全国で31業者とおっしゃいましたが、つまり免許を保持しているビルダーは31人というわけですね。ちなみにビルダーのランキングとかあるのでしょうか。
宮田 一覧表のリストはあります。競輪のホームページに「認定部品製造業者」として掲載されています。あと、ランキングではありませんが、流行りすたりはあります。ある時、下位クラスで走っていた選手が、私がつくった自転車に乗ったら、けっこうな快進撃をみせて、成績がかなり上がったことがありました。そのときは連日のようにいろんな選手から電話が入って、「あいつの寸法はどんなのか」とか「なんのパイプを使ったのか」と。対応に追われて、こちらは仕事にならないほど。あの女優が使っている化粧品を使えば、私もキレイになれるはずと多くの女性が考えるのと同じような感じで……(笑)。
エンジンが人間だとミラクルが起きる
奥田 宮田さんにとって、フレームビルダーの魅力とはなんですか。宮田 フレームビルダーの何が楽しいって、設計から何から全部自分でできることです。自分で考えてつくった自転車で選手が走って、レースの結果が出て、「この選手の分はあと2mm変えてみよう」と思ったら、それもまたすべて自分でできる。私、学校で建築を学んでいて、そちらの道に行ってもよかったのですが、建築の世界は、構造は構造、意匠は意匠と分業制だったのがちょっと気に入らなかった。一から十までやりたかったので。
奥田 建築を全部一人でというのは大変ですね。それに比べれば自転車は?
宮田 構造計算に関しては建築ほど複雑ではありません。ただ、エンジンが人間ですから競輪は選手との関わりが重要です。不確定要素だらけです。例えば、半年あれば筋肉の質が変わってしまうので、今注文を受けても、つくる前に直前のレースをみておかないとダメなんです。カルテのようなものをつくっていますが、このレースでは落車したとか、チェーンリングの数値がいつもと違うのは何故かとか、一人ひとり全部記録しています。また、メンタルな部分も大きく影響するので、乗っている自動車から家族構成までとにかくその人の情報を集めます。
奥田 レースで勝つということに関して、ビルダーが備えている自転車をつくる能力と選手の運動能力が占めるそれぞれの割合は、どのくらいの比率といえますか。
宮田 それは断言できません。何しろエンジンが人間なので、ミラクルが起きます。F1マシンとかだと絶対に嘘をつけないけど、エンジンが人間なら、前日不調でも、こちらの態度や言葉一つで翌日は結構いい成績になることもあるんです。
奥田 人体がエンジンというのはおもしろいなあ。
宮田 そうです。だからやめられない。同じ選手でも昨日と今日では全然違うんです。例えば近々、子どもの進学などでお金が必要だという状況になれば、選手の目の色が変わることもあります。最後のコーナーでこんなに伸びるのかと、びっくりするくらい気合いが入ったり。
奥田 現在は何人くらいの選手を担当しておられますか。
宮田 100人を少し切るくらいでしょうか。始めた当時は250人くらいだったのですが、選手も数自体が全体で4000人から2400人まで減ってしまったので……。でも、レースは毎日どこかで必ず開催されていて、行ける範囲は観に行きます。遠くでの開催は、インターネットで実況中継を覧ています。毎日必ず誰かが乗っているので気が休まりませんね。
奥田 最後に、宮田さんが使っている工具で思い入れのあるものを教えてください。
宮田 一番使うのはヤスリですけど、とくに思い入れがある工具はないですね。男性の方はよく思い入れがあっていつまでも大切に取っておいたりすると言いますが、私はほんとに道具としかみていないので、使ってなんぼ。道具として使えなくなったら「ありがとう。さようなら」でバンバン捨てます。
奥田 最後までいさぎのいいお話をありがとうございました(笑)。
こぼれ話
道具に惚れることがある。ロッククライミングで岩場に通っていた頃、クライマーの命を預けるギアたちがあまりに美しいので、代表してカラビナを日常で使う鞄にしのばせていたことがある。そこで宮田さんに質問をした。道具に対する思い入れについてだ。その答えが「使ってなんぼ」。ひらたくいえば、“ポイ”なのだ。その瞬間、ゾクッとした。もし、この人に惚れて寄り添ったら……。おぉ、コワ~。それはさておき、この欄の取材班はリアルをお届けするように努力しているのですが、難しい場合もあります。今回は二つの点。一つは、撮影場所の雰囲気です。実際は暗がりの倉庫に数本の蛍光管がぼや~っと点いているといった環境で、ミリ単位の手づくりに集中しておられる。もう一つは特殊な学問にのめり込んだ宮田さんの青春時代を聞き出し尽くせなかったことです。10年後の宮田さんは社会でどんな役割を果たしているのだろうか。垣間見られる進化が不連続なだけに、もう一度、対話してみたい。
Profile
宮田 有花
(みやた ゆか) 1972年生まれ、東京都出身。岩井商会オーダーフレーム部チーフビルダー。競輪事業を管轄する公益財団法人JKAが認定する「認定部品製造業者」31社のうちの1人にして、国内唯一の女性フレームビルダー。建築事務所に就職するも自転車のおもしろさに目覚め、自転車専門誌の編集等を経て、2008年岩井商会に入社。同社のオーダーフレーム工場でチーフビルダーとして、プロの競輪選手のフレームから一般客のオーダーまで幅広く手がけている。