ソフトウェアには人格が現れる 繊細な人がつくれば繊細になる――第120回(下)
阿部 淳
日立製作所 理事
構成・文/畔上文昭
撮影/津島隆雄
週刊BCN 2014年10月06日号 vol.1549掲載
阿部淳さんは、「ITはツールです」と気軽におっしゃる。日立製作所のソフトウェア事業部で約30年も勤務した人の言葉だけに、正直驚いた。案の定、ソフトウェア事業部にいたときは、そのようなことを思ったことはなかったそうだ。「ソフトウェアでお客様の価値をつくるということで、ずっとやっていましたから」。もちろん、「ITはツールです」は、ITを軽視しての言葉ではない。一歩引いたことで、みえてくる本質がある。(本紙主幹・奥田喜久男) 【取材:2014.8.18/東京・千代田区のBCN 22世紀アカデミールームにて】
右上 「日本のITというのは、まだ“頑張りしろ”がある」と断言する阿部さんの目がきらりと光った
右下 テレビコマーシャルなどでおなじみの「この木なんの木 気になる木」のモチーフが社章になっている
「千人回峰」というタイトルは、比叡山の峰々を千日かけて駆け巡り、悟りを開く天台宗の荒行「千日回峰」から拝借したものです。千人の方々とお会いして、その哲学・行動の深淵に触れたいと願い、この連載を続けています。
「人ありて我あり」は、私の座右の銘です。人は夢と希望がある限り、前に進むことができると考えています。中学生の頃から私を捕らえて放さないテーマ「人とはなんぞや」を掲げながら「千人回峰」に臨み、千通りの「人とはなんぞや」がみえたとき、「人ありて我あり」の「人」が私のなかでさらに昇華されるのではないか、と考えています。
※編注:文中に登場する企業名は敬称を省略しました。
自主独立を貫いてきた日立がグループで一丸となっていく
奥田 私はITの新聞記者が長いものですから、いろいろなメディアをみていても、IT関係に目が行きがちです。ただ、阿部さんが異動されてから、日立のニュースはITの軸ではなく、日立の軸でみるようになりました。そうすると、鉄道の話題がけっこう多いなと感じています。阿部 日立の鉄道事業は、社内カンパニーである交通システム社が全体をリードしています。政府や関係省庁、大使館などのご支援もいただいてイギリスに参入できたことは大きな話題になりました。
奥田 日本の鉄道はイギリスから学ぶことから始まりましたが、今度はイギリスに返したんですよね。第1号の機関車は、イギリスから日本にもってきました。
阿部 老朽化した車両の置き換えについて信頼性や安全性などの品質面をご評価いただき、そのなかで日立の提案が採用されました。鉄道システムでは、オペレーションを含めて受託しています。単に「製品を販売して、そのメンテナンスを請け負う」という従来の事業範囲を超えたモデルへのチャレンジも注目されたのだと思います。
奥田 コンピュータシステムの丸ごとの運営を外部に委託するようなものですか。
阿部 そうですね。866両もの車両の納入のほか、約30年にわたる車両の保守事業や保守事業のための保守工場建設などを請け負っています。日本では車両の納入だけですが、この案件では車両の生涯にわたる保守も含めたトータルソリューションを提供させていただきます。
奥田 最近の別の新聞記事では、6人おられる副社長が、個室から大部屋に移られたとありました。なぜ、この時期にと思いまして……。経営のトップ層は、どういうことを考えておられるのでしょう。
阿部 私も記事で知りました(笑)。
奥田 大部屋が流行った時期もありましたよね。でも、なぜ、報道されたんでしょう。このメッセージから、次に何かあるのかなと思ったりしているんですよ。
阿部 日立は長い間、それぞれの会社や事業が自主独立でやってきていますが、「One Hitachiとしてグループで一丸となり、お客様に価値を提供する」というマインドも高まっていると感じています。それをもっと踏み込んで加速していくためにトップ層の情報共有をさらに進めるということじゃないですかね。競争が厳しくなる一方で、グローバル化も進んでいますし、企業買収やアライアンスなどのスピードもどんどん上がっています。だから、われわれ自身もスピードを上げないといけない。そのためには、できるものはなんでもやるということじゃないですか。それくらいの危機感は、みんなもっていると思います。
まだまだ日本のITには“頑張りしろ”がある
奥田 グローバル化の進展という話が出ました。また、阿部さんの部署を紹介してもらったとき、「グローバルなフロントエンジニアリング」を担うという話がありました(前号参照)。そこで、グローバルについてうかがいます。日本のIT業界では、グローバルといっても世界を相手にやっているのは、ほんの一握りの企業に過ぎない。このままだと、20年から30年先には、田舎者と地球者(?)という感じになっちゃうのかな、と。阿部 SIには、言葉の問題を含めて、地域性がありますよね。欧米の企業が日本でシステム構築をバンバンできるかというと、まずは現地法人をつくってからになります。むしろ、インフラや設備などのハードウェアと一緒だと、ある程度は海外に出やすいと思っています。ただし、クラウドの時代ですからね。企業の規模が大きいから有利とか、小さいから不利とかは、なくなりつつあるという感じもします。だから、規模を求めて海外に出るようなことはなくてもいい。
大事なのは、とがったものをもっていって、アライアンスなどを組みながら、どう提供していくかです。それなしで海外に出ていくのは、しんどいんじゃないかな。私もずいぶんとやっていましたから。
奥田 今は国がITの重点政策として、医療や農業に力を入れていますが、両方とも地政学的にその場所から離れられない。だから、それらはうまくいっていますが、日本の企業はそれ以外の分野が多い。そこでグローバルを意識するのですが、現実は甘くない。このままだと、IT業界のグローバル化は、10年先も同じような状況ではないかと心配しています。
阿部 いやいや、日本のITというのは、まだ“頑張りしろ”がある(笑)。私はソフトウェア畑出身だからかもしれませんが、日本のソフトウェアはもっと頑張るべきだと思っています。
奥田 どこで頑張るのですか。
阿部 ソフトウェアには人格が現れるというか、繊細な人が担当すると繊細なソフトウェアになります。その意味では、ソフトウェア開発は日本人に合っています。
奥田 ほう、日本人向き。ソフトウェアの開発思考が?
阿部 そう思っています。ソフトウェアに関するサービスでも、日本的なサービスがますます求められる。
奥田 その通りですね。
阿部 サービスでキーとなるのはソフトウェアですから、日本はそこに対して、技術者の育成もそうですし、各社のシナリオもそうですし、力を入れないといけない。
奥田 イギリスの鉄道の商談で、彼らが評価した運営まで頼むよというところと同じですよね。私もそう思います。
阿部 ソフトウェアは、すごくおもしろい分野です。3Kなどといわれた時期もありましたが、日本人の発想をかたちにできる本当に素敵な仕事だと思います。
奥田 でも、今の仕事があまりにもおもしろすぎて、以前の仕事が滑稽にみえませんか。
阿部 そんなことはないですよ。というか、どの仕事もおもしろい。どの仕事も単独では成り立ちません。今もITのことなどを考えながら仕事をしていますし、それぞれが大事だと思っています。
奥田 今のは意地悪な質問でした(笑)。
阿部 答えに窮しましたよ(苦笑)。
奥田 次回は上海でお会いしたいですねぇ。
こぼれ話
もう40年も前の、記者になりたての頃、日立の社章は“亀の子マーク”と覚えた。このマークは軽いものから重いものに至るまでの日立製品の刻印となっていた。緑色の「この木なんの木……」の社章はエコキャンペーンのバッジみたいで日立の企業イメージが何だか“かる・く”なったような気がした。阿部さんとの出会いは新しい社章になってからだ。このバッジをつけた阿部さんと最初にお目にかかったときのことだ。政府関係の“環境大使”のようだ、と思った。「こぼれ話」の欄に掲載したこれまでの写真を見ていただくと、私の背が対談相手の方によって、低くなったり高くなったりする。身長170cmを基準にしてご覧いただくと、阿部さんは推定180cmとなる。学生時代にレガッタの選手だったという発言に続いて、「だから私はコックス(会社)の指示に従って、ただただ漕ぐだけですよ」と、顔をクシャクシャにしての笑顔。この必殺技は万国に通用する。日立という会社をツールにして、日本の強みを世界に伝えていっていただきたい。