できるかできないかはわからなくても、成功の可能性が少しでもあれば挑戦する――第100回
三浦 雄一郎
プロスキーヤー・登山家
構成・文/小林茂樹
撮影/津島隆雄
三浦 まあ考えてみれば、しょっちゅう狭心症を起こして、膝が痛い腰が痛いといっていた65歳のメタボだったわけですからね。
奥田 3回目のエベレストでは、お茶もたてられたと。
三浦 標高8500mで、京都の福寿園さんからいただいた最高のお茶で、作法もろくに知らないくせに天空のお茶会と洒落っ気を出しました。それと手巻き寿司。北海道から持っていったウニや塩辛で。
奥田 羊羹も持って行かれたとか。
三浦 羊羹は虎屋さん(笑)。8000mを超えると、できるだけ荷物は少ないほうがいいんです。息子の豪太に「8500mでお茶会をやるからこれを持って行け」といったら、「んっ?」という顔をしたんですけれど、やってよかったと思いました。8500mというのは、ある意味、生きるか死ぬかの世界ですが、テントの中でお茶会を4人でやったら心がすごく落ち着きました。一緒に登ったのは豪太のほか、倉岡裕之君と平出和也君という世界のトップクライマーで、もちろんチームワークも抜群でした。そんなベテランの彼らでも、そのお茶会も含めて、こういう登山のあり方、楽しさは新発見だと喜んでくれたんです。
こういう極限の世界では、ゆとりとかユーモア、あるいは遊び心を忘れがちです。ことに日本の登山家は、真面目で一筋という人が多いのですが、人生を楽しみながら命がけの仕事をやるというのも悪くないと思いますね。
奥田 その後、75歳のときに2回目、そして今回と3度エベレスト登頂に成功されたわけですが、すでに5年後、85歳の夢を公表されましたね。
三浦 そうですね。エベレストに3回登って、もういいかなと、少しのんびりしようかと思ったのですが、やはりそうもいかないようです。ここのところ毎晩のように登頂の祝賀会を開いていただいて、それはありがたいし、楽しいひとときなのですが、そういう生活をしていると体力がどんどん落ちていくんです。このあいだエベレストに登ったばかりなのに、階段を上るのも面倒くさくなる(笑)。油断できないんですよ。だから、また5年計画の目標を立てて、少しずつトレーニングを始め、ヒマラヤ登山に耐える身体にしていこうということですね。
5年というサイクルはとてもいいんです。最初の2年間は、ある程度余裕がもてる。残り3年になると、そろそろ本気になってくる。そういう意味ではオリンピックの4年サイクルというのは、少し余裕がないかもしれませんね。
奥田 その目標は、チョー・オユー(8201m)の頂上からスキー滑降を行うとうかがっています。
三浦 そうですね。チョー・オユーには一度登ったことがありますが、もう一度スキーヤーに戻って挑戦したいんです。この秋からは国内でスキーをしたり、富士山に登ったりしてトレーニングを始め、2年後からヒマラヤの5000m、6000mに挑戦し、最終的に85歳で8200mのチョー・オユーに登ろうと。
以前からチョー・オユーは好きで、頂上から滑ってみたいと思っていました。山頂から10度くらいの緩い斜面が1kmほど続いているんです。その後は大きなアイスフォールもあるのですが、そういうところはスキーを履いたままロープで降りて、また滑っていくかたちですね。5000m地点くらいまでは、ずっと滑り続けられます。
奥田 それはたいへんな冒険ですが、実に雄大で楽しみな旅になりそうですね。
三浦 そうですね。楽しみであり、ワクワク、ドキドキの世界です。
奥田 ぜひ、成功されることを祈っています。
(文/小林 茂樹)
Profile
三浦 雄一郎
(みうら ゆういちろう) 1932年、青森市生まれ。北海道大学獣医学部卒業。同大で助手を務めた後、プロスキーヤーとして活躍。62年、世界プロスキー選手権に参加し、世界ランキング8位。66年、富士山での直滑降に成功、70年、エベレスト・サウスコルの8000m地点からの滑降に成功、85年、世界七大陸最高峰のスキー滑降を完全達成。2013年5月23日、80歳にして3度目のエベレスト登頂に成功する。クラーク記念国際高等学校校長、全国森林レクリエーション協会会長。