使う側の気持ちがわかってこそ、本物の「ギア」をつくることができる――第96回
カシオ計算機 時計事業部 モジュール開発部 モジュール企画室 牛山和人
構成・文/小林茂樹
撮影/津島隆雄
ヒマラヤからのフィードバックを新製品に生かす
奥田 『プロトレック』へのニーズや使われるシーンはさまざまだと思いますが、どこに焦点を当てて開発するかは重要な要素ですね。牛山 大きく分けて、高度計、方位計というギアとしてのニーズと、通常の時計としてのニーズの二つがあると思います。それを踏まえて開発を続けた結果、現在はデジタルのタイプ、針とデジタルのコンビネーションタイプ、それに針だけのタイプという三つの大きなくくりでラインアップを組んでいます。今はそれぞれを進化させていくことでお客様の満足度を高めていくというサイクルに入りました。ここまでこられたのも、現場で多くの方の意見を聞くことができたからだと思います。
奥田 一つの技術、一つのニーズによって、製品が飛躍的に進化することがありますが、『プロトレック』の場合、そういう進化の節目のようなものはありましたか。
牛山 やはり20年の間には、いくつかのポイントがありました。一つはカシオの時計づくりの流れに乗ったかたちで、従来は電池交換だった製品を太陽光発電に変えたことです。そのときにはLSIも含めて、センサすべてをローパワーにすることでそれを実現するという技術革新がありました。そして電波時計、つまり時刻を常に正確に刻む技術も大きな革新でした。さらに、これは技術とニーズの両方に関係しますが、アナログ表現に挑戦したことが三つめの技術の進化です。そして、もう一段ローパワー化することでサイズの小型化を図っています。
奥田 よくぞ進化する新しい製品を生み出し続けてこられたものだと、感心します。
牛山 それはやはり、竹内さんに継続して8000メートル峰に登ってもらっていることが大きいですね。その年に開発した商品をヒマラヤで試してもらい、そのフィードバックを次の商品に落とし込むというサイクルがうまく機能したと思います。竹内さんにとって信頼感のある製品は、万人の登山者にとって同じ信頼感を抱けるものです。だから、ヒマラヤへ行かない方にもぜひ使っていただきたいですね(笑)。
奥田 ところで牛山さんご自身は、幼い頃からものづくりに興味があったのですか。
牛山 なぜか身の周りにドライバーセットや半田ごてがあって、親に取り上げられることもなく自由に使っていたのですが、ゲーム機や目覚まし時計を分解しては叱られた記憶があります。そういう意味では、ものの仕組みに対する興味は幼い頃からもっていたと思います。こういう仕事柄、近隣の小学校でお話しさせていただく機会があるのですが、時計の分解を子どもたちにやらせてみると、話を聞いているときよりも明らかに楽しそう。私が小さかった頃もそんな感じだったのかもしれません。
奥田 牛山さんは、20年間、ずっとここ(羽村)ですか。
牛山 そうですね。ここは奥多摩に近いので、プロトタイプができると真っ先に山に登ってテストしてみるんです。
奥田 うらやましい。私もこのまま、山に行っちゃいそうだ(笑)。
「話しているうちに、山に行きたくなってきました」(奥田)
(文/小林 茂樹)
Profile
牛山 和人
(うしやま かずと) 1970年、東京生まれ。95年、玉川大学工学部電子工学科卒業後、カシオ計算機入社。時計事業部に配属、2001年から登山用時計『プロトレック』のモジュール企画を担当する。