「徳を積む」教えでEV事業に邁進する――第93回
小間 裕康
グリーンロードモータース 代表取締役社長
構成・文/谷口一
撮影/津島隆雄
奥田 そういう場面で真正面から取り組むのが小間さんらしいところですね。
小間 京大の大学院で、体系的にビジネスモデルやファイナンスといった知識を教えてもらることを知って、受験することにしたのです。私自身、音楽家をやっていた頃や派遣をやっていた頃、すごく思ったのは、周りの人はみんな天井を決めているのですね。自分はここまでしかいけないから、結局このなかでなんとかやろうというふうに。そこにすごく違和感を抱いていたのです。ですから、努力をすれば青天井に成長できるっていうのを自分でも実証したかったし、それをやりたいなとずっと感じていたのです。私がピアノをやり始めたのは中学生からなので、幼い頃からやっている人とは全然違うけれど、努力をしていけばプロの人と同じような演奏もできるし、派遣業も最初から数億円なんて売り上げを望むのも無理で、10億円なんて絶対に学生起業家の感覚ではできないといわれたんですけれど、当時20億円くらいまで売り上げが立ってきたんです。自分の成功体験を周りの人にちゃんと伝えきれないジレンマがずっとあったんです。なんとかうまく説明できないかなと感じていて、それを言葉に変える、そういう勉強ができるところが京都大学にあったのです。ですから、そこを受けて、なんとか通って、次のステップに進むことができたということです。
奥田 その京都大学で、電気自動車にも出会ったのですね。
小間 そうなんです。
奥田 それは、たまたま出会ったのですか。
小間 ちょうどその頃は派遣会社の業容を拡大しようとしていて、メーカーはアウトソーシング、今でいうビジネス・プロセス・アウトソーシングで、部門の業務をまるごとアウトソーシングするビジネスに変わっていった頃です。そうなってくると、そういうような仕事をドーンとくれる会社を探そうと思って、家電ディーラーのトップの方々と話をしていると、今後は量販店で自動車を売るようになるということを、皆さんが口をそろえて言われる。
奥田 それは何年頃のことですか。
小間 2007年か2008年の頃です。その当時、ヤマダ電機が定款を変更して自動車販売を追加するとか、そういうふうな取り組みをあちこちで聞きました。当時は電気自動車ではなくて、自動車を売る、量販するという考えだったと思うのですが、家電量販店なのだから、やっぱり将来はEVなんだろうなと、自分のなかでもEV(電気自動車)にシフトしていったのです。そんなことが、私が電気自動車を始めるうえで後押ししてくれたのです。はじめテスラに行った時も、アウトソーシングでテスラをこっちに引っ張ってきて、それこそ、日本の家電量販店で販売できないかな、というふうに考えていました。それはコマエンタープライズのビジネスとしても、うまくマッチするなと思っていました。しかし、テスラとの出会いのなかで、ベンチャーでも電気自動車がつくれるというのを知って、自分でも実践したいなとそういうふうにだんだんと思うようになったのです。
奥田 なるほど、根っこにあった思いがむくむくと盛り上がってきたのですね。
最先端技術も結局は人の輪・人の力
奥田 電気自動車の会社を立ち上げたものの、すんなりとはいかなかったようで。小間 お金も貸してもらえなくて……。ベンチャーキャピタルという仕組みがあって、志があって、すぐれた製品をつくれる筋道があれば、お金が湧いて出てくるんじゃないかと思っていましたが、大間違いだったですね。投資会社の人に何人もお会いしたのですが、最初の2年間はまったく見向きもされませんでした。
奥田 何社ぐらいに行かれたのですか。
小間 30社くらいは行ったと思います。
奥田 やりくりが大変になってきますね。
小間 自分で貯めたお金でやり始めたのですけど、どんどん底をついてくる。でも幸運だったのは、まず人が集まってきてくれたので、最初のお金でいいものがつくれました。トミーカイラというクルマと出会えて、おもしろいなと感じてEV車をつくったのです。トミーカイラは13年前にナンバーが取れていたので、これをEV化しても簡単にナンバーが取れるだろうと思っていたのですが、昔の法規とはぜんぜん違うので、それをクリアするために、大手自動車メーカーの元技術者や大学の技術者に設計にかかわってもらって、なんとかナンバーが取れそうになったのですが、お金が底をついていたのです。その頃、元ソニー会長の出井さんを紹介していただいたことが大きかった。
奥田 それは何年ごろのことですか。
小間 最初にお会いしたのは2010年です。計画書を出すと、パッパッと全部見て、ああこれダメというような、シビアな回答をずばりとしてくださったのです。これはもう二度と会えないかなと思ったら、「ぼくの携帯はこれだから、何かあったらかけてきて」と、携帯番号をいきなり教えてもらいました。
奥田 徳を積んだおかげですね。そうやって物心両面で協力者が増えていくわけですね。
小間 グリコ栄養食品の元会長の江崎正道さんにも一番大変な時期に協力いただきました。個人の投資家さんの資金が入って、開発が続けることができたのです。それでやっと、国土交通省からナンバーの許可が下りました。
奥田 それはいつ? どんな心境でしたか?
小間 2012年の10月1日です。そのときはうれしいというよりも、次のステップである量産のための準備で手いっぱい。感慨に浸るどころではありませんでした。ナンバーが取れたら、お祝いにみんなで飲みに行こうと言っていたのですが、結局、お祝いができたのは年末の忘年会でした。
奥田 その時、いわゆる給料を支払っている従業員は何人いたのですか。その人たちには、世間並みの給料は出ていたのですか。
小間 社員は6人でした。当時は月に15万円とか20万円で……。前の会社では1000万円クラスの年収だった社員もいますが……。
奥田 その会社を辞めてきているのでしょう。
小間 そうです。ぎりぎり自分の生活ができるような給料でやってくれています。今は少しよくなっていますが、そういう意味でもこれからが本当の勝負だと思っています。
奥田 6人プラス1人。7人のサムライで、日本のものづくりにインパクトを与えてください。
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Profile
小間 裕康
(こま ひろやす) 1977年8月3日生まれ。京都大学大学院経営管理教育部卒。2000年にコマエンタープライズを設立。国内外の家電メーカーへのビジネス・プロセス・アウトソーシング事業を展開。一方で、京都府が運営する「次世代自動車パートナーシップ倶楽部」内に京都の部品メーカーを中心とする『京都電気自動車開発ワーキンググループ』を設立し、開発を進める。2010年にグリーンロードモータース(GLM)を設立。国内ベンチャー初のEVスポーツカーでの認証を取得。2013年4月、JR大阪駅直結のグランフロント大阪にショールームを開設し、完成した車両の販売予約を開始。熊本大学臨時講師。