自分の身体をいかに高所登山に特化した“道具”とするか――第87回
プロ登山家 竹内洋岳
構成・文/小林茂樹
撮影/津島隆雄
この「千人回峰」に登場していただく方々のほとんどは、ITの世界になんらかのかたちで携わっている。「そういう対談企画に、なぜプロの登山家が?」と怪訝に思われる読者もおられるかもしれない。しかし、日本のトップクライマーである竹内洋岳さんは、私が推察した通り、いろいろな意味でまさにトップクラスのものづくりに関わっておられる。そして蛇足ながら、山登りを生涯の趣味とする私にとって、この取材は至福の時間であった。【取材:2013年2月20日 東京・千代田区内神田のBCNオフィスにて】
「遭難して死んでしまうような状況を想像することも大切です」と竹内さんは語る。
「千人回峰」は、比叡山の峰々を千日かけて歩き回り、悟りを開く天台宗の荒行「千日回峰」から拝借しました。千人の方々とお会いして、その哲学・行動の深淵に触れることで悟りを開きたいと願い、この連載を始めました。
「人ありて我あり」は、私の座右の銘です。人は夢と希望がある限り、前に進むことができると考えています。中学生の頃から私を捕らえて放さないテーマ「人とはなんぞや」を掲げながら「千人回峰」に臨み、千通りの「人とはなんぞや」がみえたとき、「人ありて我あり」の「人」が私のなかでさらに昇華されるのではないか、と考えています。
「人ありて我あり」は、私の座右の銘です。人は夢と希望がある限り、前に進むことができると考えています。中学生の頃から私を捕らえて放さないテーマ「人とはなんぞや」を掲げながら「千人回峰」に臨み、千通りの「人とはなんぞや」がみえたとき、「人ありて我あり」の「人」が私のなかでさらに昇華されるのではないか、と考えています。
株式会社BCN 会長 奥田喜久男
<1000分の第87回>
※編注:文中に登場する企業名は敬称を省略しました。
※編注:文中に登場する企業名は敬称を省略しました。
想像があってこそ必要な道具がつくられる
奥田 私も趣味で山登りをするのですが、山ではいろいろな道具を使う一方で、最もコアな道具は自分自身の身体であると感じます。竹内さんが8000m級の山を無酸素で登っていくということは、やはり身体を究極的な道具として使っておられるように思えるのですが、どのようにご自身の“身体”の「ものづくり」をされたのでしょうか。竹内 登山で最も重要なのは想像力です。例えば、これまで誰も登ったことのない山を登ろうとする場合、いつ行くか、誰と行くか、どんな道具を使うか、何を着ていくか、ルートの状況はどうか……というような想像です。そして登頂に成功したときの想像だけでなく、遭難して死んでしまうような状況を想像することも大切です。最悪の事態を細部まで想像できれば、それを回避するためにどうしたらいいかという想像もできるからです。他人よりも多く、リアルかつ細密に、さまざまな角度から多様な状況に基づいた想像をした人こそが最初に登頂に成功して下りてくることができるわけです。
山登りではさまざまな道具を使いますが、「こんな道具があったらいいな」という想像があってこそ、実際に道具がつくられます。おっしゃるように、身体も私たちにとっては登山の道具でしかありません。そう考えると、自分の身体をいかに登山に適した道具につくり上げていくかが重要になってきます。
奥田 具体的には、どのように身体をつくり上げていくのですか。
竹内 よくトレーニング方法について聞かれるのですが、国内にいるときはあまりトレーニングらしいことをしていません。例えば、マラソン選手のトレーニングは走ること、水泳選手のトレーニングは泳ぐことですよね。それと同じで、高所登山のトレーニングには高所登山が一番適しているんです。
奥田 だから国内ではできないと。
竹内 そうです。どのスポーツにもサイクルがあり、トレーニング、試合、レスト、コンディショニングを繰り返していくわけですが、私にとってそのサイクルは1年です。今はレストの時期で、これからコンディショニングに入って、現地で高度順応を含めたトレーニング、そして試合にあたるのがサミットプッシュ。それが終わったらレスト、コンディショニングというように、同じサイクルを毎年ひたすら繰り返します。それによって、私の“身体”は高所登山に適した“道具”になったのです。
実は、走るのも泳ぐのも球技も大嫌いなのですが、昨年、そんな私に東京ドームで巨人・阪神戦の始球式をやれと(笑)。ボールを握ったのは子どもの頃以来です。ブルペンで内海投手から直々に投げ方を教えてもらったのですが、10球ほど練習して本番で1球投げただけで、翌日は筋肉痛で箸も持てず、腕も上がらないような状態でした。これはつまり、私の身体が高所登山に特化したものとなって、物を投げるという能力が省かれてしまったということですね。
奥田 身体、すなわち道具が高所登山に特化されたものになった、と。ところで、さっき想像することの大切さを強調されましたが、想像するにはいろいろな経験が必要ですね。
竹内 そうですね。経験こそが、よりリアルな想像をつくり上げていきます。でも、経験を積み重ねるのは絶対にいけません。経験を同じところに積み重ねてしまうと、その部分について想像しなくなってしまうからです。「前回こうだったから、今回もこうだろう」と思い込んで、想像することをやめてしまう。しかし高所登山の世界に、同じ状況、同じコンディションはあり得ません。経験は必要ですが、それを「積む」のではなく「広げて並べる」イメージです。常にゼロから想像することが求められるということですね。
死のリスクに対する悲壮感はない
奥田 一昨年の大震災・津波で発生した原発事故では、多くの人が死と隣り合わせの状況で奮闘されました。もちろん、そこには家族もちのお父さんがたくさん含まれているのですが、わが身を省みず危機に立ち向かったと伝え聞いています。竹内さんも二児のパパであり、さきほど自分の死をもイメージするとおっしゃいましたが、ヒマラヤなどの高所登山に挑む際には、奥さんやお子さんに対してどんな想いを抱いて行かれるのでしょうか。竹内 正直いって、あまり特別な想いはありません。ヒマラヤに行くときも、日本の山を登るときも、今日、この取材を受けるために家を出たときと大して変わりはないんです。
奥田 それは、高所登山を続けてきたなかで、平常心を養ってこられたからなのでしょうか。