将棋の世界に「クリック」の時代がやってきた――第86回
松江工業高等専門学校 情報工学科准教授 橋本剛
構成・文/谷口一
奥田 先生ご自身も将棋が好きなのですね。どのくらいの棋力ですか。
橋本 今、自称五段です。島根県でトップの人にはかなわないけれど、たまには勝てるかぐらいの棋力です。
奥田 中学生からは将棋にのめり込んで、その次は?
橋本 もともと数学とか物理も好きで、将来は何をしようかといろいろ悩みました。体を動かす仕事もいいかなと思って、大学は京都大学の農学部に入ったんです。僕は泳ぐのが好きで、海が好きで、実はそれで松江高専も選びました。夏になったら、10回以上、子どもと海水浴に行きます。松江は海がすごくきれいですよ。魚がいっぱいいて。だから、農学部といっても農業ではなく水産を選んだんです。
奥田 京大の水産って、何を勉強するのですか。
橋本 魚のことを勉強したり、そのDNAがどうのとかも勉強しましたけど、ちょっとやってみて、自分には向いてないなと思ったんです。僕はやっぱり、数字をいじるような系が向いているなと思って、それで、修士課程は東京大学の地球物理に進みました。
奥田 東大の地球物理っていうのは本郷ですか。
橋本 本郷なんですけど、僕は地球物理といっても海洋研究所というところで、観測船に乗って行くようなやつで、南極の手前まで船に乗って行ったりとか、旅とかよくしていたので、そういう仕事もおもしろそうだと思ったんです。
奥田 橋本先生の履歴書は、そうとう複雑ですね。
橋本 そうですね。けっこうおもしろがられます。それで、海洋研究所に行ったんですけど、実はその後、東大の大学院を中退したんですよ。やってみて、これも向いてないと思って……。それと、体を壊して船に乗るのもつらくて、それでいったん休学して、前から行きたかった中国の雲南省に留学したんです。
奥田 雲南省は何歳の時ですか。
橋本 25、6歳の頃ですね。1年いたんですが、そのときに雲南省の大学で日本語の先生を務めていたのが、今の奥さんです。日本人ですけど。
奥田 その後はカナダの大学でも研究生活を送られていますから、まさに東奔西走ですね。なにかスケールが違いますね。橋本先生はまた何年後かには、日本を離れてどこかへ飛び出しておられるかもしれませんね。
橋本 1997年に雲南民族学院の留学を終えて、台湾の大学院で勉強しようと思っていたんです。それで台湾へ行って、たまたまNHKテレビをみていたら、コンピュータ将棋の話をしていて、大学でもそういう研究をしている人がいるという内容だったのです。自分はもともとプログラムも好きで将棋も好きだから、いいなと思って、急いで日本に戻って調べたら、当時、東京農工大学の小谷善行先生と電気通信大学の野下浩平先生しか、大学で研究しておられる方がみつからなかったんです。それでお二人にお会いして、小谷先生から静岡大学にプロ棋士でもある飯田弘之先生がおられるということを聞いたのです。
奥田 それで静岡大学を訪ねて……。
橋本 ええ、飯田先生にお会いして、コンピュータ将棋「TACOS」をつくり始めたのです。
奥田 プロ棋士の橋本崇載五段(当時)と先生の「TACOS」が初対戦したのは2005年9月ですから、開発から7年くらい経っているのですね。
橋本 この対戦もお膳立てしてくれたのは飯田先生なんです。飯田先生はプロ棋士でもあって、そういう事情で橋本五段に頼んでくれました。
奥田 その時は橋本五段が勝つんですね。
橋本 そんなに期待していなかったのですが、たまたま僕のプログラムのいいところが出るような局面になって、途中は優勢になったこともありました。橋本五段が途中危なかったというのが結構話題になって、それで、すぐに将棋連盟はコンピュータとの対戦を禁止したんです。
奥田 「TACOS」は今、何段ぐらいの実力をもっているのですか。
橋本 アマチュア六段の力はあります。
奥田 橋本先生が小さい頃から一つひとつの要素みたいなものを積み上げて熟成されたのが、「TACOS」なんですね。
橋本 そうです。でも、自宅のインターネットで棋譜を見たり、対戦していても、うちの奥さんは、「遊んでるのか仕事をしてるのかわからない」と言うんですよ。自分の楽しみがそのまま仕事に直結するのはいいですね(笑)。地方にいても強い相手と対戦できますしね。
奥田 コンピュータの時代になって将棋の楽しみ方もずいぶん変わりましたね。
橋本 以前、徳山高専の子がインターンで来たいというので預かったんです。彼はコンピュータ将棋しかやったことがなくて、それで盤を出して一局やってみたんです。すると駒の持ち方がへたくそなんです。ある程度やっている人が指すと「パチン」と高い音が出せますが、彼の場合は「ベシッ」という感じなんですよ。
奥田 おもしろいな、そのギャップ。
橋本 だけど、四段の腕前をもっていて、指し手はすごくしっかりしているんです。いよいよほんとにこういう時代になったと思いました。
奥田 彼にとっては「パチン」じゃなくて、「クリック」なんですね。
橋本 僕はここで将棋の顧問もしているんですが、昔に比べると、とくに地方のレベルが上がっています。コンピュータのおかげです。
奥田 コンピュータ社会では、情報格差がなくなるのが大きなメリットですね。興味深いお話をありがとうございました。
橋本 今、自称五段です。島根県でトップの人にはかなわないけれど、たまには勝てるかぐらいの棋力です。
奥田 中学生からは将棋にのめり込んで、その次は?
橋本 もともと数学とか物理も好きで、将来は何をしようかといろいろ悩みました。体を動かす仕事もいいかなと思って、大学は京都大学の農学部に入ったんです。僕は泳ぐのが好きで、海が好きで、実はそれで松江高専も選びました。夏になったら、10回以上、子どもと海水浴に行きます。松江は海がすごくきれいですよ。魚がいっぱいいて。だから、農学部といっても農業ではなく水産を選んだんです。
奥田 京大の水産って、何を勉強するのですか。
橋本 魚のことを勉強したり、そのDNAがどうのとかも勉強しましたけど、ちょっとやってみて、自分には向いてないなと思ったんです。僕はやっぱり、数字をいじるような系が向いているなと思って、それで、修士課程は東京大学の地球物理に進みました。
奥田 東大の地球物理っていうのは本郷ですか。
橋本 本郷なんですけど、僕は地球物理といっても海洋研究所というところで、観測船に乗って行くようなやつで、南極の手前まで船に乗って行ったりとか、旅とかよくしていたので、そういう仕事もおもしろそうだと思ったんです。
奥田 橋本先生の履歴書は、そうとう複雑ですね。
橋本 そうですね。けっこうおもしろがられます。それで、海洋研究所に行ったんですけど、実はその後、東大の大学院を中退したんですよ。やってみて、これも向いてないと思って……。それと、体を壊して船に乗るのもつらくて、それでいったん休学して、前から行きたかった中国の雲南省に留学したんです。
奥田 雲南省は何歳の時ですか。
橋本 25、6歳の頃ですね。1年いたんですが、そのときに雲南省の大学で日本語の先生を務めていたのが、今の奥さんです。日本人ですけど。
奥田 その後はカナダの大学でも研究生活を送られていますから、まさに東奔西走ですね。なにかスケールが違いますね。橋本先生はまた何年後かには、日本を離れてどこかへ飛び出しておられるかもしれませんね。
ネットが地域格差をなくし、地方の学校の棋力が上がった
奥田 橋本先生とコンピュータ将棋との出会いはいつ頃なのですか?橋本 1997年に雲南民族学院の留学を終えて、台湾の大学院で勉強しようと思っていたんです。それで台湾へ行って、たまたまNHKテレビをみていたら、コンピュータ将棋の話をしていて、大学でもそういう研究をしている人がいるという内容だったのです。自分はもともとプログラムも好きで将棋も好きだから、いいなと思って、急いで日本に戻って調べたら、当時、東京農工大学の小谷善行先生と電気通信大学の野下浩平先生しか、大学で研究しておられる方がみつからなかったんです。それでお二人にお会いして、小谷先生から静岡大学にプロ棋士でもある飯田弘之先生がおられるということを聞いたのです。
奥田 それで静岡大学を訪ねて……。
橋本 ええ、飯田先生にお会いして、コンピュータ将棋「TACOS」をつくり始めたのです。
奥田 プロ棋士の橋本崇載五段(当時)と先生の「TACOS」が初対戦したのは2005年9月ですから、開発から7年くらい経っているのですね。
橋本 この対戦もお膳立てしてくれたのは飯田先生なんです。飯田先生はプロ棋士でもあって、そういう事情で橋本五段に頼んでくれました。
奥田 その時は橋本五段が勝つんですね。
橋本 そんなに期待していなかったのですが、たまたま僕のプログラムのいいところが出るような局面になって、途中は優勢になったこともありました。橋本五段が途中危なかったというのが結構話題になって、それで、すぐに将棋連盟はコンピュータとの対戦を禁止したんです。
奥田 「TACOS」は今、何段ぐらいの実力をもっているのですか。
橋本 アマチュア六段の力はあります。
奥田 橋本先生が小さい頃から一つひとつの要素みたいなものを積み上げて熟成されたのが、「TACOS」なんですね。
橋本 そうです。でも、自宅のインターネットで棋譜を見たり、対戦していても、うちの奥さんは、「遊んでるのか仕事をしてるのかわからない」と言うんですよ。自分の楽しみがそのまま仕事に直結するのはいいですね(笑)。地方にいても強い相手と対戦できますしね。
奥田 コンピュータの時代になって将棋の楽しみ方もずいぶん変わりましたね。
橋本 以前、徳山高専の子がインターンで来たいというので預かったんです。彼はコンピュータ将棋しかやったことがなくて、それで盤を出して一局やってみたんです。すると駒の持ち方がへたくそなんです。ある程度やっている人が指すと「パチン」と高い音が出せますが、彼の場合は「ベシッ」という感じなんですよ。
奥田 おもしろいな、そのギャップ。
橋本 だけど、四段の腕前をもっていて、指し手はすごくしっかりしているんです。いよいよほんとにこういう時代になったと思いました。
奥田 彼にとっては「パチン」じゃなくて、「クリック」なんですね。
橋本 僕はここで将棋の顧問もしているんですが、昔に比べると、とくに地方のレベルが上がっています。コンピュータのおかげです。
奥田 コンピュータ社会では、情報格差がなくなるのが大きなメリットですね。興味深いお話をありがとうございました。
「橋本先生が小さい頃から一つひとつ積み上げて熟成されたのが、
将棋ソフト『TACOS』なんですね」(奥田)
将棋ソフト『TACOS』なんですね」(奥田)
(文/谷口 一)
Profile
橋本 剛
(はしもと つよし) 1970年、京都市生まれ。94年、京都大学農学部水産学科卒業。同年、東京大学大学院地球惑星物理学専攻博士前期課程入学。96年、中国 雲南民族学院外語系留学。97年、台湾 文化大学外語系留学。98年、静岡大学大学院設計科学博士後期課程入学。コンピュータ将棋の開発を手がける。03年、カナダ アルバータ大学コンピューティングサイエンス学部客員研究員。2010年より松江工業高等専門学校情報工学科准教授。専門はゲーム情報学。11年度まで情報処理学会ゲーム情報学研究会幹事。