最終的には商品力そのものがものをいう――第84回
宇佐美 隆一
島根富士通 代表取締役社長
構成・文/谷口一
宇佐美 やはりバリューのあるプロダクトではないでしょうか。例えば、防水のスマートフォンを量産しようとしても、中国ではなかなかできないという話を聞いたことがあります。このあたりの技術力は、日本というか、出雲を含めた中国地方の強みではないかと感じています。中国地方では、神代の昔から受け継がれてきた“たたら”の製鉄技術といった、連綿と続いてきたものづくりの文化があります。こうした文化がベースとなり、今の日本、あるいは中国地方のものづくりの形がつくられたのではないかと思っています。
奥田 “たたら”の製鉄の時代と、今、プリント板をつくっている時代と、もちろん技術はぜんぜん違いますが、共通するものっていうのはあるのでしょうか。
宇佐美 安来市に古代製鉄技術などを紹介する和鋼(わこう)博物館というのがあるのですが、ここ1、2年、たびたび通って、“たたら”の技術を観察しています。
奥田 そうですか。私も興味がありますね。
宇佐美 “たたら”そのものは、量産性に難があるとか、製品を取り出すときに炉を壊さなくてはいけないという面があって近代製鉄に負けたのですが、“たたら”でつくる鋼というのは、近代製鉄の技術ではつくれないといわれています。“たたら”の鋼は、三日三晩をかけてつくるのですが、一日でつくる近代製鉄の鉄と“たたら”の鋼では、叩けば差がわかるそうです。そういう話を聞いて、だてに三日かけてつくっているのではないと思いました。また、日本刀をつくるためには、“たたら”の鋼なしでは成り立たないといわれています。それほどの高い技術力ではありますが、当時の人たちは、炭素成分などの化学的な知識に基づいたものではなく、多くの経験のなかで積み上げた結果、そこまで到達できたということです。そういう心というものが大事ですし、たぶん日本人として、本質的にもっている心だろうなと思っています。これは、一部限られた人ではなく、多くの人が持っているものと思います。
奥田 この70万人の島根県にはとくに多いかもしれませんね。過去、その追求心のなかから生まれた古代製鉄技術“たたら”がありました。では今、世界の中で人々がこれを日本から買わなければいけない、もっと絞り込むとITの業界から、もっと絞り込むと富士通から買わなければいけないというようなもの、“たたら”のようなものがこれからできるのでしょうか。
宇佐美 そういうものをわれわれは日夜目指しています。ただ今後は、技術的なことだけではなく、デザイン性であるとか、どこのセグメントのお客様をターゲットにしているかとか、そういう分野も非常に重要になってきています。また、かつては富士通のパソコンというのは、中にこれだけ入るのだから、外側はこんなふうになってしまうとことが結構多かったように思うのですけど、最近はやり方が逆で、外観はこれで決まっているのだから、この中へ如何に納めるみたいな……。そういうものづくりになってきていますね。
宇佐美 ものづくりという面においては、他にはあまりモデルはないかなと思います。だから、自分自身がやらなければならないことが、どれだけできたかというのが重要になります。あと、ものづくりのやり方そのものも、中国と日本では自ずと違いますね。よく言うんですが、日本、とくにここ出雲の地では長期間にわたって同じ職に就く傾向にあり、例えば私どもの工場の年間離職率は1%以下です。中国では旧正月が終わると、労働者の半数が戻ってこないと聞きます。もしそうであれば、一人の人間に多くの仕事を与えられません。ということは、一つのラインで中国では100人以上の人を並べなければ、組み立てができない。対して、われわれのところでは10人で組み立てられるんです。
奥田 中国の10分の1の人数でできるということですね。
宇佐美 そうです。日本にはこだわるお客様が多いですから。とくに企業のお客様は担当の役員の方に工場に来ていただいて、現場をみて、これなら富士通に任せて大丈夫だなと納得していただいています。
奥田 そうすると、日本のお客様には通用するけれど、コスト重視の海外のお客様は、ここまでの品質などを求められていないのですか。
宇佐美 必ずしもそういう話ではないと思っています。やはり、Made in Japanがいいとおっしゃる海外のお客様も存在するわけです。しかしそれは、ただ単に日本でつくったからというのではなく、最終的には商品力そのものだと思います。ですからお客様が欲しいと思うような商品を、われわれが出し続けられるかどうかだと思います。
奥田 では今、世界の人々がこれを日本から買わなければいけない、もっと絞り込むと富士通から買わなければいけない、というようなものができるのでしょうか。
宇佐美 そういうものを、富士通グループで出していきたいと思っていますし、われわれもそういう意識で日々取り組んでいるとみていただきたいと思います。
奥田 私も、世界中で富士通のノートPCが、あれでないとダメという時代がきてほしいと願っているのです。
宇佐美 もちろん自分自身も、選択の余地はないという製品をつくりたいですよ。
奥田 可能性はあるのですか。
宇佐美 可能性うんぬんより、そういうことを信じてやり続けることじゃないですか。重要なのはこだわりと継続、そしてぶれないの三つだと思っています。
奥田 「夢をかたちに」、大いに期待しています。
奥田 “たたら”の製鉄の時代と、今、プリント板をつくっている時代と、もちろん技術はぜんぜん違いますが、共通するものっていうのはあるのでしょうか。
宇佐美 安来市に古代製鉄技術などを紹介する和鋼(わこう)博物館というのがあるのですが、ここ1、2年、たびたび通って、“たたら”の技術を観察しています。
奥田 そうですか。私も興味がありますね。
宇佐美 “たたら”そのものは、量産性に難があるとか、製品を取り出すときに炉を壊さなくてはいけないという面があって近代製鉄に負けたのですが、“たたら”でつくる鋼というのは、近代製鉄の技術ではつくれないといわれています。“たたら”の鋼は、三日三晩をかけてつくるのですが、一日でつくる近代製鉄の鉄と“たたら”の鋼では、叩けば差がわかるそうです。そういう話を聞いて、だてに三日かけてつくっているのではないと思いました。また、日本刀をつくるためには、“たたら”の鋼なしでは成り立たないといわれています。それほどの高い技術力ではありますが、当時の人たちは、炭素成分などの化学的な知識に基づいたものではなく、多くの経験のなかで積み上げた結果、そこまで到達できたということです。そういう心というものが大事ですし、たぶん日本人として、本質的にもっている心だろうなと思っています。これは、一部限られた人ではなく、多くの人が持っているものと思います。
奥田 この70万人の島根県にはとくに多いかもしれませんね。過去、その追求心のなかから生まれた古代製鉄技術“たたら”がありました。では今、世界の中で人々がこれを日本から買わなければいけない、もっと絞り込むとITの業界から、もっと絞り込むと富士通から買わなければいけないというようなもの、“たたら”のようなものがこれからできるのでしょうか。
宇佐美 そういうものをわれわれは日夜目指しています。ただ今後は、技術的なことだけではなく、デザイン性であるとか、どこのセグメントのお客様をターゲットにしているかとか、そういう分野も非常に重要になってきています。また、かつては富士通のパソコンというのは、中にこれだけ入るのだから、外側はこんなふうになってしまうとことが結構多かったように思うのですけど、最近はやり方が逆で、外観はこれで決まっているのだから、この中へ如何に納めるみたいな……。そういうものづくりになってきていますね。
お客様が欲しくなる商品を出し続けていく
奥田 目指すモデルというようなものはあるのでしょうか。宇佐美 ものづくりという面においては、他にはあまりモデルはないかなと思います。だから、自分自身がやらなければならないことが、どれだけできたかというのが重要になります。あと、ものづくりのやり方そのものも、中国と日本では自ずと違いますね。よく言うんですが、日本、とくにここ出雲の地では長期間にわたって同じ職に就く傾向にあり、例えば私どもの工場の年間離職率は1%以下です。中国では旧正月が終わると、労働者の半数が戻ってこないと聞きます。もしそうであれば、一人の人間に多くの仕事を与えられません。ということは、一つのラインで中国では100人以上の人を並べなければ、組み立てができない。対して、われわれのところでは10人で組み立てられるんです。
奥田 中国の10分の1の人数でできるということですね。
宇佐美 そうです。日本にはこだわるお客様が多いですから。とくに企業のお客様は担当の役員の方に工場に来ていただいて、現場をみて、これなら富士通に任せて大丈夫だなと納得していただいています。
奥田 そうすると、日本のお客様には通用するけれど、コスト重視の海外のお客様は、ここまでの品質などを求められていないのですか。
宇佐美 必ずしもそういう話ではないと思っています。やはり、Made in Japanがいいとおっしゃる海外のお客様も存在するわけです。しかしそれは、ただ単に日本でつくったからというのではなく、最終的には商品力そのものだと思います。ですからお客様が欲しいと思うような商品を、われわれが出し続けられるかどうかだと思います。
奥田 では今、世界の人々がこれを日本から買わなければいけない、もっと絞り込むと富士通から買わなければいけない、というようなものができるのでしょうか。
宇佐美 そういうものを、富士通グループで出していきたいと思っていますし、われわれもそういう意識で日々取り組んでいるとみていただきたいと思います。
奥田 私も、世界中で富士通のノートPCが、あれでないとダメという時代がきてほしいと願っているのです。
宇佐美 もちろん自分自身も、選択の余地はないという製品をつくりたいですよ。
奥田 可能性はあるのですか。
宇佐美 可能性うんぬんより、そういうことを信じてやり続けることじゃないですか。重要なのはこだわりと継続、そしてぶれないの三つだと思っています。
奥田 「夢をかたちに」、大いに期待しています。
「私も、世界中で富士通のノートPCが、あれでないとダメという時代が
きてほしいと願っているのです」(奥田)
きてほしいと願っているのです」(奥田)
(文/谷口 一)
Profile
宇佐美 隆一
(うさみ りゅういち) 1954年生まれ。1972年、秋田県立秋田工業高校電気科卒業。同年4月、富士通に入社。1990年、パソコン開発を担当。2007年、パーソナルビジネス本部品質保証統括部長。2008年6月、株式会社島根富士通代表取締役社長に就任、現在に至る。