日本市場で品質を磨き、アジア、そして世界に展開する――第81回
金 範洙
オンザアイティ 代表取締役社長
構成・文/小林茂樹
撮影/横関一浩
2012年6月、2年ぶりに訪れたソウルは街として成熟し、落ち着いた雰囲気に包まれているという印象を抱いた。このときお会いしたのが、オンザアイティの金範洙社長だ。ナレッジマネジメント分野のソフトを開発・販売する同社は、5年前、日本へ進出して東京に拠点を設けた。「進出後3年間は、日本の文化を覚える期間でした」と語ってくれた金社長に東京で再会し、ここに至るまでの経緯と今後の事業展開についてうかがった。【取材:2012年10月9日 東京・千代田区霞が関のオンザアイティ東京オフィスにて】
「人ありて我あり」は、私の座右の銘です。人は夢と希望がある限り、前に進むことができると考えています。中学生の頃から私を捕らえて放さないテーマ「人とはなんぞや」を掲げながら「千人回峰」に臨み、千通りの「人とはなんぞや」がみえたとき、「人ありて我あり」の「人」が私のなかでさらに昇華されるのではないか、と考えています。
※編注:文中に登場する企業名は敬称を省略しました。
入社10年で独立起業
奥田 金さんはエンジニアとしての経験を積んで、現在はIT企業の経営者として活躍しておられますが、最初にコンピュータと出会ったのはいつ頃のことですか。金 中学生の頃ですね。最初に触ったのはアップルのマシンです。私は5人きょうだいの末っ子なのですが、兄たちが遊んでいたものを譲ってもらって、それを見よう見まねでいじっていました。そんなことからコンピュータに関心をもつようになり、医学部に進学しなさいという親を説得して、大学ではコンピュータサイエンスの道を選んだのです。
奥田 大学を卒業して、サムスンに入社されたのは……。
金 27歳のときですね。韓国には徴兵制度がありますから、男性は一般に3年間の兵役に就く義務があります。ですから最短でも、大卒の就職年齢は26歳か27歳。私の場合は、大学2年生を終えたところで軍隊に入り、3年後の87年に大学に戻ったのですが、ちょうどそのタイミングでUNIXが登場していました。私が本格的にプログラミングの世界に入ったのはこの時代です。
奥田 なるほど、そこでUNIXと出会って、それを学び、希望通りサムスンに……。
金 サムスン電子に入社して3年間は、UNIXではなくIBM系の仕事をしていました。そして韓国最大のSIerであるサムスンSDSに移って、サムスングループの人事統合管理システムの構築に7年間携わりました。ここではUNIXのシステムを使っていたので、ようやく大学で得た知識を生かすことができたわけです。
奥田 サムスンに10年間在籍した後に独立されましたが、はじめから起業するつもりでしたか。
金 はい。サムスンで役員まで上り詰めるという発想は最初からありませんでした。いろいろな経験を積み、10年ほど勤務したら独立しようという目標をもっていたんです。
具体的にいえば、サムスンで「KMS(ナレッジ・マネジメント・システム)」という、現在の「KnowledgePlus」のベースになったものに出会ったことが大きな力となりました。これまでの開発経験を生かせば、それをうまく一つのパッケージにまとめられるのではないかと考えて、起業を決意したのです。
奥田 自分の開発したソフトウェアを形にしたいというのと、起業してお金持ちになろうというのでは、どちらの思いのほうが強かったのですか。
金 お金に対する思いよりも、エンジニアとしての思いのほうが強かったですね。韓国ではソリューションパッケージそのものが珍しく、あっても欧米製のものがほとんどでしたが、私がそういうものをつくって、それを日本や中国、そして東南アジアにも展開していきたいと考えました。
グローバルで展開するために
奥田 ビル・ゲイツになろうという夢は?金 億万長者になる夢ではなく、アジアで広く展開できるパッケージをつくりたいという夢はあります。その夢はいま進行中です。
奥田 その大きな夢に向けて、どんなイメージで事業計画を立てておられますか。
金 実は2001年から1年半ほど、アメリカのサンノゼで営業活動を行った経験があります。このとき、製品への評価はよくても購買にはなかなか結びつきませんでした。それは、Made in Koreaであることが大きく影響したのです。
この経験から、私は日本や中国、東南アジアに目を向けたわけですが、プロセスや品質がきちんとしている日本でしっかりと戦うことができれば、パッケージの完成度も高まると考えました。そして、日本で展開を始めて5年経った今では、ドキュメントやマニュアルの完成度は非常に高いレベルになっています。これなら、他のアジアの国々やグローバルでも十分に展開できます。
奥田 日本の市場を通すことで品質が高まるということですが、それはなぜでしょうか。
金 システムに関する文化が、日韓で異なるということです。例えば日本では徹底的に製品チェックを行ったうえで完成となりますが、韓国では少々足りない部分があってもその製品の必要性に応じて柔軟に対応して、個々の状況に合わせて補完していくというスタイルが一般的です。その場合のメリットは市場の開拓がスピーディにやれること、現場の声に合わせて迅速な応対ができ、実際に使いながらさらに品質の向上を目指していく点にあると考えています。今後も両国のいい部分を生かしたモノづくりをしながら、グローバルで展開していきます。
奥田 金さんは起業されて12年になりますが、いままでの経営を振り返ってどんな思いを抱いておられますか。