不易流行、未来に向けて“変えるものと変えないもの”がある――第78回

千人回峰(対談連載)

2013/02/25 00:00

鈴木範夫

鈴木範夫

日興通信 代表取締役社長

構成・文/谷口一
撮影/津島隆雄

お客様と社会のニーズに応じて、会社も変わっていく

 奥田 日興通信の社歴は、三代で66年。IT業界のなかで飛び抜けて長い歴史がありますね。それにしては地味な会社だなあ、と長く親しくさせていただきながら感じているのですが……。

 鈴木 地味という印象をどう捉えていいのですかねぇ。

 奥田 地味という言葉を訂正します。創業者のお祖父様、二代目のお父様、そして三代目の範夫社長で、共通して大切にしている家訓的なものがあるのでしょうか。

 鈴木 一つあるのは、人様の前で経営論を語らないようにということ。それを教えられました。

 奥田 ほう。先代とは親しいつき合いをさせていただいていますが、それは初耳です。

 鈴木 「私どもの経営手法は」とか、「うちの会社のやり方は」といったことに言及すれば、言った段階で止まってしまう、成功体験になったら終わりだということかもしれません。

 奥田 それは、口頭で伝えられたのですか。

 鈴木 はい、そうです。祖父も父も「うちの経営は」みたいなことは外では言っていないと思います。もちろん、言わなければいけない場合には話しますけれど、必要以上に、「私の経営哲学は」みたいなことはしゃべりませんね。それを地味というかどうかは別ですけど。私自身が社長になって自分の役割、三代目の役割を考えたとき、裸一貫で会社をつくったのが初代で、二代目はその会社を大きくしました。三代目はイメージ的な言い方ですけど、その会社を企業に変えてゆくことが仕事かと思っています。そうした流れが、もしかしたら地味な動きにみえるのかもしれません。

 奥田 会社を質的に変革するということですね。33年後、100周年に向けてのフレームは範夫社長が描かれるわけですが、どんなイメージなのでしょうか。

 鈴木 創業時の仕事で、今残っているものは一つもありません。ですから、今と同じ仕事を100周年の時点でやっているかどうかは、正直わかりません。ただ、今日がなければ明日はない。今日を大事にしながら何をどう変えていかなければならないのかを常に考え、お客様と社会のニーズに合わせて自分たちも変わっていくというのが、100年続く企業の前提だと思っています。コンピュータだとかITがどういう役割を果たしているのか、位置づけも変わっているでしょう。そのなかで、業容を拡大していくには、やはり常に新しいことをやっていく必要があると思います。新しいということは、扱い製品やテリトリーを広げるとか、あるいは、自分のところでできないことを補完し合って広げるとか、そういうことになると思います。

教育、農業、医療への支援は、IT企業としての使命

 奥田 今、得意とされている市場はどんなところなのでしょうか。

 鈴木 うちで圧倒的なシェアを占めるのは教育、学校ですね。これは年商の3分の1くらいを占めています。今、2700校ほどとお取引があり、全国の学校の6.5%のシェアをとっています。その分野のお客様にどうすればお役に立てるか。国の教育水準をあげていくということに、どれだけ関与できるかというのがとても重要だと思っています。

 二つ目は、JAさんです。これからは農業だと捉えています。JAという組織を通して、農業そのもののことをもっと考えていかなくてはならないと思っています。食料自給率というのは、その国がどれだけ自立できるかを左右します。農業が日本で成り立っていくことに、ITの世界からどのように支援できるか。海外に勝てる農産物をつくっていくことに、ITとしてどう関与できるか。とても重要なことだと思います。

 それから、最近力を入れているのが、医療・介護分野です。病院の交換機はずっと前からやっていますので、たくさんのお客様を抱えています。介護施設が増えてきたのはここ数年のことですから、市場としてはこれから。日本国内で商売しているIT企業として、教育、農業、医療の三分野に力を注いでいくのは社会的使命だと思っています。

 奥田 三つの事業には、それぞれに共通したコアの部分と、事業別に特化した部分があると思います。日興通信ならではのものを聞かせてください。

 鈴木 ベースとしてはネットワークインフラで、これがどの業種でも共通です。得意としているのは、デジタルサイネージなど視覚に訴える分野です。もともとは、日本テレビさんのプロ野球や箱根駅伝の中継放送用テロップをつくったのが始まりです。こういう表示装置とからめたネットワーク技術というのが得意です。

 奥田 それは、三つの業種に共通して提供できるコアの技術になるわけですか。

 鈴木 この部分は、手前味噌ではありますが、競争力があると思っています。

 奥田 箱根駅伝のテロップの件は、私も昔聞いて、これ日興通信さんのなんだと思ってテレビを観たのを思い出しました。テロップをスタートしたのはいつ頃でしたか。

 鈴木 プロ野球は1987年、箱根駅伝は1988年からですね。昨年の東日本大震災のときは、NHKも民放もずっと震災情報を映していましたが、あの時に画面上に日本地図があり、津波警報が赤や黄色で映っていたと思いますが、一部の民放局はうちで携わったシステムです。

 奥田 そういったお話を、対外的にもっと広報されたらと思います。

 鈴木 会社から企業にということで、ここ4~5年、内部改革をしなくてはならなかった時期で、遅ればせながら法務の専門部署をつくったりしてきましたが、やっと広報の動きも始めています。それと、昨年、東北に進出したこともあって、東北での消防・防災関係の仕事が生まれてきています。宮城県のある消防もこれから工事に入ります。これらはもちろん商売ですけれど、使命だとも感じています。先ほどもお話ししましたが、日興通信は、昭和22年、終戦直後の焼野原だったところに、電柱を立てて電線を張ってというのでスタートした会社です。ですから東北の復興のお役に立てるというのは、たまたまですが、巡り合わせかなとも思っています。

 奥田 日本を復興するのだという日興通信の創業の理念と情熱が、脈々と息づいているわけですね。きょう、お話をうかがって、そのことを実感しました。貴重なお話を聞かせていただき、どうもありがとうございました。

「日本を復興するのだという日興通信の創業の理念と情熱が、脈々と息づいているわけですね」(奥田)

(文/谷口 一)

前へ

  • 1
  • 2

Profile

鈴木範夫

(すずき のりお)  1957年、東京生まれ。82年、早稲田大学大学院修士課程(建築史)修了。86年、米国クレアモント大学院(経営管理)修了。87年、日興通信入社。91年、取締役に就任。93年、取締役フィールドサービス事業部長兼ソフトウェア事業部長。95年、常務取締役。96年、代表取締役社長に就任し、現在に至る。