日本から人を送り込んでいるうちは決して本物ではない――第74回
JBCCホールディングス 前会長 石黒和義
構成・文/谷口一
撮影/大星直輝
石黒 目の前の西洋のいろんな考え方だとか東洋の考え方なんか、みんな吹っ飛んじゃいますからね。だから、そういう話を聞いていると、なんとなくおかしな気持ちになります。まあ、人間の永遠のテーマでしょうね。そういうことを考えるという行為は、現実の世界に戻った時に、スケール観だとか、物事を考える場合の軸足は何が正しいのか、何をやってはいけないことなのかといった判断や決断を下す場合にプラスに働いているのだと思います。
石黒 中国とは、もともと10年以上のオフショア開発でのつき合いがありましたから、下地は整っていました。ただ最初の頃は、正直、深く入り込むことは考えていませんでした。オフショア開発的な関わり方に限定した範囲が妥当だろう、と。当時の中国は、世界の工場でしたからね。しかし、つき合ううちに信頼できるパートナー、信頼できる中国人たちが周りに現れてきて、市場も活性化し、世界の工場から市場としてみる動きが出てきました。そういうなかで、中国を市場としてみる動きが出てきました。そういうなかで、当社としても中国を市場としてみるべきだろうという思いがしてきたわけです。
奥田 そうした見方が生まれたのは、いつ頃のことでしょうか。
石黒 今から5、6年前ですね。
奥田 それには、何かきっかけがあったのですか。
石黒 結局、日本がいろんな意味で行き詰まりを示し始めましたからね。製造業を中心として、流通、金融、みんな動いている。それに比べてIT業界、とくにソリューションプロバイダの動きが遅い。そういう一種のあせりのような思いが、海外進出へと突き動かしたように思います。
奥田 きっかけといえば、日本の経済にとってはリーマン・ショックが大きな転機になりました。でも、石黒さんが決断されたのは、それよりも前のことですね。
石黒 そうです。リーマン・ショックで危機的状況にあると気づくのはあたりまえですからね。先行する兆候として、私どもの主要なお客様である中堅企業がアジアシフトを行うという動きが出てきていました。そうであれば、当然ながらグローバルレベルのサポートが求められますから、日本に閉じこもって海外へ出ていかないという選択肢はあり得ません。ヒト、モノ、カネ、情報を使って、われわれも海外で役に立とう、と。グローバル展開している日本の企業に対して、当社がその企業のパートナーであるためには、当然のことながら進出すべきだと考えました。10年以上前から、いろんなパートナー企業からお誘いはあったのですが……。
奥田 機が熟すのを待ったということですね。海外へ進出するにあたって、とくに留意しておられることはありますか。
石黒 やはり、アセット(資産)とキャッシュフローですね。中国での事業展開には規制がありますから、慎重にはやっていますが……。ただ、腰が引けた展開っていうのはダメです。やるなら本気になってやらないと。
奥田 本気というのは、どういうことをいうのでしょうか。
石黒 突き詰めれば、やはり、中国なら中国人の人材を、タイならタイ人の人材をいかに育て、任せるかということだと思います。そういう意味では、やっと緒についたところかなと感じています。日本から人を送り込んでいるうちは、決して本物ではありません。われわれのようなソリューションプロパイダのグローバル展開というのは、まだまだ数は少ないのですけれど、他の業種からみたら、現地の人を育てて任せるというのはあたりまえのことですよ。そういう点では、私どものお客様の企業のほうがはるかに進んでいます。
奥田 ITベンダーよりもユーザー企業のほうが先を行っているということですね。
石黒 それは間違いないですね。
奥田 JBCCの場合もそうですか。
石黒 われわれのお客様は、中堅企業が比較的多いですから、いろんな意味で私どもが先導的な役割を果たすことができます。だけど、大手のお客様なら、グローバルのシステムはとっくに整備されていますので、当社が後から追いかけていっているというところです。そう考えると、国内でメシが食えたうちは幸せだったのでしょうね。
腰の引けた展開ではダメ、やるなら本気で
奥田 本題の事業の話に入らせていただきます。石黒さんは、いろいろな局面で決断してこられたと思いますが、事業の領域を中国、アジアに拡大するに際しては、どういう判断材料をもっておられたのでしょうか。石黒 中国とは、もともと10年以上のオフショア開発でのつき合いがありましたから、下地は整っていました。ただ最初の頃は、正直、深く入り込むことは考えていませんでした。オフショア開発的な関わり方に限定した範囲が妥当だろう、と。当時の中国は、世界の工場でしたからね。しかし、つき合ううちに信頼できるパートナー、信頼できる中国人たちが周りに現れてきて、市場も活性化し、世界の工場から市場としてみる動きが出てきました。そういうなかで、中国を市場としてみる動きが出てきました。そういうなかで、当社としても中国を市場としてみるべきだろうという思いがしてきたわけです。
奥田 そうした見方が生まれたのは、いつ頃のことでしょうか。
石黒 今から5、6年前ですね。
奥田 それには、何かきっかけがあったのですか。
石黒 結局、日本がいろんな意味で行き詰まりを示し始めましたからね。製造業を中心として、流通、金融、みんな動いている。それに比べてIT業界、とくにソリューションプロバイダの動きが遅い。そういう一種のあせりのような思いが、海外進出へと突き動かしたように思います。
奥田 きっかけといえば、日本の経済にとってはリーマン・ショックが大きな転機になりました。でも、石黒さんが決断されたのは、それよりも前のことですね。
石黒 そうです。リーマン・ショックで危機的状況にあると気づくのはあたりまえですからね。先行する兆候として、私どもの主要なお客様である中堅企業がアジアシフトを行うという動きが出てきていました。そうであれば、当然ながらグローバルレベルのサポートが求められますから、日本に閉じこもって海外へ出ていかないという選択肢はあり得ません。ヒト、モノ、カネ、情報を使って、われわれも海外で役に立とう、と。グローバル展開している日本の企業に対して、当社がその企業のパートナーであるためには、当然のことながら進出すべきだと考えました。10年以上前から、いろんなパートナー企業からお誘いはあったのですが……。
奥田 機が熟すのを待ったということですね。海外へ進出するにあたって、とくに留意しておられることはありますか。
石黒 やはり、アセット(資産)とキャッシュフローですね。中国での事業展開には規制がありますから、慎重にはやっていますが……。ただ、腰が引けた展開っていうのはダメです。やるなら本気になってやらないと。
奥田 本気というのは、どういうことをいうのでしょうか。
石黒 突き詰めれば、やはり、中国なら中国人の人材を、タイならタイ人の人材をいかに育て、任せるかということだと思います。そういう意味では、やっと緒についたところかなと感じています。日本から人を送り込んでいるうちは、決して本物ではありません。われわれのようなソリューションプロパイダのグローバル展開というのは、まだまだ数は少ないのですけれど、他の業種からみたら、現地の人を育てて任せるというのはあたりまえのことですよ。そういう点では、私どものお客様の企業のほうがはるかに進んでいます。
奥田 ITベンダーよりもユーザー企業のほうが先を行っているということですね。
石黒 それは間違いないですね。
奥田 JBCCの場合もそうですか。
石黒 われわれのお客様は、中堅企業が比較的多いですから、いろんな意味で私どもが先導的な役割を果たすことができます。だけど、大手のお客様なら、グローバルのシステムはとっくに整備されていますので、当社が後から追いかけていっているというところです。そう考えると、国内でメシが食えたうちは幸せだったのでしょうね。