三つの“境界”を越えることが不幸を潰し、人を生かす――第71回
RGF Hong Kong Limited 取締役社長 村井 満
構成・文/小林茂樹
撮影/津島隆雄
よく日本人は「海外」という言葉を使いますが、中国人は基本的に「海外」という言葉は使いません。ベトナムもインドも地続きですから。日本人は肩に力を入れて、「海外事業で頑張る」などと言いますが、そんな発想がないんですね。
奥田 そういうことを体感されたのですか。
村井 体感しましたね。私は香港へ行って初めて、「この違和感は何なのだろう」と思ったわけです。多くの日本の会社には国内事業本部と海外事業本部があって、国内と海外とを分けて考えています。でも地図を見れば、東京もアジアの一拠点にすぎません。例えば、欧米資本の会社はアジアを見て、「このコーラを、シンガポールで何ケース売って、東京で何ケース売って、上海で何ケース売る」というように全体がつながったかたちで事業戦略を立てているのに、日本の会社だけが「国内」と「海外」という線引きをして考えている。これはむしろ珍しいことです。アジア全域を見て、最適なフォーメーションを組んでいくのが本来のあるべき姿だと思います。
でも、私が日本から飛び出してみて気づいたのは、日本もアジアの一エリアであるという認識が自分自身になかったことです。これも一つのバウンダリーというか、心の中にある境界なんですね。
奥田 なるほど。ところで現在、アジアでの拠点はいくつありますか。
村井 RGFの直営拠点は、14都市にあります。そのほかに提携先であるBó Lè独自の拠点が8か所ありますので、今のところ22拠点ですね。
奥田 具体的な事業展開について、少しお話しいただけますか。
村井 中国での事業の一つに、日本企業への就職を希望する学生向けの新卒サービスがあります。2011年度は現地で1万人ほどの学生と面接し、日本人と同じ適性検査を受けてもらいました。日本の企業担当者に出向いていただいたイベント会場に招待したのは、そのうちの約1000人。そこで、約50社の日本企業が個別に面接してくれるというかたちです。学生の多くはトリリンガルで、中国語、英語、もう一つ別の外国語を話す人は珍しくありません。非常に優秀です。この結果、2010年度は約50人、2011年度は約150人が日本企業で働くことになりました。
奥田 半分以上ですね。
村井 そうです。それで、よくよく理由を探ってみると、人事制度の変更についての不満というよりは、私が日本と同じ感覚でマネージャーのローテーションをしてしまったことに問題があったようなのです。
日本の会社は、突然、従業員をクビにしたりはしませんが、中国ではみんなその不安を抱いています。2008年に中国で労働法の改正があり、初めて無期雇用が認められましたが、それまでの現地の労働者はみんな1年契約でした。そのため、彼らは身銭を切って上司を家に呼んだり食事に誘ったりして、上司との関係をコツコツと構築してきました。しかし私は、そういった土壌を考慮せず、ポンと内示を出してしまった。彼らはこれから誰に頼ればいいのか、まったくみえなくなってしまったわけですね。
奥田 なるほど、上下関係が崩れたんですね。縦糸がぷつんと切れた、と。
村井 まさにその通りです。でも考えてみれば、今の中国の近代化や経済成長がすごいといっても、鄧小平の南巡講和が1992年のことですから、本格的な市場経済の経験はまだ20年しか積んでいません。改革開放を明治維新にたとえれば、今の中国は明治20年の段階なんですね。だから、人材マネジメントを含めた事業経営の成功体験やノウハウがまだまだ浅いのは当然といえます。
奥田 村井さんにとっても、気づきがあったわけですね。
村井 そうですね。それ以来、中国の人との人間関係を本気で築こうとするようになりました。昔の日本企業のように、全員で朝礼もやれば社員旅行にも行きますし、新入社員が入ったら一人ひとりみんなの前で必ず紹介します。
よく中国人はドライで、自己中心的で、お金次第ですぐ転職するというイメージがありますが、それはお金しか自分を守れるものがないからそうせざるを得ないだけの話です。でも、それぞれの名前を覚えて語りかけ、会話を重ねていくと、日本人以上に人と人の絆は強まります。本当にコミュニケーションは大事な要素ですね。
私も香港で日本人を1人採用したのですが、驚いたことに、彼はこれまで1回も海外に出たことがないと言います。そういうタイプの若者であっても、自身のキャリアアップのために香港までやって来るのです。今では普通に英語を操り、外国人とケンカできるまでに成長していますよ。
奥田 それはすばらしい。そこまで、グローバルレベルでの人材の流動化が進んでいるということですね。単身で香港にお住まいということですが、どうかおからだに気をつけて、ますますのご活躍を期待しております。
奥田 そういうことを体感されたのですか。
村井 体感しましたね。私は香港へ行って初めて、「この違和感は何なのだろう」と思ったわけです。多くの日本の会社には国内事業本部と海外事業本部があって、国内と海外とを分けて考えています。でも地図を見れば、東京もアジアの一拠点にすぎません。例えば、欧米資本の会社はアジアを見て、「このコーラを、シンガポールで何ケース売って、東京で何ケース売って、上海で何ケース売る」というように全体がつながったかたちで事業戦略を立てているのに、日本の会社だけが「国内」と「海外」という線引きをして考えている。これはむしろ珍しいことです。アジア全域を見て、最適なフォーメーションを組んでいくのが本来のあるべき姿だと思います。
でも、私が日本から飛び出してみて気づいたのは、日本もアジアの一エリアであるという認識が自分自身になかったことです。これも一つのバウンダリーというか、心の中にある境界なんですね。
奥田 なるほど。ところで現在、アジアでの拠点はいくつありますか。
村井 RGFの直営拠点は、14都市にあります。そのほかに提携先であるBó Lè独自の拠点が8か所ありますので、今のところ22拠点ですね。
奥田 具体的な事業展開について、少しお話しいただけますか。
村井 中国での事業の一つに、日本企業への就職を希望する学生向けの新卒サービスがあります。2011年度は現地で1万人ほどの学生と面接し、日本人と同じ適性検査を受けてもらいました。日本の企業担当者に出向いていただいたイベント会場に招待したのは、そのうちの約1000人。そこで、約50社の日本企業が個別に面接してくれるというかたちです。学生の多くはトリリンガルで、中国語、英語、もう一つ別の外国語を話す人は珍しくありません。非常に優秀です。この結果、2010年度は約50人、2011年度は約150人が日本企業で働くことになりました。
中国の現段階は日本でいう明治20年?
村井 私がリクルートエージェントの社長を兼務して日本と中国を行き来している頃、上海オフィスには50人ほどの中国人メンバーがいました。ところが、2009年の年末、現地から「村井さん、従業員がみんな辞めるといっている」という電話があったのです。私は年末休暇ですでに日本に戻っていたのですが、「人事制度の変更に抗議して、今から団体交渉を申し入れる。納得できる回答がなければ1月4日付で辞める」と。暮れの28日か29日の話で、時間的余裕がまったくありません。まさか辞めることはないだろうと、私は腹をくくりました。でも、本当に30人ほど辞めてしまったのです。奥田 半分以上ですね。
村井 そうです。それで、よくよく理由を探ってみると、人事制度の変更についての不満というよりは、私が日本と同じ感覚でマネージャーのローテーションをしてしまったことに問題があったようなのです。
日本の会社は、突然、従業員をクビにしたりはしませんが、中国ではみんなその不安を抱いています。2008年に中国で労働法の改正があり、初めて無期雇用が認められましたが、それまでの現地の労働者はみんな1年契約でした。そのため、彼らは身銭を切って上司を家に呼んだり食事に誘ったりして、上司との関係をコツコツと構築してきました。しかし私は、そういった土壌を考慮せず、ポンと内示を出してしまった。彼らはこれから誰に頼ればいいのか、まったくみえなくなってしまったわけですね。
奥田 なるほど、上下関係が崩れたんですね。縦糸がぷつんと切れた、と。
村井 まさにその通りです。でも考えてみれば、今の中国の近代化や経済成長がすごいといっても、鄧小平の南巡講和が1992年のことですから、本格的な市場経済の経験はまだ20年しか積んでいません。改革開放を明治維新にたとえれば、今の中国は明治20年の段階なんですね。だから、人材マネジメントを含めた事業経営の成功体験やノウハウがまだまだ浅いのは当然といえます。
奥田 村井さんにとっても、気づきがあったわけですね。
村井 そうですね。それ以来、中国の人との人間関係を本気で築こうとするようになりました。昔の日本企業のように、全員で朝礼もやれば社員旅行にも行きますし、新入社員が入ったら一人ひとりみんなの前で必ず紹介します。
よく中国人はドライで、自己中心的で、お金次第ですぐ転職するというイメージがありますが、それはお金しか自分を守れるものがないからそうせざるを得ないだけの話です。でも、それぞれの名前を覚えて語りかけ、会話を重ねていくと、日本人以上に人と人の絆は強まります。本当にコミュニケーションは大事な要素ですね。
徒手空拳で中国に渡る日本の若者たち
村井 私どもは中国から日本に向けて「カモメ」というサイトを発信しています。日本人向けの中国での転職サイトですが、これによって多くの若者が日本からアジアに移動しつつあります。毎月、新規のユニークユーザーが2万人ほどですが、これを見てたくさんの日本人が現地に面接に来るのです。私も香港で日本人を1人採用したのですが、驚いたことに、彼はこれまで1回も海外に出たことがないと言います。そういうタイプの若者であっても、自身のキャリアアップのために香港までやって来るのです。今では普通に英語を操り、外国人とケンカできるまでに成長していますよ。
奥田 それはすばらしい。そこまで、グローバルレベルでの人材の流動化が進んでいるということですね。単身で香港にお住まいということですが、どうかおからだに気をつけて、ますますのご活躍を期待しております。
(文/小林 茂樹)
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Profile
村井 満
(むらい みつる) 1959年8月2日生まれ。83年4月、日本リクルートセンター(現リクルート)入社。2000年4月、人事担当執行役員に就任。04年3月、リクルートエイブリック(現リクルートエージェント)代表取締役社長に就任。11年4月、RGF Hong Kong Limited取締役社長に就任、現在に至る。