中国市場のスピードと日本の技術・ソリューションを結びつける――第70回

千人回峰(対談連載)

2012/09/12 00:00

丁 偉儒

東忠集団(Totyu Group) 董事長 丁偉儒

構成・文/小林茂樹
撮影/横関一浩

NECへの思いとパートナーシップ

 奥田 さて、最初に実現した合弁はNECとのものでしたが、どんなかたちでおつき合いが始まったのでしょう。

 丁 NECへのアプローチは、1997年にさかのぼります。96年に東忠を設立しましたが、先ほど述べたように、日本のオフショア開発を通じて事業基盤をつくり、さらに日本企業との強力な協業スキームをつくって中国市場を開拓するというのが、当社の基本的な考えです。ただし、東忠としては、戦略的に中国市場を育てようという意図をもつ日本企業でなければパートナーとして組めません。90年代初頭から、それを戦略的に行ってきたのがNECでした。そこに目をつけて、こちらから売り込んでいったのです。

 奥田 うまく入り込めました?

 丁 最初は飛び込み営業でしたが、当時、東忠はできたばかりの十数人の会社でしたから、まったく相手にされませんでした。いろいろ工夫しながら3回ほどアプローチして、ようやく交通サービスや公共事業の部署とつながりができました。

 奥田 その後、NECと合弁に至るまでには、どんなプロセスを経たのですか。

 丁 NECはすでに、北京、上海、大連に拠点をもっていました。これらは、人材も設備も豊富な都市です。しかし、当社の拠点である杭州のことは誰も知りません。当時、上海から列車で4時間もかかるのがネックでした。それで、NECの方に訪問していただくまでに1年3か月もかかってしまったのです。ただ、仕事をいくつかいただいていましたから、その後はNECのいろいろな人に来ていただけるようになりました。そして2002年の暮れ、従業員数が100人を超えた頃、この件を杭州政府のIT担当部署に報告したのです。「オフショア開発は雇用を生み、外国の優良企業との接点ができるから、政府としても推進したらどうですか」と提案したら、担当者は乗り気になって、副市長を連れてNECを訪問してくれました。そこから関係が深くなって、2004年に合弁会社をつくったという流れです。

 奥田 丁さんの東忠は伸び盛りですが、今、NECはなかなか厳しい状況にあります。

 丁 中国の発展スピードは非常に速く、マーケットシェアをとるために時間をかけるわけにはいきません。ですから、NECにはいろいろな提案をさせていただいています。やはり一番有効なのは、日本、つまりNECの実力と中国の勢いを一緒にして、連合体を生かすこと。NECの技術・ソリューションは今も世界一だと思っています。そして、ブランドと資金力も一流です。あとは、安定市場である日本のやり方ではなく、スピード重視の戦い方が必要になるでしょう。そこのところさえうまくいけば、中国市場の1割をとることも夢ではないと思います。

 奥田 中国と日本のビジネスのやり方の違いについて、丁さんの見方をもう少し詳しく聞かせてください。

 丁 中国と日本ではバランス感覚が違います。今の日本は成熟市場で、安定しています。昔、私が日本に来たころは売上至上主義で、シェアをとれれば利益が出るという発想でした。ところがバブルが弾けてからは、市場全体が成長しないなかで利益をどう出すかということが問題になりました。こうして日本企業の意思決定のプロセスは、よりよいもの、よりリスクの少ないものというところにシフトしてきたわけです。

 奥田 なるほど、それでは中国は?

 丁 ご存じのように、中国のマーケットは成長を続けてどんどん大きくなっていますが、GDPで日本を超えたといっても、1人あたりにすれば日本の10分の1です。日本と同じようになるには、経済規模を今の10倍に拡大する必要があるわけです。それは、まだまだ開拓の余地があるということを意味しています。だから、中国の意思決定のプロセスの基本は、チャンスをつかむこと。チャンスをつかんでおけばリスクがゼロになり、チャンスをつかむことができなければ、すべてがリスクに変わってしまうということです。

 たとえていえば、日本は安定した机であり、中国はスピードを出さないと倒れてしまう自転車です。そのまま中国と日本が一緒になると、自転車は走らず、机も壊れる可能性があります。だからバランスをとる装置が要る。それが、まさに東忠のビジネスモデルなのです。

 奥田 なるほど、頼もしい限りです。もしかしたら、丁さんが病気になったりすることが東忠にとって最大のリスクかもしれませんね(笑)。

「日本のオフショア開発については、ASEAN諸国が熱心になっています。その一方で、中国での生産コストは上昇しつつあります。あと何年くらい、中国でのオフショア開発が通用するのでしょうか」(奥田)

(文/小林 茂樹)

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Profile

丁 偉儒

(Ding Weiru)  1964年、浙江省麗水市生まれ。85年、天津の南開大学数学学部卒業。杭州計算機工場に入社。90年、来日。日本のシステム開発の会社に勤めた後、96年、東忠を設立。2000年、杭州東忠軟件有限公司を設立。東忠グループのトップを務める。