「グローバリゼーション」が「アメリカナイゼーション」であってもいい――第69回
村上憲郎事務所 代表/元グーグル 社長 村上憲郎
構成・文/小林茂樹
撮影/津島隆雄
奥田 ところで、京都大学に進む前の村上さんは、どんな少年時代を過ごされたのでしょうか。ご出身は大分県の佐伯ですね。
村上 そうです。江戸時代、外様の佐伯藩は2万石と石高は低いものの、豊富な海産物に恵まれて比較的豊かだったんです。それで、藩主の毛利氏が学問を奨励し、藩士に漢籍を勉強させた。ただ、幕府からは「外様が学問をするとは。謀反をたくらんでいるのではないか」と睨まれていたようです。その伝統からか、町の人たちみんなが学問に関心をもっているという風土でした。私の学んだ佐伯鶴城高校も藩校の後身ですし。
奥田 幼い頃から優秀だったんでしょうね。
村上 小中高と成績はずっと1番で、いつも級長、生徒会長でしたね。ただ、高校は1番で入って、卒業するときは5番くらいかな。
奥田 それはどうして?
村上 色気づいて、エッチな本を読んでいたからじゃないですか(笑)。でも、そういう本を買って、家に着くころにはそのことが親に伝わっている。そんな小さな町の息苦しさはありましたね。だから、早く抜け出したかった。
奥田 それで京都に?
村上 願書は京大にしか出しませんでした。でも、合格して寮に入ったら、早々にオルグされて、履修届を出す前にセクト(学生運動の分派)に入ってしまったんです。
奥田 それはまた、すごいスピードですね(笑)。
奥田 話は一気にグーグル時代に飛びますが、2006年、グーグルはYouTubeを買収しました。その意思決定には参画されましたか。
村上 いや、全然でした。金曜日に発表されたのですが、土日は電話が鳴りっぱなし。当時、グーグルビデオというのをやっていてYouTubeは競争相手。日本では、YouTubeを叩くための陣営をつくろうとしていた矢先でしたから、関係各方面から「おまえ、どうなっとるんや」と責められて、「すみません、本社に聞いてみます」と(笑)。
その当時、YouTubeへの違法アップロードが問題になっていたので、私はすぐにアメリカに飛んで、YouTubeの創業者であるチャド・ハーリーとスティーブ・チェンに面会を求めました。すると、意外なことに、彼らは、これは意図したことではなく、ぜひとも解決したいという誠実な姿勢をみせたのです。そこですぐ日本へ呼んで、放送関係者など迷惑をかけた方々に謝らせるとともに、違法アップロードを自動的に削除するシステムをつくることを約束させました。あわせて、自分たちはテレビが主役の時代は終わりつつあると認識しているということについても率直に伝えなさいと指示しました。日本に来るにあたって、背広一着、ネクタイ一本をわざわざ買って着て来た少年のような彼らが懸命に伝える姿は好意をもって受け止められましたが、ネットテレビ的な提案までは受け入れられませんでした。YouTubeを使えば、今年ようやく始まったMOTTVやNOTTVなどはもっと早い時期に実現できたと思いますね。
奥田 今後、開発が激化しそうなスマートテレビでは、何がキーになるのでしょう。
村上 日本には、「国際標準をとりさえすれば、何とかなる」という伝統的な発想があります。プラットフォーム、つまりハードウェアやOSのことばかり気にする傾向が強いのですが、それはさしたる問題ではありません。キーになるのは、アプリケーションとコンテンツなのです。「おもしろくないテレビをおもしろいテレビに変えるんだ」という若者たちの熱狂感、ワクワク感を醸成しない限り、壮大なゼロの集積しか生みません。
このあいだ、京大の学生たちに会って、あなたたちはスタンフォードやハーバードの学生に負けないように、私がつくったような火炎瓶じゃなくて、スマートテレビのアプリやIoT(Internet of Things)のアプリをどんどんつくりなさいと焚きつけてきました。「負けるな、勝てば7兆円だぞ」と(笑)。
奥田 さて、昨年の東日本大震災でエネルギー問題がクローズアップされています。
村上 日立電子時代に、福島原発の振動試験に携わった経験があります。グーグルの名誉会長になった後、たまたまスマートグリッド(次世代送電網)のエバンジェリストを務めました。社会人としての最初の頃に電力に少し関わり、最後にまたスマートグリッドで電力……。何とも縁の深いことだと思っていたら、3・11の原発事故が起こってしまいました。そこでアメリカの知人に策を求めたら、「ノリオ、電気が足りないときはデマンド・レスポンス(DR)というのをやるんだよ」と教えてくれました。カリフォルニアの大停電を機に生み出された手法で、日本のように電力のピーク需要を死守するのではなく、平準化させるわけです。電力需要が平準化されていれば、発電容量が2割減ぐらいになっても需要に応えることができ、電気代も安くなる。
それを経産省の産業構造審議会で説明すると、この際日本もDRを始めようということになって、第三次補正で300億円の予算がつきました。いち早いDRの導入もあって、東電管内は福島原発や柏崎刈羽原発がすべて停止していても、今夏は乗り切れる見込みになっています。ところが、関西電力は電力不足を理由に大飯原発の再開をもくろんでいますが、計画書を見るとDRのデの字も出てきていません。公の席でDRについて言い続けてきた者の責任として、この矛盾については政府や関電に対してはっきりと指摘する義務があると思っています。
奥田 それは心強いです。今現在も大きな問題に取り組んでおられますが、村上さんにとって将来の夢は何でしょうか。
村上 リアルな世界に生きるわれわれは、生身のからだの上にしか意識体を存在させられません。でも人工知能を研究していた私の夢は「永遠に生きるぞ」ということ。だから、シリコンの上に転移して、合祀されるということになる(笑)。
奥田 うーん、さすがです。おもしろい!
村上 そうです。江戸時代、外様の佐伯藩は2万石と石高は低いものの、豊富な海産物に恵まれて比較的豊かだったんです。それで、藩主の毛利氏が学問を奨励し、藩士に漢籍を勉強させた。ただ、幕府からは「外様が学問をするとは。謀反をたくらんでいるのではないか」と睨まれていたようです。その伝統からか、町の人たちみんなが学問に関心をもっているという風土でした。私の学んだ佐伯鶴城高校も藩校の後身ですし。
奥田 幼い頃から優秀だったんでしょうね。
村上 小中高と成績はずっと1番で、いつも級長、生徒会長でしたね。ただ、高校は1番で入って、卒業するときは5番くらいかな。
奥田 それはどうして?
村上 色気づいて、エッチな本を読んでいたからじゃないですか(笑)。でも、そういう本を買って、家に着くころにはそのことが親に伝わっている。そんな小さな町の息苦しさはありましたね。だから、早く抜け出したかった。
奥田 それで京都に?
村上 願書は京大にしか出しませんでした。でも、合格して寮に入ったら、早々にオルグされて、履修届を出す前にセクト(学生運動の分派)に入ってしまったんです。
奥田 それはまた、すごいスピードですね(笑)。
スマートテレビとスマートグリッド
奥田 話は一気にグーグル時代に飛びますが、2006年、グーグルはYouTubeを買収しました。その意思決定には参画されましたか。
村上 いや、全然でした。金曜日に発表されたのですが、土日は電話が鳴りっぱなし。当時、グーグルビデオというのをやっていてYouTubeは競争相手。日本では、YouTubeを叩くための陣営をつくろうとしていた矢先でしたから、関係各方面から「おまえ、どうなっとるんや」と責められて、「すみません、本社に聞いてみます」と(笑)。
その当時、YouTubeへの違法アップロードが問題になっていたので、私はすぐにアメリカに飛んで、YouTubeの創業者であるチャド・ハーリーとスティーブ・チェンに面会を求めました。すると、意外なことに、彼らは、これは意図したことではなく、ぜひとも解決したいという誠実な姿勢をみせたのです。そこですぐ日本へ呼んで、放送関係者など迷惑をかけた方々に謝らせるとともに、違法アップロードを自動的に削除するシステムをつくることを約束させました。あわせて、自分たちはテレビが主役の時代は終わりつつあると認識しているということについても率直に伝えなさいと指示しました。日本に来るにあたって、背広一着、ネクタイ一本をわざわざ買って着て来た少年のような彼らが懸命に伝える姿は好意をもって受け止められましたが、ネットテレビ的な提案までは受け入れられませんでした。YouTubeを使えば、今年ようやく始まったMOTTVやNOTTVなどはもっと早い時期に実現できたと思いますね。
奥田 今後、開発が激化しそうなスマートテレビでは、何がキーになるのでしょう。
村上 日本には、「国際標準をとりさえすれば、何とかなる」という伝統的な発想があります。プラットフォーム、つまりハードウェアやOSのことばかり気にする傾向が強いのですが、それはさしたる問題ではありません。キーになるのは、アプリケーションとコンテンツなのです。「おもしろくないテレビをおもしろいテレビに変えるんだ」という若者たちの熱狂感、ワクワク感を醸成しない限り、壮大なゼロの集積しか生みません。
このあいだ、京大の学生たちに会って、あなたたちはスタンフォードやハーバードの学生に負けないように、私がつくったような火炎瓶じゃなくて、スマートテレビのアプリやIoT(Internet of Things)のアプリをどんどんつくりなさいと焚きつけてきました。「負けるな、勝てば7兆円だぞ」と(笑)。
エネルギー問題は電力需要の平準化で解決
奥田 さて、昨年の東日本大震災でエネルギー問題がクローズアップされています。
村上 日立電子時代に、福島原発の振動試験に携わった経験があります。グーグルの名誉会長になった後、たまたまスマートグリッド(次世代送電網)のエバンジェリストを務めました。社会人としての最初の頃に電力に少し関わり、最後にまたスマートグリッドで電力……。何とも縁の深いことだと思っていたら、3・11の原発事故が起こってしまいました。そこでアメリカの知人に策を求めたら、「ノリオ、電気が足りないときはデマンド・レスポンス(DR)というのをやるんだよ」と教えてくれました。カリフォルニアの大停電を機に生み出された手法で、日本のように電力のピーク需要を死守するのではなく、平準化させるわけです。電力需要が平準化されていれば、発電容量が2割減ぐらいになっても需要に応えることができ、電気代も安くなる。
それを経産省の産業構造審議会で説明すると、この際日本もDRを始めようということになって、第三次補正で300億円の予算がつきました。いち早いDRの導入もあって、東電管内は福島原発や柏崎刈羽原発がすべて停止していても、今夏は乗り切れる見込みになっています。ところが、関西電力は電力不足を理由に大飯原発の再開をもくろんでいますが、計画書を見るとDRのデの字も出てきていません。公の席でDRについて言い続けてきた者の責任として、この矛盾については政府や関電に対してはっきりと指摘する義務があると思っています。
奥田 それは心強いです。今現在も大きな問題に取り組んでおられますが、村上さんにとって将来の夢は何でしょうか。
村上 リアルな世界に生きるわれわれは、生身のからだの上にしか意識体を存在させられません。でも人工知能を研究していた私の夢は「永遠に生きるぞ」ということ。だから、シリコンの上に転移して、合祀されるということになる(笑)。
奥田 うーん、さすがです。おもしろい!
「長い文明史のなかで、今、われわれはどこにいるかという本質的な位置について、村上さんにうかがいたいと思っていました」(奥田)
(文/小林 茂樹)
Profile
村上 憲郎
(むらかみ のりお) 1947年3月大分県佐伯市生まれ。佐伯鶴城高校から京都大学工学部資源工学科に進学。卒業後、日立電子でミニコンのSEとしてキャリアをスタート。その後、日本DEC、米国DEC本社勤務を経て、インフォミックス、ノーザンテレコムジャパン、ノーテルネットワークス、ドーセント日本法人の社長を歴任する。2003年4月グーグル米国本社副社長兼日本法人代表取締役社長に就任。09年1月、名誉会長。11年1月、グーグルを退任し、村上憲郎事務所を設立。