「苦労して失敗して道を探る」のは中国も同じ――第65回
MANBU[メディア漫歩] 上海漫歩創媒広告有限公司 総経理 安永博信
構成・文/谷口一
安永 アメリカの投資会社で、M&Aとか金融の調達とか、そういうアドバイザリーの仕事をしていました。
奥田 たしか、その前はアメリカに留学しておられましたね。
安永 ええ。1988年から90年にコロンビア大学でMBAを取得しました。82年から91年までは日本郵船の社員でしたから、留学は企業派遣というかたちでした。
奥田 大学を卒業して日本郵船に入社されたのは、海外に興味をもっていたということですか。
安永 僕自身は当時、海外に行きたいということと英語を使いたいという思いを強くもっていました。国際性のある企業で、海外に行かせてくれるところということで、日本郵船を選んびました。思い通りに留学もさせてもらい、海外との接点も深まりましたね。
奥田 海外への思いは、子どもの頃から強かったのですか。
安永 中学生くらいから英語が好きで、大学も教養学科アメリカ分科という、地域を研究するという分野で、ずっとアメリカの文化に憧れていましたね。
奥田 アメリカの研究が、どうしてまた中国に方向転換したのですか。
安永 そこは私自身、思ってもみなかったのですけれど……。コロンビア大学で留学していたときに、中国系アメリカ人の女性と知り合って、92年に結婚したのです。家内は二世ですけど、中国系のアメリカ人との交流も深くなって、そのときに中国系・中国人も面白いなあと思ったのです。
奥田 それが中国との長いつき合いの始まりなのですね。やはり、安永さんには中国との深い縁があったわけだ。
安永 日系企業の方々も、だんだん中国を理解し始めてきたと思います。
奥田 かつてとは違う、と。
安永 昔は、「俺たちは偉いんだ」みたいな感じで、尊大な態度をとる人が多かったです。
奥田 なんとなくわかりますね。
安永 でも今は、中国という国の大きさ、中国人の能力の高さを評価しながら、そのなかでいかに自分たちのポジションを取るのか、真剣に取り組んでいる人も多いです。
奥田 国の大きさと能力の高さに言及されましたけれど、具体的には?
安永 国土が広く人口が多い、それと生産力が大きい。輸出高、外貨準備高が多い。これらを合わせて生まれる大きさです。一人あたりはまだ小さいですが、全体ではすごく大きい。中国に対する世界の認識も変わりますし、国民の意識を変えるうえでも、大きいというのは重要なことです。
奥田 確かに、中国は大きいですね。中国のあちこちを訪ねるたびに、その大きさを実感します。
安永 それと同時に質的なものも重要視されてきています。大きくなるだけで、果たしてよかったのかということに、中国の人たちも国も、次第に気づき始めてきていると感じています。大きさを追求してきたために、食品の安全や輸送の安全など、いろいろな面での安全が軽視されているのではないか、と。
奥田 先進国はどこも経験しましたね。
安永 量を追いかけ、経済的な大きさや成長率を追いかける時代を経て、中国も質や安全を意識する時代になってきたといえます。
安永 最初はまだ優越感があります。私のほうがすごいとか日本のやり方がいいとか。だから、社内でうまくいかないと、日本だったらこうするという、日本を基準とした考え方を引きずっています。でも、中国で生産性を上げる、ミッションをやり遂げるとなった場合に、日本の基準を引きずっているとうまくいかないという現実に目覚める時期があります。多くの人はそのことに目覚めますが、日本からの要求も高く、そのギャップに苦悩する人も多いですね。逆に、中国になじんで、中国人たちとうまくやりながら、いい仕事をする人もいます。
奥田 その割合は10人いたら、どのくらいになるのでしょうか。
安永 いい仕事をしている人は2人。6人は流されて大過なく任期を終える。プレッシャーに負けて落ちこぼれる人が2人。
奥田 どんな人が成功組の2人になるのでしょうか。
奥田 たしか、その前はアメリカに留学しておられましたね。
安永 ええ。1988年から90年にコロンビア大学でMBAを取得しました。82年から91年までは日本郵船の社員でしたから、留学は企業派遣というかたちでした。
奥田 大学を卒業して日本郵船に入社されたのは、海外に興味をもっていたということですか。
安永 僕自身は当時、海外に行きたいということと英語を使いたいという思いを強くもっていました。国際性のある企業で、海外に行かせてくれるところということで、日本郵船を選んびました。思い通りに留学もさせてもらい、海外との接点も深まりましたね。
奥田 海外への思いは、子どもの頃から強かったのですか。
安永 中学生くらいから英語が好きで、大学も教養学科アメリカ分科という、地域を研究するという分野で、ずっとアメリカの文化に憧れていましたね。
奥田 アメリカの研究が、どうしてまた中国に方向転換したのですか。
安永 そこは私自身、思ってもみなかったのですけれど……。コロンビア大学で留学していたときに、中国系アメリカ人の女性と知り合って、92年に結婚したのです。家内は二世ですけど、中国系のアメリカ人との交流も深くなって、そのときに中国系・中国人も面白いなあと思ったのです。
奥田 それが中国との長いつき合いの始まりなのですね。やはり、安永さんには中国との深い縁があったわけだ。
量から質へ、中国にも変化の兆しがある
奥田 中国にはもう17年。長いですね。この間に、中国の日系企業や中国にいる日本人を見てこられてきたわけですけど、変化のようなものはあるのでしょうか。安永 日系企業の方々も、だんだん中国を理解し始めてきたと思います。
奥田 かつてとは違う、と。
安永 昔は、「俺たちは偉いんだ」みたいな感じで、尊大な態度をとる人が多かったです。
奥田 なんとなくわかりますね。
安永 でも今は、中国という国の大きさ、中国人の能力の高さを評価しながら、そのなかでいかに自分たちのポジションを取るのか、真剣に取り組んでいる人も多いです。
奥田 国の大きさと能力の高さに言及されましたけれど、具体的には?
安永 国土が広く人口が多い、それと生産力が大きい。輸出高、外貨準備高が多い。これらを合わせて生まれる大きさです。一人あたりはまだ小さいですが、全体ではすごく大きい。中国に対する世界の認識も変わりますし、国民の意識を変えるうえでも、大きいというのは重要なことです。
奥田 確かに、中国は大きいですね。中国のあちこちを訪ねるたびに、その大きさを実感します。
安永 それと同時に質的なものも重要視されてきています。大きくなるだけで、果たしてよかったのかということに、中国の人たちも国も、次第に気づき始めてきていると感じています。大きさを追求してきたために、食品の安全や輸送の安全など、いろいろな面での安全が軽視されているのではないか、と。
奥田 先進国はどこも経験しましたね。
安永 量を追いかけ、経済的な大きさや成長率を追いかける時代を経て、中国も質や安全を意識する時代になってきたといえます。
中国でいい仕事ができる人は2割
奥田 日本人は中国でどのような段階を経て仕事になじんでいくのでしょうか。安永 最初はまだ優越感があります。私のほうがすごいとか日本のやり方がいいとか。だから、社内でうまくいかないと、日本だったらこうするという、日本を基準とした考え方を引きずっています。でも、中国で生産性を上げる、ミッションをやり遂げるとなった場合に、日本の基準を引きずっているとうまくいかないという現実に目覚める時期があります。多くの人はそのことに目覚めますが、日本からの要求も高く、そのギャップに苦悩する人も多いですね。逆に、中国になじんで、中国人たちとうまくやりながら、いい仕事をする人もいます。
奥田 その割合は10人いたら、どのくらいになるのでしょうか。
安永 いい仕事をしている人は2人。6人は流されて大過なく任期を終える。プレッシャーに負けて落ちこぼれる人が2人。
奥田 どんな人が成功組の2人になるのでしょうか。