沖縄から台湾経由で中国進出を目指せ ――第63回
中島 洋
全国ソフトウェア協同組合連合会 会長
構成・文/谷口一
奥田 “心”というのは?
中島 例えばサムスンの場合は、商品開発は中国の人たちと一緒にやるという考え方で、中国の各地に研究所を置いています。そこで1万人近くの雇用を確保して、進めているわけです。日本の場合は、中国で稼いでも日本に収益をもってくることができないからしょうがないとか、いろんな理由で、へっぴり腰でなかなか前へ進まない。
奥田 それで、韓国と10年の差ができてしまった……。
中島 安い労働力さえ使えればいいという、ちょっと傲岸不遜な姿勢でやってきたところがあります。
奥田 確かにそういう風潮はありましたね。
中島 サムスン電子などの韓国企業は、中国のなかに入り込んでいる。日本はまだまだそこまでいっていません。アプローチの手法が、日本の産業界はうまくないのだと思います。こうしてみると、遅れは10年どころではないかもしれませんね。
沖縄に中国進出への中継基地をつくる
奥田 10年の遅れはかなり深刻ですね。その遅れを取り戻して、事態を打開していくためには、どのような手が考えられるのでしょうか。中島 私の娘がアニメーションのクリエーターで、ニューヨークに12年ほどいるのですが、そこで各国の人と会って話していると、中国や韓国の人たちの感情には、日本に対してまだまだ反発があるといいます。
奥田 お嬢さんと同年代の人たちが、日本をそうみている……。
中島 ええ、非常に厳しい感情ですね。教育の問題もあるとは思いますが。
奥田 若い世代のそういう反応は、ちょっとショックです。
中島 でも、そのなかで台湾の方々は非常に親日的で、まったく反応が違うそうです。日本は台湾とのリレーションシップにおいては誤りを犯していないんだ、というのが率直な印象ですね。これからは、中国に深くアプローチをしていかないといけないわけですから、その一つのパイプとして……。
奥田 台湾がある、と。
中島 そうです。台湾の人たちは中国を理解しています。政治的には対立しているものの、経済的にはほとんど融合していますし、親日的で日本のこともよくわかっている。台湾の人たちと一緒に中国にアプローチしていくのは、かしこいやり方だと思います。
奥田 具体的には、どのような形になるのでしょう。
中島 例えば、日本にソフトウェアのパッケージがあれば、それを日本と台湾が協力して中国に販売していく。台湾の人たちは、中国でどのようなソフトウェアが望まれているかを知っています。当然、カスタマイズはしなくてはいけませんから、それは中国でやる。そこで、もう一つの提言があります。そのとき沖縄を中継基地にして台湾や中国へ出たらどうかということを言っています。
奥田 沖縄ですか。
中島 そうです。沖縄にデータセンターやクラウドの基地を置いて、そこをSaaSの拠点にするというかたちでやったらどうかと考えています。営業は台湾の皆さんにお願いします。
奥田 なぜ、沖縄なのでしょう。
中島 まず、地理的に近いということですね。日本の企業は海外事業本部を東京に置いていますが、台湾に行くには結構時間がかかります。沖縄だと日帰りができるんですよ。香港にもマニラにも上海にも近いですし。
奥田 確かに沖縄と台湾は近いですね。
中島 その沖縄に、企業の海外進出の拠点をつくるんです。これからはアジアの時代ですから、確実に地の利があります。ネットの時代だからこそ、人的な交流もますます重要になってくると思います。
奥田 沖縄は古くから中国と交流があったようですね。
中島 これまではグローバルといえば、イコール英語/欧米でしたけれど、これからは中国語も必須になってくると思います。沖縄では、学校の授業で中国語を教えようという提言もしています。
奥田 中島さんのルーツは琉球王朝ということですから、ますます力が入りますね。沖縄・台湾・中国のルートが日本のIT産業の活路になることを、われわれも応援していきたいと思います。本日はどうもありがとうございました。
「沖縄・台湾・中国のルートが日本のIT産業の活路になることを、われわれも応援していきたいと思います」(奥田)
(文/谷口 一)
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Profile
中島 洋
(なかじま ひろし) 1947年生まれ。東京大学大学院修士修了。73年日本経済新聞社入社。産業部で24年にわたってハイテク、企業経営問題などを担当。88年から編集委員。この間、『日経コンピュータ』『日経パソコン』の創刊に参加。1998年~2008年日経BP社編集委員。現在、MM総研代表取締役所長の傍ら、首都圏ソフトウェア協同組合理事長、全国ソフトウェア協同組合連合会会長、国際大学評議員、沖縄振興審議会専門委員などを務める。