“演繹法”の中国を理解して、共存共栄を貫く――第56回
森田 栄光
ゴールデンブリッジ 代表取締役社長
構成・文/谷口一
中国版権保護センターが日本オフィスを開設した。所長に就任した森田栄光さんは、著作権に関する事務手続きやコンサルティングなどを手がけるゴールデンブリッジの社長でもある。今回は、不正コピーが蔓延する中国市場で著作権問題の最前線に立ち、堪能な中国語を駆使して対応にあたる森田さんに、中国での著作権保護の実情や、ソフトビジネス成功の秘訣などをうかがった。【取材:2011年6月10日 東京・市ヶ谷のゴールデンブリッジ本社にて】
森田栄光さんは、「(中国ビジネスの)決め手はパートナーです。パートナーの選定を間違えたら、絶対に失敗します」と断言する
「千人回峰」は、比叡山の峰々を千日かけて歩き回り、悟りを開く天台宗の荒行「千日回峰」から拝借しました。千人の方々とお会いして、その哲学・行動の深淵に触れることで悟りを開きたいと願い、この連載を始めました。
「人ありて我あり」は、私の座右の銘です。人は夢と希望がある限り、前に進むことができると考えています。中学生の頃から私を捕らえて放さないテーマ「人とはなんぞや」を掲げながら「千人回峰」に臨み、千通りの「人とはなんぞや」がみえたとき、「人ありて我あり」の「人」が私のなかでさらに昇華されるのではないか、と考えています。
「人ありて我あり」は、私の座右の銘です。人は夢と希望がある限り、前に進むことができると考えています。中学生の頃から私を捕らえて放さないテーマ「人とはなんぞや」を掲げながら「千人回峰」に臨み、千通りの「人とはなんぞや」がみえたとき、「人ありて我あり」の「人」が私のなかでさらに昇華されるのではないか、と考えています。
株式会社BCN 社長 奥田喜久男
<1000分の第56回>
※編注:文中に登場する企業名は敬称を省略しました。
※編注:文中に登場する企業名は敬称を省略しました。
日本と中国の架け橋になりたい
奥田 森田さんが中国との関わりをもちはじめられたのはいつ頃のことでしょうか。何か、そのきっかけになるようなことがあったのですか。森田 その辺りのことについては、以前、人民日報に取材を受けて話したことがあります。大学入試が終わって合格発表までの間、将来何をしようかと悩んでいるときに、たまたまNHKスペシャルで残留孤児の問題を放送していたんです。戦争で残された残留孤児の人たちが、戦後何十年か経って、やっと肉親が見つかって母国に帰って来ても、受け入れる組織があまりない。国も2世、3世の人たちにはバックアップをしないということで、実際に帰って来ても、日本語が話せないから職もない、職がないからちゃんとした生活ができず、結局は中国に戻らざるを得ないという内容でした。
奥田 その放送があったのは何年頃ですか。
森田 1989年です。天安門事件の年で、事件が起きる前ですね。その日が大学の合格発表日だったんです。だから、もし大学に受かったら、将来、その人たちに日本語を教える教師になろうと思った。
奥田 おお、すごいですね。
森田 その番組を見終わってテレビを消した途端、先輩から「受かったぞ」と電話がかかってきて、それなら自分は中国だと、まず決めました。大学も中国との交流が大変活発なところでしたから、中国のすごさを理解しやすい環境でした。中国は日本の文化のルーツでもありますし、中国と日本は仲よくしていかないといけないと思うようになりました。そんなことから、大学を卒業して、すぐに北京大学に3年間留学したんです。
奥田 日本の大学での学部は?
森田 経済学部です。北京大学では中国語を勉強して、次に社会科学院に入って考古学を勉強しました。中国の歴史などを学んで、ますます中国が好きになって……。
奥田 北京大学に留学されたのが93年ですか。
森田 そうです。
奥田 93年なら、鄧小平が南巡講和で社会主義と資本主義の本質に違いはないと説いた後ですから、市場経済も少し回り始めていますね。
森田 でも、私が留学したころはまだ北京大学も暗くて……。およそ20年前ですけど、今と比べるとまったく違う状況でしたね。同じ国とは思えないくらいに。中国の人々の考え方の変化はすごく速い。日本はその変化のスピードについていけないことがあると思います。
奥田 そういうギャップを埋めて、橋渡しをされているわけですね。
森田 架け橋になれればと、ずっと思っています。
奥田 母語のように中国語を話せる森田さんのルーツが理解できました。
著作権問題のクリアは中国政府にとっても急務
奥田 森田さんの本職である中国のソフトウェアの著作権問題の現状について聞かせてください。森田 そうですね。よく話題になるように、確かに中国では不正コピーやネット上で勝手にコンテンツが配信されているということがまだまだ数多くみられます。もちろん国が奨励しているわけではなく、政府も企業も大変困って、頭を痛めています。だから、国としても取り締まりを強化して、さまざまな手を打っているというのが現在の状況です。
奥田 中国は、国としても困った問題と認識しているのでしょうか。
森田 そうです。ソフトウェアを開発するということは、莫大なお金と時間がかかっているわけですから、それを不正にコピーされてしまえば、開発者側は資金の回収もできませんし、ビジネスの見通しも立ちません。海賊版をなくさない限り、ソフトウェアを開発する意欲も湧かなくなってしまいます。それは中国の国益にも大きなマイナスになるわけです。
奥田 国としてはどういう動きをとっているのでしょうか。
森田 正規版のソフトウェアの使用を提唱しています。現在、国家機関・国営企業のなかで使用されるすべてのPCに入っているソフトウェアは正規版を使用することになっています。それは徹底しています。ただ、民間企業がそういう意識になっているかといえば、そこまではいっていない状況です。
とはいえ、中国の人たちがこの先10年20年も、海賊版を使い続けていくことはないと思います。現に、意識もだいぶ変わってきていますから。
奥田 中国では正規版を探すのが一苦労だといいますね。
森田 OSとかは海賊版が入っているかどうかは調べればすぐわかりますが、ツール系やシステム系のものは表に出てきませんから、不正コピーのしっぽをなかなか掴めないというのが実際のところです。そういうなかで、いくつかの日本のソフトウェア会社からも、中国でのコンピュータソフトウェアの著作権登録、海賊版対策、ライセンス契約などの窓口になって欲しいという相談を受けています。今、日本側の条件を整理して、中国側に打診しようとしているところです。
日本のソフトウェア会社が、単独で中国で販売するとなるといろんな制約もありますし、在庫や海外送金のリスクもありますから、そういう部分を中国版権保護センターや独占窓口であるゴールデンブリッジを通じて行っていただければと思っています。手数料はいただきますが……。
奥田 2007年に中国版権保護センターに入られたということですが、この4年間で中国のソフトに関する意識や産業の規模も大きく変化しているわけですか。
森田 どんどん大きくなっていますね。ソフトの登録数をみても、8倍くらいになっています。
奥田 政府もソフトウェアの保護に動かざるを得ないことですね。
森田 そうです。本格的に動いてきたということです。その流れで中国版権保護センターの日本オフィスも開設されたわけです。