中国に日本のビジネスモデルは通じない――第53回

千人回峰(対談連載)

2011/06/17 00:00

川島 義之

川島 義之

リンクスインターナショナル 社長

構成・文/谷口一

やっぱり日本は強い

 奥田 撤退の理由はそれですか。このビジネスモデルは通用しないと。

 川島 通用しない。でも、撤退ではないんです。いったん香港まで下がるんです。上海の事務所は残しておいて、香港に会社を設立します。昔の日本のメーカーがやっていた形ですね。香港まで引いて、ちょっと冷静に考えて、今後のことに対処していこうと。成功している方もたくさんいますから。

 奥田 いますね。成功率は何割くらいでしょうか。

 川島 7割が撤退で、残り3割の半分は儲かってないでしょう。私の場合は、時期尚早だったなと思っています。

 奥田 川島さんが考えたビジネスモデルは、通用する市場ではなかった。そういう商慣習が育っていなかったということですね。いったん香港に戻って、中国の市場の成長を待とう、と。

 川島 そうです。

 奥田 結構、気が長いんですね。

 川島 そうかもしれません。ただ、中国へ出て行って、強烈に感じたことがあります。それは「やっぱり日本は強いな」っていうことです。

 奥田 それはどういう意味でしょうか。

 川島 商慣習とか商売上のマナーといった、ビジネスの基本のようなものが、中国はまだまだ日本に追いついていないということです。まずは日本に戻って、日本の強さ・自分自身の強さを認識するのが先決だなと痛烈に思いました。

 奥田 ほう。それを肌で感じられたわけですね。

 川島 そうですね。安易にグローバル化とか中国進出を考えてはダメだと。足元をしっかり見つめて、日本の強さをしっかりと認識してから進出しても、十分に間に合うと思いました。

 奥田 「やっぱり日本は強い」というのは印象的な言葉ですね。失敗談というのはなかなか話しにくいものだと思いますが、今日は率直に語っていただきました。ありがとうございました。

「川島さんは、いったん香港に戻って、中国の市場の成長を待とうというわけですね」(奥田)

(文/谷口 一)

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Profile

川島 義之

(かわしま よしゆき) 1958年12月生まれ。東京都出身。電子部品、パソコンパーツ商社を経て、1999年10月、株式会社リンクスインターナショナルを設立。趣味は、50歳を過ぎてから始めたマラソン、サーフィン、ギターと多彩。