10年も経てば、日本人が中国へ出稼ぎに行く――第52回

千人回峰(対談連載)

2011/05/27 00:00

中原 秀樹

中原 秀樹

経営塾 副会長

構成・文/谷口一

一冊まるごと中国ビジネス

 奥田 それから長い間、沈黙が続きましたね。

 中原 その後、私が中国へ関心をもったのは1993年で、『経営塾』の臨時増刊号で『一冊まるごと中国ビジネス』という特集を組んだ。

 奥田 早いな。鄧小平が南巡講和で「富める者から富め」と資本主義の背中を押したのが1992年だから、その翌年にやってるんだ。もうこの時代に日本の経済界の人たちは中国に関心があったのでしょうか?

 中原 いろいろ聞いてみると、中国、中国という雰囲気は確かにあった。でもわかんないんだよ。海のものとも山のものとも。どんなかたちで出て行ったらいいかも企業はわかんないわけ。確かに大手商社は旗を振り出していたけど、企業には逡巡があったね。

 奥田 そういう時代だと『一冊まるごと中国ビジネス』は当たったんじゃないですか。

 中原 そう。わが社始まって以来の大当たり。タイミングがよかったんだろうね。発売日に会社に出ると、注文の電話が鳴りっぱなし。実売率が90%を超えてね。

 奥田 臨時増刊号の目次を見ると大前研一さんの「特別寄稿」があって、「中国ビジネスで失敗しない十八ヵ条」「訪中マニュアル大全」、そのほか「中国式接待講座」や「中国ゴルフ事情」。これ、今でもいけるんじゃないですか。

 中原 そうこうしてるうちに、私が中国進出コンサルタントみたいになっちゃってね。上海で回転寿司をやりたいという人が、相談に見えたこともありました。

 奥田 『一冊まるごと中国』を読んで日本の経済人は中国にムーブしたんですか。

 中原 いろいろアプローチはしたんだと思いますけど、あの当時、独自に進出することはあり得なかったから、商社とかの口利きがなかったら、おっかなくて出られなかったろうし…。まあ、それから1年くらいしてずいぶん失敗して帰ってきたんだよ、みんな。話が違うって。

 奥田 恨まれなかったですか。

 中原 いやぁ、それはなかった。それから、翌年1994年に『一冊まるごと中国ビジネス』の第二弾を出したんだよ。これもよく売れた。

 奥田 ほう。

 中原 この時は、副特集でベトナム特集もくっつけたんだ。今、思えば、うちも早過ぎたんだよな。

 奥田 その後、また中国熱は下火になっていきますね。ヤオハンの和田さんを記事にされたことがありましたね。

 中原 和田さんにはインタビューをやったし、上海の店にも行きました。ただ、店を見たとき、これはすぐに駄目になるんじゃないかと思ったね。

 奥田 どうしてです?

 中原 だって、日本と同じなんだから。あんなやり方だと、仕入れ商品の半分は万引きで持っていかれるんじゃないかな。和田さんの大らかさというのか、おいおい大丈夫かいなという感じでしたね。だから、日本人の感覚で国内と同じように中国に展開したら、ちょっと難しいと思うね。

 奥田 話が今に飛びますけど、ヤマダ電機さんはどうなんでしょうね。中国流ではやらない、日本流でやるって言ってますが。

 中原 どこの部分を日本流でやるかってことだよね。

 奥田 うん、そうですね。

 中原 レジを日本流にやったらだめだよ。何にもなくなっちゃう。お客様お客様ではちょっと難しいと思うよ。どうだろう、中国も変わったかもしれないけれど、日本流だけでは難しんじゃないかな。

 奥田 それから、また長い沈黙の期間があって、『一冊まるごと中国ビジネス2011』につながっていくわけですね。

 中原 これは後追い。中国ブームの後だもん。それでもね、売り方を工夫すると売れるんですよ。成田空港の書店では、100冊単位で注文が入ります。中国へ行くビジネスマンが買っていくんじゃないでしょうかね。

 奥田 でも、記事の登場する「中国進出奮戦記25社」を見ていると、いい企業をよくもまあ短期間につかまえれるものだなぁと感心します。読みたくなるもん。

 中原 次は6月に中国関連のものを出す予定があるんだけど、こういう状況だから、様子は見ようと思ってますけど。取材は進めてるけどね。商工会議所に協力をあおいで、中国に進出している全国の企業を調べて、その動向を探るというような雑誌作りでね。売り方は中国の航空会社とタイアップしてと考えていますね。

 しかし、今度の大震災の影響で、彼ら中国人の多くが母国に帰っていますから。どうも、彼らは中国政府にしろ日本政府にしろ、政府が言ったことと反対に動く面があるからね。安全といえば不安がったりと。

10年も経てば、日本人が中国に出稼ぎに来る

 奥田 上に政策があれば下に対策ありですね。中原さんは、93年に『まるごと一冊中国ビジネス』を作られ、94年に第2弾を作られたわけだけど、その後の中国の印象はどんなんだったですかね。

 中原 これ2冊作って、中国の印象はなくなっちゃったからね。

 奥田 ああ、そうなんだ。

 中原 政治的関心は高まったけれど、ビジネスに対する関心はなくなったね。ただ、第二弾目の時だったと思うけど、日本に来ている中国人の留学生を集めて座談会をやった。その時の思い出が鮮明だね。留学生が5、6人集まってくれて、そのうちの一人の学生が「なあに、10年もすれば、日本人が中国に出稼ぎに来る」ということを言ったんだね。これは強く印象に残ってるね。94年のことだから、10年ではなかったけれども、彼が言ったとおりになってるね、今。日本の産業の停滞・逼塞感と学生の就職難を見ればね。なんで彼があの時にそういう大胆なことを言ったのかは、よくわからないんだけど、中国の経済が日本を凌駕するということを彼は言っていたんだろうね。卓見だったんだね。

 奥田 その時の日本側の印象はどうだったんだろう。

 中原 鼻でせせら笑うような感じだったんじゃないかな。まだ。

 奥田 そうなんだ。

 中原 中国に対する認識が急激に変わったのは、ここ10年。いや10年は経ってないよね。

 奥田 リーマン・ショック以降は、日本のビジネスモデルは壊れてしまったから、よりクローズアップして別の見方で中国を見始めましたよね。

 中原 加速度的に変わってきたね。

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