独自の情報分析で中国と日本に提言する――第49回
柯 隆
富士通総研 主席研究員
構成・文/谷口一
悪×欲の掛け算
奥田 この20年、中国はどう変わってきているのでしょうか。柯 そうですね。私がいた頃とは違う国のようです。まず、ポジティブな意味でいうと経済が発展しました。私が小さい頃は、今日・明日を心配していました。米や肉をいかに手に入れるとか…。しかし大人たちは将来のことは心配していませんでした。なぜかというと、墓にいくまでの間のことは政府や国有企業が保証してくれるからです。
今の中国はどうなっているか。経済は発展しているから肉も野菜もそこらじゅうにあります。だから今日・明日については心配する必要がない。ところが、逆に将来のことが心配になってきたわけです。国有企業がみんな民営化されて、政府も保証してくれないし、だから自分の老後がどうなるかが心配になってきた。発展はしているけれど、皮肉なことに将来はどうなるかが見えない、というのが今の中国です。虚像と実像、ポジティブな部分とネガティブな部分の両方が現れてきているんです。この『チャイナ クライシス』もそういうことを念頭に置いて書きました。
奥田 もう少し突っ込んで中国の現状をお話しいただけますか。
柯 中国の人たちは非常に怒りっぽくなってきたと感じています。
奥田 それはどういうことでしょう。
柯 国が発展すれば、本来なら余裕ができるはずなのです。しかし、経済の余裕と心理的な心の余裕とは必ずしも同じものではないというのがここで見えてきました。財布に入っているお札の枚数は増えています。食べたいものは食べられます。でも、心の余裕が必ずしも増えていない。むしろ減っている。これが中国が直面している大きな問題です。
それに加えてもっと大きな話をいうと、市場経済をやっていくうえでの一番重要な社会インフラは何か。それは「信用」なんです。お互いを信じることです。中国でビジネスをしておられる方が、最も困っていることは中国という社会は信用がないということです。お互いを信じない。あらゆる関係で信用がないということです。
奥田 たしかにそう感じることはありますね。
柯 面白い現象を紹介しましょう。中国で一番大きいお札は百元です。ホテルでもどこでも百元札を出すと、そこの従業員は透かしてみるんですよ。日本で一万円札をタクシーで使って、運転手がそんなことをしますか。お札っていうのは、信用の塊なのです。昔の中国ではそんなことをする人はいなかったと思います。信用がどうしてこんな風に崩れてしまったかを考えると、われわれの心の中に信じるものが失われてしまったからだと思います。心の中には信じるもの、信仰心でもいいし、古典的な哲学、論語儒教の世界でもいいですが、われわれのおじいさんの時代にはそういうものをもっていたけれど…。
私は、恥ずかしいことに名古屋に留学していた頃に初めて論語を読みました。だけど、論語を知識として読んでもDNAには入り込みません。こういうものはDNAに入り込まなければ意味がないのです。
奥田 なるほど。そういうものですか。
柯 日本人のある年齢以上の人はもっていますよ。
奥田 そういう状況で中国はどうなっていくのでしょうか。
柯 心の中にそういう信じるものがないままに市場開放され、市場経済と接したわけです。これが結局のところ、先ほどのお札の例のように、本物かどうかで価値判断するようになったわけです。そうすると、どうなるか。拝金主義です。なぜ拝金主義が横行するかといえば、それに変わるものが全部捨てられたからです。だからお金しかない。今、中国は全部お金で判断する。これが中国の困るところなんです。拝金主義が横行することが。
奥田 そういう中国をマーケットとしてみたとき、今後起こりうる問題はどういうことが予想されるのでしょうか。
柯 それに対して答えを出すのに時間がかかったのですが、インドに出張した時に気がつきました。私を含めて中国の若者と、インドの若者とを比較してわかったのです。というのは、インドの若者というのは目つきが怖くない、それに比べて中国の若者の目つきは険しいんですね。客観的に見てそう映るんです。どうしてこんなことになっているのか。信じるものがあるかないかだと思うんです。信じるものがある人は輪廻転生は必ずあると思っています。現世でよいことをしていれば、来世は天国へいけるという。われわれ中国人には来世がありません。共産主義は無神論ですから。無神論だと現世で利益を最大化することを考えるのです。
奥田 なるほど。そういうことですか。
柯 市場経済で何が怖いかというと、ここです。たとえば、トラックの運転手を雇って物流をやると、途中で品物がなくなってしまうんです、ダンボールごと。中国でコンプライアンスを強化せよと言っても意味ありません。コンプライアンスを確立するための前提として、何かしら信じなくてはならないのです。日本の社会は性善説です。輪廻転生のない中国社会は性悪説なのです。これを理解しなくてはならない。ここに問題の根源があると思います。
奥田 哲学的になってきました。
柯 欲というのは誰にでもあると思います。とりわけ中国人はギャンブルの好きな国民性をもっていますから。でも、欲を持っていれば、その半面で、抑えなくてはいけない部分もあります。論語などを読んでみると、抑えろ抑えろと何千年も教えてきたことがわかる。この教えを共産党は取り除いたわけです。結果的に欲がむき出しになってどんどん表に出てくる、それが今の中国の状況です。
奥田 そういうことですか。
柯 中国の人たちの前で講演した時にも言ったことがあるのですけど、1949年から文革の終わる前までの最初の30年間、共産党は何をやったかというと、要するに人間の心の中の悪を引き出したわけです。引き出しの中に入れている悪を表に出してきた、と。夫婦、親子、隣近所、弟子と先生、そういう人間関係のなかで密告が繰り返されました。そうすると、人間の不信は極限に高まります。そして、直近の30年間はどうだったかというと、人間の欲を刺激されたわけです。この「悪と欲」の掛け算がもたらしたのが、今の中国社会です。
奥田 そういうことを中国でも話されるのですか。
柯 言ったことがあります。事実としてそうなのですから。でも、その「悪×欲」の掛け算が瞬間的には活力に転ずることがあります。
奥田 今がそんな感じですね。
柯 悪というのは手段を問わない。欲というのは目標がはっきりするわけです。日本は今、目標がないから欲がない。フリーターやって、ぼうっと座っているでしょ、あれが典型です。日本も困るけど、中国はもっと困る。なにしろ「悪×欲」ですから。