中国市場に深く根を下ろして宝の山に挑む――第48回
小澤秀樹
キヤノン(中国) 社長
構成・文/道越一郎
キヤノン(中国)有限公司の本部は北京。1450名の従業員を抱えて16支社と三つのサテライトオフィスで、華北、華東、華南の3大地区を中心に中国全土をカバーする。一般消費者向けデジタルカメラやプリンタのほか、ビジネス向け複写機、医療機器などの産業機器も幅広く手がける。【取材:2010年12月9日、キヤノン中国北京のオフィスにて】
「中国なりのやり方、いわゆるローカライゼーションが、成功するためには重要です」と語る小澤秀樹社長。
「千人回峰」は、比叡山の峰々を千日かけて歩き回り、悟りを開く天台宗の荒行「千日回峰」から拝借しました。千人の方々とお会いして、その哲学・行動の深淵に触れることで悟りを開きたいと願い、この連載を始めました。
「人ありて我あり」は、私の座右の銘です。人は夢と希望がある限り、前に進むことができると考えています。中学生の頃から私を捕らえて放さないテーマ「人とはなんぞや」を掲げながら「千人回峰」に臨み、千通りの「人とはなんぞや」がみえたとき、「人ありて我あり」の「人」が私のなかでさらに昇華されるのではないか、と考えています。
「人ありて我あり」は、私の座右の銘です。人は夢と希望がある限り、前に進むことができると考えています。中学生の頃から私を捕らえて放さないテーマ「人とはなんぞや」を掲げながら「千人回峰」に臨み、千通りの「人とはなんぞや」がみえたとき、「人ありて我あり」の「人」が私のなかでさらに昇華されるのではないか、と考えています。
株式会社BCN 社長 奥田喜久男
<1000分の第48回>
※編注:文中に登場する企業名は敬称を省略しました。
※編注:文中に登場する企業名は敬称を省略しました。
知れば知るほど好きになる中国
奥田 小澤さんが中国法人の社長に就任されて5年になりますね。着任当初の様子はいかがでしたか?小澤 2005年4月10日、反日騒動の真っただ中で社長に就任しました。前日の9日に、会社のビルの前で大規模な反日デモが繰り広げられていたのをよく覚えています。当社の看板も壊されました。大変な緊張感を抱いてのスタートでした。
奥田 一番難しいタイミングでスタートしたわけですね。
小澤 もうあれ以上の悪いことは起こらないんじゃないでしょうか。こちらに赴任する前は、(中国ってよく知らないけれど、難しそうだなぁ)と思っていて、来たとたんに反日デモですから。
奥田 その後、中国に対するイメージは、どんなふうに変化しましたか?
小澤 国や人々をだんだん知り始めると、徐々に、ちょっと待てよと思い始めました。私がイメージしていた中国や中国人と実際はだいぶ違うということがわかってきたんです。知れば知るほど年々好きになってきました。
奥田 業績が好調だったこともあるんでしょうね。
小澤 毎年30%程度の伸びを続け、売り上げはこの5年で4~5倍までになりました。2010年は2300億~2400億円で、おそらく40%程度の伸びになると思います。それもこれも、中国に溶け込んで腰を据えてビジネスができからだと思います。
奥田 小澤さん自身、どのようにして「現地化」してこられたのですか。
小澤 アメリカの生活が長かったので、企業のグローバルな姿を自ら見せていこうと、まずスピーチを日本語ではなく、英語で行うようにしました。
奥田 それはどんな集まりでのスピーチですか?
小澤 機会があればディーラー集会などにも直接出向きますから、そんな場でスピーチをするわけです。
奥田 そこで英語で話して、中国語に翻訳してもらう、と…。
小澤 そうです。日本企業の現地法人の社長は、ほとんどの人が日本語で話してそれを訳すことが多いので、かなり違ったイメージになります。英語だと国際企業という感じがしますよね。