今回は、中国にしっかりと軸足を置き、中国庶民の目線で、生の中国情報を発信し続けておられるジャーナリストの姫田小夏さんをお迎えして、中国の魅力や課題、また日本企業の中国・中国人に対する相応な接し方など、まさに現場主義ならではのお話を聞いた。【取材:2010年10月13日 BCN本社にて】
姫田小夏さんは、「日本が中国を見る角度はいつも同じで、GDP成長率やCPIはどうかとか、マクロの数字でしか見ません。自分で行って感じてみようという人は非常に少ないです」と苦言を呈する
「千人回峰」は、比叡山の峰々を千日かけて歩き回り、悟りを開く天台宗の荒行「千日回峰」から拝借しました。千人の方々とお会いして、その哲学・行動の深淵に触れることで悟りを開きたいと願い、この連載を始めました。
「人ありて我あり」は、私の座右の銘です。人は夢と希望がある限り、前に進むことができると考えています。中学生の頃から私を捕らえて放さないテーマ「人とはなんぞや」を掲げながら「千人回峰」に臨み、千通りの「人とはなんぞや」がみえたとき、「人ありて我あり」の「人」が私のなかでさらに昇華されるのではないか、と考えています。
「人ありて我あり」は、私の座右の銘です。人は夢と希望がある限り、前に進むことができると考えています。中学生の頃から私を捕らえて放さないテーマ「人とはなんぞや」を掲げながら「千人回峰」に臨み、千通りの「人とはなんぞや」がみえたとき、「人ありて我あり」の「人」が私のなかでさらに昇華されるのではないか、と考えています。
株式会社BCN 社長 奥田喜久男
<1000分の第46回>
※編注:文中に登場する企業名は敬称を省略しました。
※編注:文中に登場する企業名は敬称を省略しました。
奥田 まず、姫田さんと中国の出会いからお話しいただけますか。
姫田 1992年の上海が最初です。
奥田 当時の印象はどんなものでしたか。
姫田 将来ここに住むことになるとは夢にも思いませんでした。当時の上海の中心部は再開発で粉じんが立ちこめ、公共の秩序も不安定、衛生という観念も希薄でした。それに人の表情の暗さ、社会全体の暗さというか…。私はその頃、バックパッカー的な旅でインドやブータンにも行っていましたし、アジアには慣れていたんですが、中国はどこか違っていました。
奥田 それから約20年が経った現在の上海はどうなんでしょうか。
姫田 まさにモノクロからカラーですね。180度変わりました、秩序も衛生面も。人の表情でいえば、今は日本人の方がむしろ暗い感じがします。上海の人は、さまざまな問題を抱えながらも、人生を謳歌しているような感じが見えます。人間がタフなんでしょう。
奥田 姫田さんは97年からは中国に軸足を移して、じっくりと中国の進化を見てこられたわけですが、中国はどんなふうに変化して、どこへ向かおうとしているのでしょうか。
姫田 大きな変化は2001年12月の中国のWTO加盟で、日本の企業がどっと中国に入ってきました。2001年から2002年当時はマスコミも「世界の工場・中国」と書き立てました。その後2004年を前後して、中国は「世界の工場」から「世界の市場」にシフト、日系企業のみならず世界から資本が入ってきました。そして売りたい商品をどんどんとぶつけていくというような変化が出てきました。この時期にすでに中国に拠点を構えていた企業は、業績を急拡大させ、一番面白い時期だったと思います。
そして今後ですが、中国は大国として今まで以上に「ナンバーワン」を目指そうとすると思います。上海万博の実績がそうだったように「世界初」という挑戦もするでしょう。そこに日本の技術を生かそうとするならば、相当なハードネゴが予想されます。トップダウンの重要性、国と国との握手の重要性がますますビジネスサイドに影響をもたらしてくると思います。
奥田 WTOへの加盟は中国政府のデシジョンだったわけですけど、「工場」から「市場」への変化のきっかけは何だったのでしょうか。
姫田 所得の向上だと思います。とくに上海の場合は、海外から資本が入ってきて雇用が生まれ、多くのチャンスが生まれました。他の都市よりも高い確率で外資系の企業に入社でき、国営企業に勤める人よりも数段上の所得を得て、それを消費していく。それによって富が蓄積されていくという循環だったわけです。
それに上海は食品価格が安いんですね。物価高と騒がれている今も、キャベツなんかは日本の10分の1の値段、2元(約24円)ほどです。
奥田 中国の富裕層というのはどれくらいの月収なんでしょう。
姫田 ざっくり言えば、中間所得者層が5000元(1元=約13円)で、管理職になると1万元以上、みんなから羨ましがられる所得となると1万5000~2万元。だいたいこれ以上の水準を「富裕層」と認識しています。もちろん、月収200万元という国有企業の高級幹部も存在します。
奥田 1万5000元あれば、どんな暮らしができるのでしょうか。
姫田 そうですね、1戸目のマンションをとっくに買っていて、2戸目に投資するかどうかを考えるくらいの豊かさで、日本にもビザなし渡航ができる所得水準ですね。もちろんマイカーももっていて。
メイド・イン・ジャパンは一種の憧れ
奥田 日本の給料をそのまま持っていけば、そうとう裕福に暮らせるということですか。姫田 裕福に暮らせたのは今より少し前の時代ですね。上海も全体的に物価が上がってきていますから。最低の生活者を保障するために、食品価格は相対的に安く抑えていますが、百貨店で売られているものは高いです、服、服飾品とか高機能製品とか。だから、日本に旅行に来て、日本で買い物をしたいというのが本心だと思います。
これは、中国のほうが「値段が高い割に品質の悪いものが多い」ことの裏返しだと思っています。1990年代にも特定の富裕層というのは存在していて、そういう家庭には日本製の家電製品がありました。ところがその後、技術的にも中国のメーカーがキャッチアップして、なんとなく見た感じは同じようなモノが作れるようになりました。けれども、故障が多く、修理にも手間がかかる…。やはり日本製はよかったということが再認識されてきていると思います。同時に所得も上がって、日本製の購入も現実的になってきています。 尖閣諸島問題をきっかけに反日ムードが高まってきていますが、それでも実生活に密着したところでの日本製への憧れ、信頼、そしてニーズが強くあるように思います。
奥田 ドイツとか他の国の製品に対しても、そういった心情はあるのでしょうか。
姫田 シーメンスとかフィリップスとか選択肢として出てきますが、ものによって違いますね。エアコンだったらダイキン、カメラだったらソニー、電子レンジなんかは中国メーカーで大丈夫だとか、使う家電によって自分が使いたいブランド・国籍があるような気がします。
ただ、生活者の視点からすると、欧米のビッグネームもどこか中国市場を軽視しているのではないか、という疑心暗鬼はないわけではありません。
奥田 そういうなかで、日本製が頑張っているということですか。
姫田 その通りだと思います。一種の憧れですね。パソコンについていえば、上海では東芝のDynabookを使っている人をよく見ますね。スターバックスなんかで。
奥田 実は私も中国のスターバックスでDynabookを開いている人を見ました。中国はそういった生活面でも変化してきています。この先はどんな形になっていくとみておられますか。
姫田 今、中国国民の切羽詰った問題は住宅なんです。不動産バブルといわれていますが、結局は、住宅をいちばん必要としている人たちに手が届かなくなっている。安心できる家が欲しいという切実な願いがあるんですが…。
奥田 それは上海だけの問題でしょうか。
姫田 いえ、北京から広州まで沿海部はみんなそうだと思います。この問題の解決が中国の最大の課題ではないでしょうか。住に対する不満のはけ口が、いろんな方面に影響する可能性だってありますから。