佐藤 自分に営業力があれば、もう少しうまくやっていたと思います。
奥田 それでもIPO(新規株式公開)というものを世の中に知らしめたことは大きな意味があることだと思いますよ。
佐藤 お褒めいただいて、ありがとうございます。世の中の動きがこうなるだろうということは、アーリーステージ(黎明期)のうちに感覚的にわかりますから。それは私の強みだと思っています。いまはエネルギー分野の仕事をしていますが、一度、こういう流れを見てきているため、先が読みやすいですね。
奥田 なるほど、さすがですね。東京IPOは何年くらい前に立ち上げたんでしたっけ。
佐藤 1999年にメルマガで始めて、2000年の春にデータベースを組み、サイトを立ち上げて、東証アローズで発表し、その年の10月に法人化しました。
これは孫正義さんがナスダックジャパンを創設する少し前のことで、もうすぐIPOブームが生まれるのではないかと考えたんですね。自分自身もIPOを予定しており、日本におけるIPOの他社情報を集めていたのですが、なかなか情報源になるものがない。
これに対して、アメリカではエドガー・オンライン(SEC=証券取引委員会の情報をデータベース化している)をはじめとする金融ポータルサイトがたくさんあります。そこで、IPOだけのアングルでサイトをつくったら面白いものができるのではないかと思ったのです。いま考えたら、御社に売ればよかったですね。
奥田 本当ですね。買いたかった(笑)。東京IPOもアーリーステージですが、もうひとつの「バーゲンアメリカ」もアーリーステージのうちに手がけた事業ですね。
佐藤 e-コマースのバーゲンアメリカを立ち上げたのは1995年のことです。いまでいえば、楽天やヤフーショッピングのような形態です。当時、ヤフーが始めていましたが、アマゾンや楽天はまだない頃です。
1994年にアメリカに行き、多くの起業家がインターネットで会社を起こしていたので、なんでもいいからインターネットをやらなければと思って、ショッピングのビジネスモデルを考えたんです。
奥田 あのとき、トムからビジネスモデルの説明を受けて「凄い、いつ立ち上がるんだろう」と思ったものです。
佐藤 いま思えば、時期が早すぎました。当時の日本のインターネットユーザーは1万人しかいなかったんです。つまり市場がなかった(苦笑)。
奥田 どんな機会に、早いうちにそういったビジネスモデルを着想するのですか。
佐藤 展示会や業界のカンファレンスですね。そういう場では、ある時点でまったく新しいものが出てくることがあるんです。カンファレンスの内容を注意深く聞いて、「これはダメ、これはもう一つ、これもダメ」とチェックしているうちに、「あっ、これはいいかな、面白そうだ」というのが出てくるんですね。
当時、アメリカ政府が“Information Super Highway”という構想を発表した頃で、アル・ゴアが1994年のシリコンバレーのカンファレンスで、この構想をクリントン政権で実現すると宣言したんですね。それで、これは凄いなと思って、e-コマース事業に乗り出したというわけです。
いまは、クリーンテクノロジー分野に注目していろいろやっているところです。燃料電池とか太陽光発電など。しかも、イスラエルの企業とです。今、イスラエルにはアメリカにいた開発者や起業家が続々と帰国しており、国の起業家支援政策がクリーンテク起業ブームを引き起こしたんです。昨年の原油の暴騰で一気に火がついた。
イスラエルも日本も資源が乏しい点では共通しており、今後、この分野は両国がリードしていくのではないでしょうか。まあ、まだ具体的に発表できる事業はこれからですが…。
奥田 えっ!? 秘密なんですか。
佐藤 いや、そういうわけではないのですが、来週になってもやっているかどうかわからないから(笑)。私は、興味のある新しいことについては、とりあえずやってみるんです。そして、たくさん失敗するけれども、それにめげない。これは学生時代からずっとですね。とにかく、クリーンテク案件は無尽蔵にあるので、あらゆる事業を見ていきたいと思います。
奥田 それにしても「とりあえずやってみる」というのは立派。ただ、着想はいいんだけど、事業化するのが早すぎるということなのでしょうか。
佐藤 事業を生かすも殺すも社長次第です。
奥田 それは僕に対して言っているの?(爆笑の後)こうやって、しゃあしゃあと言うところがトムだよね。
佐藤 奥田さんは大成功を収めておられるのでいいですが、私は社長業をやるたびに墓穴を掘りまくっているので…。その前は、ケータイ小説のサイトをつくったのですが、あれもダメでしたね。ケータイ小説のマーケットの中心は15~18歳くらいなのですが、40代の男が参入するような市場じゃないんです(笑)。それをまったく理解せず、ケータイ小説をガンガン書いていたんです。
奥田 自分で書いていたの?
佐藤 ええ、毎日連載です。半年間続けました。だけど、それをビジネスにするのは大変です。しかるべきプロデューサーがついて、中高生が喜ぶような恋愛小説を書かないことには、この市場では生きていけません。
ネット上でモノをつくるのは簡単ですが、大変なのは黒字化すること。売り上げはある程度立つんだけれど、利益が出ない。ここで墓穴を掘る起業家は多いですね。
奥田 それでもIPO(新規株式公開)というものを世の中に知らしめたことは大きな意味があることだと思いますよ。
佐藤 お褒めいただいて、ありがとうございます。世の中の動きがこうなるだろうということは、アーリーステージ(黎明期)のうちに感覚的にわかりますから。それは私の強みだと思っています。いまはエネルギー分野の仕事をしていますが、一度、こういう流れを見てきているため、先が読みやすいですね。
奥田 なるほど、さすがですね。東京IPOは何年くらい前に立ち上げたんでしたっけ。
佐藤 1999年にメルマガで始めて、2000年の春にデータベースを組み、サイトを立ち上げて、東証アローズで発表し、その年の10月に法人化しました。
これは孫正義さんがナスダックジャパンを創設する少し前のことで、もうすぐIPOブームが生まれるのではないかと考えたんですね。自分自身もIPOを予定しており、日本におけるIPOの他社情報を集めていたのですが、なかなか情報源になるものがない。
これに対して、アメリカではエドガー・オンライン(SEC=証券取引委員会の情報をデータベース化している)をはじめとする金融ポータルサイトがたくさんあります。そこで、IPOだけのアングルでサイトをつくったら面白いものができるのではないかと思ったのです。いま考えたら、御社に売ればよかったですね。
奥田 本当ですね。買いたかった(笑)。東京IPOもアーリーステージですが、もうひとつの「バーゲンアメリカ」もアーリーステージのうちに手がけた事業ですね。
佐藤 e-コマースのバーゲンアメリカを立ち上げたのは1995年のことです。いまでいえば、楽天やヤフーショッピングのような形態です。当時、ヤフーが始めていましたが、アマゾンや楽天はまだない頃です。
1994年にアメリカに行き、多くの起業家がインターネットで会社を起こしていたので、なんでもいいからインターネットをやらなければと思って、ショッピングのビジネスモデルを考えたんです。
奥田 あのとき、トムからビジネスモデルの説明を受けて「凄い、いつ立ち上がるんだろう」と思ったものです。
佐藤 いま思えば、時期が早すぎました。当時の日本のインターネットユーザーは1万人しかいなかったんです。つまり市場がなかった(苦笑)。
奥田 どんな機会に、早いうちにそういったビジネスモデルを着想するのですか。
佐藤 展示会や業界のカンファレンスですね。そういう場では、ある時点でまったく新しいものが出てくることがあるんです。カンファレンスの内容を注意深く聞いて、「これはダメ、これはもう一つ、これもダメ」とチェックしているうちに、「あっ、これはいいかな、面白そうだ」というのが出てくるんですね。
当時、アメリカ政府が“Information Super Highway”という構想を発表した頃で、アル・ゴアが1994年のシリコンバレーのカンファレンスで、この構想をクリントン政権で実現すると宣言したんですね。それで、これは凄いなと思って、e-コマース事業に乗り出したというわけです。
いまは、クリーンテクノロジー分野に注目していろいろやっているところです。燃料電池とか太陽光発電など。しかも、イスラエルの企業とです。今、イスラエルにはアメリカにいた開発者や起業家が続々と帰国しており、国の起業家支援政策がクリーンテク起業ブームを引き起こしたんです。昨年の原油の暴騰で一気に火がついた。
イスラエルも日本も資源が乏しい点では共通しており、今後、この分野は両国がリードしていくのではないでしょうか。まあ、まだ具体的に発表できる事業はこれからですが…。
奥田 えっ!? 秘密なんですか。
佐藤 いや、そういうわけではないのですが、来週になってもやっているかどうかわからないから(笑)。私は、興味のある新しいことについては、とりあえずやってみるんです。そして、たくさん失敗するけれども、それにめげない。これは学生時代からずっとですね。とにかく、クリーンテク案件は無尽蔵にあるので、あらゆる事業を見ていきたいと思います。
奥田 それにしても「とりあえずやってみる」というのは立派。ただ、着想はいいんだけど、事業化するのが早すぎるということなのでしょうか。
佐藤 事業を生かすも殺すも社長次第です。
奥田 それは僕に対して言っているの?(爆笑の後)こうやって、しゃあしゃあと言うところがトムだよね。
佐藤 奥田さんは大成功を収めておられるのでいいですが、私は社長業をやるたびに墓穴を掘りまくっているので…。その前は、ケータイ小説のサイトをつくったのですが、あれもダメでしたね。ケータイ小説のマーケットの中心は15~18歳くらいなのですが、40代の男が参入するような市場じゃないんです(笑)。それをまったく理解せず、ケータイ小説をガンガン書いていたんです。
奥田 自分で書いていたの?
佐藤 ええ、毎日連載です。半年間続けました。だけど、それをビジネスにするのは大変です。しかるべきプロデューサーがついて、中高生が喜ぶような恋愛小説を書かないことには、この市場では生きていけません。
ネット上でモノをつくるのは簡単ですが、大変なのは黒字化すること。売り上げはある程度立つんだけれど、利益が出ない。ここで墓穴を掘る起業家は多いですね。