夫人からプレゼントされた8ビットマイコンが生涯を決めた――第37回
襟川陽一
コーエー ファウンダー 取締役 最高顧問
なんといっても、お客様が喜んでくださる、面白がってくださる。結局のところ、それがお客様に役に立つことなのだとわかったのです。そこが私の経営の原点なのだろうと思っています。
社会に役立つ、お客様に役立つことを通じて、結果として収益が生まれる、それが経営の本質だと私は思っています。それを当社の場合は「創造と貢献」という言葉で表して、コーエーのスピリッツ、精神としています。今までにない新しい面白さを提供して、初めてお客様に貢献できる会社として存在し、社会の中に生かさせていただく。逆につまらないゲームばかり創っているとお客様からそっぽを向かれて、会社としての存在意義が失われて、最終的にはバイバイとなってしまうわけです。
「世界で一番面白い」と言われたい
奥田 経営も人生と同じように喜怒哀楽があると思います。ちょっと漠然とした質問かもしれませんが、経営の中での喜怒哀楽、そのあたりはいかがでしょうか。襟川 喜怒哀楽…。そうですね、四つの文字のうちの「楽」は、楽しいことを一生懸命やっていくということです。事業ですから調子の悪い時もありますが、今年はダメでも来年はもっと良くしていこう、すぐそっちのほうにいっちゃいますね。私も家内もまったく落ち込まないタイプですから。もちろんおおいに反省はしますが、将来に期待して、次はもうひと頑張り、ふた頑張りしていこうと。
奥田 では喜怒哀楽の「喜」、喜びはどんな時に感じられるのですか。
襟川 お客様から面白いと言っていただけるのが最高の喜びですね。
奥田 あのダンボール箱の中のお客さんの声ですか。
襟川 それも世界で一番面白いよといわれたい。昔は日本で一番でしたが。
奥田 世界で…。
襟川 今でもそこそこ評価されていますが、世界のマーケットの中ではまだまだ小さいですから、もっともっとたくさんの人に面白いと言われるようになれれば最高ですね。それは通信販売で始めた頃に、お客様から楽しかったと言われた時の感覚とまったく同じです。幅が広がって、多くの国になっただけで。
欧米の人たちはエンターテインメントにお金を使う
奥田 グローバルの中での対応についてはどう考えておられますか。襟川 現在のところ、天津、北京、シンガポール、リトアニア、トロントに開発拠点があるのですが、それら海外の開発拠点を強化している最中です。私も1年の3分の1はトロントに行っています。特にトロントに力を入れているのは、アメリカやヨーロッパに受け入れられるゲームソフトは、現地で創る方がいいという考えに基づいているからです。
奥田 地産地消、いや地創地消ですね。
襟川 そうですね、色使いや面白さを感じる所の度合いが違うとか、グラフィックスも感覚的に違うところもありますし。
奥田 地創地消となりますと、ゲームの題材は何になるのでしょうか。
襟川 やはりアメリカやヨーロッパの歴史、神話、伝説になります。
奥田 今までに何作くらい出しておられるのですか。
襟川 3作を出していまして、2作は大ヒットしました。いま4作目を創っています。
奥田 世界のゲーム市場は、どんな状況なのでしょうか。
襟川 いま伸びているのはアメリカとヨーロッパで、これだけの不況でも、2008年が前年対比で約20%も市場が大きくなっています。日本は残念ながらマイナス10%くらいですが、欧米ではゲームソフトが非常に華やいでいる時期で、その流れが東欧・ロシアへと広がっています。現状で、欧米のマーケットを足すと日本の8倍と言われています。
奥田 大きいですね。彼らは遊んでばかりいるのでしょうかね(笑)。
襟川 エンターテインメントにお金を使ってくれるのですね。ハリウッドの映画もそうですし、スポーツもそうですしね。彼らはわりと遊びにお金を使いますね。ゲームで言いますと、最も目覚しいのはヨーロッパ。これから楽しみです。そういう意味で、英語圏のカナダでの開発に力を入れているのです。
奥田 最後に今後の展望などをお聞かせいただけますか。
襟川 特に二つの面を考えていまして、一つは先ほどから話しています海外マーケットですね、非常な勢いで伸びていますから。海外向けのゲームソフトを創っていこうと海外の拠点も国内の拠点も一生懸命頑張っています。
もう一つは、これも急速に伸びているインターネットや携帯のオンラインゲームですね。これは日本にサーバーを置いておいて世界に発信できますから。現在も日本、中国、韓国、台湾でサービスを行っていますが、当社にとってこれも非常に大きなビジネスになってきていますので、このオンラインゲームにもますます力を入れていきたいと思っています。
奥田 今日はいろいろと貴重な話をありがとうございました。24年前の中国での写真、そのうちにお目にかけますので。
Profile
襟川陽一
(えりかわ よういち) 1950年10月栃木県足利市生まれ。1973年3月慶應義塾大学商学部卒業。1978年、光栄を設立、代表取締役社長就任。1988年KOEI CORPORATION(米国)設立、President&C.E.O就任。1989年、天津光栄軟件有限公司設立、董事長就任。1992年、北京光栄軟件有限公司設立、董事長就任。1999年、コーエー取締役会長就任。2005年、コーエーのファウンダー取締役最高顧問に就任し現在に至る。ゲームプロデューサー名「シブサワ・コウ」。