体が動くうちにリタイアし、次のことにチャレンジしたい――第31回

千人回峰(対談連載)

2009/01/13 00:00

東島 義澄

東島 義澄

日本システム開発 名誉会長

 奥田 第二の人生では、どんなことに力を注ぎたいと思っていらっしゃいますか。

 東島 とりあえず山歩きを再開させたいですね。もちろん体力が落ちていますから、近郊の低い山になるとは思いますが……。ただ、先日、友達に誘われて、ネパールのカトマンズに行くことになったんです。そのために、いまは毎日腕立て伏せをして、なんとかついていけるように準備しているところです。

 そういえば、最近の週刊BCN(2008年11月3日号)に秋田駒ヶ岳に登ったという内容を「旅の蜃気楼」のコラムで書いておられましたよね。

 奥田 あ、読んでいただきましたか。

 東島 私は毎週、「旅の蜃気楼」から読み始めるんですよ。

 奥田 あの記事では、仲のよい三人組で山行したので、“だんご3兄弟”なんて表現を使っていますが、これからは“だんご4兄弟”でいきましょうよ。

 東島 ありがたいですね。でも、一緒に行けば迷惑をかけるかもしれない。カトマンズ行きが決まる前に、試しに腕立て伏せをやってみたら、なんと1回もできないので、愕然としました。放っておくと筋力というのはあっという間に落ちるものなんですね。それから毎日、腕立て伏せを日課にして、やっと20回くらいはできるようになりましたけれど。

 奥田 それなら大丈夫。次はザックを担いでお会いしましょう。

【対談後に届いた東島さんからの手紙】

 予定通り、11月22日からバンコク経由でネパールのカトマンズへ行き、ルクラを経て標高3880メートルのホテルエベレストビューに2泊しました。眺望は、360度、本当に素晴らしいものでした。ホテルからクムジュン、クンデ村を経てクンデピーク(4200メートル)を往復してきました。

 帰りもタイ経由の予定でしたが、空港封鎖のため飛行機が飛ばず、急遽ポカラへ行き、アンナプルナ、マチュピチュレ、ダウラギリ等を遠望して、三日遅れで香港経由の帰国となりました。天気は晴れ続きで、山の景色は「素晴らしかった」の一言です。また行ってみたいです。(2008年12月19日記)

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Profile

東島 義澄

(ひがしじま よしずみ)  1938(昭和13)年9月13日、茨城県日立市生まれ。1964年、武蔵工業大学工学部電気通信工学科を卒業し、日立電子サービス株式会社入社。同社にて大型コンピュータのハードウェア障害診断プログラムの開発を担当。1968年、株式会社東京エレクトロン研究所(現・東京エレクトロン株式会社)に転じ、1971年、ソフトウェアの開発と販売を事業とする日本システム開発株式会社を設立、代表取締役社長に就任。2003年、代表取締役会長、2008年、名誉会長となり、現在に至る。