コミュニケーションができないとの理由でクビに
奥田 それで渡米することにしたんですか。Terry はい。1985年にアメリカに行きました。最初の会社は、私が博士号を持っていることを評価してくれず、工場で労働者のような扱いを受けました。まあ、言葉が不自由ということもあったのでしょうけれど。
それで、87年に、革のベルトを作っている会社に移って…。この会社は初めて私の博士号を評価してくれて、約60人の部下を持つことになりました。売り上げは年間10億円くらいの事業でしたが、私はこれを3年間で45億円にまで伸ばし、部下は300人にまでなっていました。
奥田 すごいじゃないですか。
Terry ところが、7年目に業績が少し悪化した途端に、「辞めてくれ」とクビを宣告されてしまったのです。まさに青天の霹靂でした。1日に10時間から12時間、身を粉にして働いてきたのにですよ。
なぜ私がクビを言い渡されなくてはならないのか、その時はまったく分かりませんでした。渡米してまもなく、アメリカ人の男性と結婚したのですが、その夫に「アメリカも結局は男尊女卑か、こんな国には住みたくない。韓国に帰る」などと、わめきちらしたりしていました。それでも、多少冷静になって周りにいる人たちに話を聞いてみることにしました。そしたら、「Terryとは一緒に仕事をしたくない」という人たちが予想外に多いことが分かったんです。
奥田 理由も聞いたのですか。
Terry ええ、聞きました。まず言われたのが“笑わない”という点でした。私には笑っている余裕などなかったというのが本音ですが、“指示するだけでコミュニケーションができない”とも指摘されました。
韓国では、上司は部下に指示するだけでよいと考えられていて、私もその通りだと思ってきたんです。でも、多民族国家であるアメリカは違うんですね。コミュニケーションを非常に重視している。このことに気がつきました。
そうした目で周囲を見渡すと、マネジャークラスの人たちは、冗談ばかり言ってるように見えるけど、部下の人たちの緊張をほぐしながら、話をよく聞いて、自信を持たせるようにしているんですね。
私に決定的に欠けていたのはこれだ!と思いました。