粗利のパーヘッドは1100万円
奥田 その人材ですが、パーヘッドの粗利はどのくらいですか。北村 1100万円を目標にやっていて、おかげさまで毎年クリアしています。
奥田 それはすごいですね。
北村 人材の育成には力を入れています。例えば、内定者には11月のうちに2泊3日で内定者セミナーをやります。仕事にどういう意識、姿勢で取り組むか、当たり前のことを当たり前にやれる社員になって欲しい、自分のマイナス点を抽出して変える努力をして欲しいなど、私が信条としている「先心後技」の考えをわかりやすく訴えていきます。
奥田 先心後技ですか。その言葉の意味説明してください。
北村 システム開発に携わる者が重要視されるのは技術力です。しかし、私は技術よりも心が先になければならないと考えています。どんな仕事をするにしろ、心を込めないのではろくな結果をもたらさない、という意味です。
そうした基礎教育を施しておいて、入社後1年間は講師がテーマを投げて、レポートにして出させるというキャッチボールを行って、意識改革を図っていきます。2年目は、2月の第一土曜日に集合レクチャーを行って新入社員教育は終わりにしますが、その後も業務に精通した、技術力の高い社員の育成には全力を上げております。そうした成果がパーヘッド粗利1100万円という形になって現れているのだと思います。
奥田 長野に本社を持つことのメリット、デメリットを感じることがありますか。
北村 メリットは、おおらかで人間性豊かな人材を、東京よりは採用しやすい点ですね。
一方のデメリットについては、東京に頻繁に出向くため、交通費がやたらかかる点です。年間1億円は使ってますが、受注額に上乗するわけにもいかないし…。
中国には1998年に進出
奥田 ところで中国への進出も早かったですね。合弁会社を作るというので同行させてもらったのが、98年3月でした。北村 そうでしたね。ソフト開発はいずれ中国でも活発化するであろう。だったら、早めに真剣につき合いができるところを探そうと考えました。それで、98年9月に北京中国先鋒新技術という会社と、北京中科喜思計算機技術有限公司を設立しました。このときに驚いたのは、中国では働いている人の能力まで資産評価の対象になって、資本に組み込まれるという点でした。
その後合弁は解消し、現在は北京信思成信息技術有限公司という社名で、うちの会社が50%、私が25%、その他が25%出資して私が董事長を務めています。
奥田 例の毒餃子問題で、中国とはいま微妙な関係に入ってますが、北村さんが接している中国の人々の印象はいかがですか。