お金が湯水のように流れ出ていく!
奥田 それまでのソフトとずいぶん毛色の違ったソフトでしょう。社員たちはどうしたんですか。
梶山 増員、増員を続けました。じつは91年には、それまでの本業ソフトでは利益を出せず、赤字に転落していました。そのなかで、4-5億円の開発資金の投入でしょう、お金が湯水のように出ていきました。最終的には20億円をきれいさっぱり使ってしまって…。
奥田 プログラム準備金で積み立てた20億円がなければというのは、こういう意味だったんですか。
梶山 赤字ですから、銀行はお金は貸してくれません。融資担当者に会いに行っても、会ってもくれない。IPAや、エネルギー開発機構から多少は借りることができました。けれども、90年代は、お金が尽きるほうが先か、生産管理システムを軌道に乗せるのが先か、きわどい綱渡りの連続でした。
軌道に乗るまで10年
奥田 生産管理システム「R-PiCS」を発表したのが94年でしたね。梶山 発表にはこぎ着けたものの、こうしたソフトでしょう、おいそれとは売れません。初受注は、約1年後でした。社員から、連絡を受けた時はうれしかったですね……。
奥田 そのまま順調に立ち上がったんですか。
梶山 いえいえ、とんでもない。ああ、これで大丈夫、何とかなったと思えるようになったのは、2003年からです。バージョン3を01年に発表して、これが2年後くらいから評価されだして、うまく回転し始めました。
奥田 まさに苦節10年だったわけか……。どの業界に強いのですか。
梶山 自動車、電気、機械の3業界に的を絞ってます。いずれも世界で強い業界です。
奥田 汎用化しているといっても、カスタマイズの要求もあるんでしょう。
梶山 それはもう。日本のメーカーというのは現場が強く、ある意味でわがままです。自分たちのやってきたことに自信を持っていますので、コンセプトのせめぎ合いというのは常に発生します。教えてもらうことも多いですが、私どもも何百社というユーザーを持っていますので、教えてあげられる面もあります。そうした切磋琢磨のなかで仕事をしています。
奥田 海外進出も早かったですね。
梶山 今のところ、タイ、マレーシア、中国に進出しています。当社の立場からいえば、どうしても海外進出企業の業界の違いの影響を受けることになる。タイの場合は、自動車関連の企業が多く、順調にいっているけれども、マレーシアの場合は、電気系の企業が多く、各社苦戦していますね。電気の場合、部品は共通ですから、どうしても組み立て産業になってしまい、賃金の安い中国にやられてしまうという図式がみえます。
奥田 現在、業界におけるシェアはどのくらいなんですか。
梶山 1000万円から1億円くらいのシステムを対象にして、シェアは約15%と考えています。競合企業は100社は超えますが、シェアはトップだと自任してます。