聖徳太子はなぜ仏教にのめり込んだのか
奥田 弥生時代の作品が「日輪の神女」「持衰」「日輪の神女―紅蓮の剣」「卑弥呼の聖火燃ゆる胸(サンクチュアリ)」と4作続き、飛鳥時代の初の作品が「悪行の聖者 聖徳太子」ですか。それにしても“悪行の聖者”とはすごいタイトルですね。篠崎 出版社には、あの聖徳太子を“悪行”と形容するとはどういうことだ、けしからんという抗議がいくつか舞い込んだそうです。
聖徳太子は、通説は574年生まれ、622年に没したことになっていますが、資料を読むと実にさまざまな説があり、実在そのものを疑う向きもあります。
そうしたなかで私が書きたかったのは、なぜ聖徳太子は仏教にのめり込んでいったのか、なぜ天皇にはなれなかったのかという点なんです。その理由をいろいろと考え、近親相姦で産まれたことに対する罪の意識が仏教にのめり込む契機になったのではないかと想像しました。
ソフト製品の開発と類似点多い小説執筆
奥田 本の巻末に参考資料がたくさん載っていますね。あれを全部読まれたのですか。
篠崎 もちろんです。この説は面白い、自分なりに咀嚼して文中に織り込もうかなどと考えながら読んでいます。
じつは、この稼業を始めて気がついたんです。小説を書くということは、ソフト製品の開発と似ている点が多いことにビックリしているんですよ。ソフト製品開発では、発想、技術、感動が重要なんだと常々言ってきました。小説でも同じなんです。
発想は、他人とは違う視点で見ることが出発点になるわけです。この点はソフトも小説も同じです。技術は、ソフトでは使いやすさをいかに実現するかであり、小説では読ませるためのテクニック、工夫となります。感動については、小説なら当然で、ソフトでも使う人がこんな機能まで入っているのかと感動させることが重要なんです。そうした、発想、技術、感動の出発点になるのがデータ集めです。そのデータを元に、最初の構想を立てるわけです。そして、その構想に縛られすぎるとうまくいかない点も似ています。
私の場合、構想が固まると、書くのは早いです。高校生時代にタイプライターのブラインドタッチを覚えましたので、頭の中に浮かぶ文章をキーボードを見ずに打ち込んでいきます。そうやって打ち込んでしまったら、1か月ほどは原稿を読み返さずに、ほかのことを考えることにしています。
そうしてある程度時間をおいて読み直すと、あっ、これでは感情移入できないな、まだ60点の出来だななんていうことが見えてくるわけです。それで、いろいろと手を入れて、何とか80点まできたかなと思える時点で編集者に渡します。
ところが、厳しい編集者は、これ60点の出来ですね、なんて言ってくる。それで、どこが悪い、俺はこう思うなどとケンカしながら再度手を入れていくわけです。
この辺りもソフトの開発とそっくりです。まあ、ここまで手がかかるもんですから、私には1年に1冊が限度ですね。職業作家なら1年に4冊は出さないと食えないぞと脅かされているけど、私は1年に1冊でいいと達観することにしました。
大化改新は世界初の社会主義革命だった
奥田 次回作は誰をテーマにした、どんな作品になるのですか。篠崎 天智天皇が645年に行った大化改新は、日本というより世界最初の社会主義革命だった、ということを立証してみたいと思っています。663年には百済の復興に協力するため朝鮮半島に出兵、唐・新羅連合軍に戦いを挑み、白村江(はくすきのえ)の戦いでは、3万2000人の日本人が虐殺されるわけです。結果、日本は唐に占領される--というあたりまでが次回作のストーリーです。
その後、天智天皇が崩御し、大海人皇子が672年に壬申の乱を起こし、天武天皇になるわけです。この壬申の乱についても新解釈を提示、次々回の本でまとめたいと考えています。
奥田 遅咲きの大作家、今後のますますのご活躍を期待しています。
Profile
篠崎紘一
(しのざき こういち) 1942(昭和17)年2月17日、新潟県柏崎市生まれ。67年、早稲田大学文学部卒業、出版社「ほるぷ」にコピーライターとして入社。百科事典の職域販売で辣腕を発揮、販売事業部長に抜擢される。体をこわし同社を退職。72年、ソリマチグループのハイテクノロジー部門として設立されたソリマチに入社。常務、社長などを経て、03年社長を退任。 ソリマチ在職中に書いた「日輪の神女(ひのかむめ)」(2000年、郁朋社刊)で第一回古代ロマン文学大賞を受賞。現在、作家業に専念。日本ペンクラブ会員、日本文藝家協会会員。主な作品は、「持衰」(02年、郁朋社刊)「日輪の神女―紅蓮の剣」(03年、新人物往来社刊)、「卑弥呼の聖火燃ゆる胸(サンクチュアリ)」(04年、新人物往来社刊)、「プラチナ世代が日本を変える」(05年、新人物往来社刊)、「悪行の聖者 聖徳太子」(06年、新人物往来社刊)など。