輸出の努力もしたけれど……
奥田 ところで、日本のソフトメーカーはなぜ海外に出ていかないのか、歯がゆい思いで見ているのですが、高橋さん自身はどう考えているんですか。高橋 じつは、売り上げが下がりだした時、二つのことを考えたんです。一つは、自社生産にこだわらず、海外にいいソフトがあれば持ってこようということと、うちも自ら海外市場に打って出ようという2点です。
1996年には台湾に子会社を作り、十数人の社員を置きました。われわれのソフトを海外に販売することと、海外にいいソフトがあれば輸入させるための窓口にしたのです。
海外ソフトは、10か国くらいから持ってきました。ただ、そこそこには売れるんですが、バグなどの問題が起きた時に苦慮することになって…。うちでは直せないので、開発元に戻す。すると、対応は遅いし、なかには、「当社はワールドワイドでやってるんだ、他の国では問題は起きていないので直せない」というところもありました。自前で開発するよりも手間ヒマがかかることが分かったので、輸入は止めました。
また、うちのソフトを海外で売ることについても、難しいということを実感しました。最初は言語かな、もっとカスタマイズをうまくやらないといけないのかなと思ってましたが、どうもそれだけではないんです。理由はよくは分からないんですが、ソフトを輸出するというのは、思っていた以上に難事業だなということだけは実感しました。決して諦めたわけではありませんが、しばらくは中断です。
夢と感動与えるソフトを提供し続ける
奥田 それにしても商品点数が多いですね。高橋 いっぱい出してないと安心できないたちでして…。それに、社員から上がってくる企画をできるだけ生かしたいとも思っているものですから。
奥田 投資の配分はどのようになさっているのですか。
高橋 ほとんどは開発投資です。商品力がなければ、どんなに優れた営業がいても長続きはしないと思います。
奥田 キャッチコピーは結構過激ですね。
高橋 そこにもこだわってます。ユーザーを脅すのかといわれることもあるんですが、分かってもらうために過激なコピーで表現することもあります。
じつは、ここだけはソースネクストに学ぼうと思っていまして……。
奥田 いきなり、思いがけない名前がでました。ソースネクストに商品を流しているんですか。
高橋 働きかけは受けましたが、丁重にお断りしました。「商品とサービスを通して、お客様に“夢と感動”を提供し続けたい!」と公言しているので、この路線と、価格だけを下げて売る路線とは相容れません。
奥田 本当にロマンチストなんだ。その信念のもとに新しく画期的な商品が生まれてくるのですね。
Profile
高橋啓介
(たかはし けいすけ) 1947(昭和22)年、千葉県生まれ。商事会社を経て、72年、オートメーション・システム・リサーチ(略称ASR)設立に参画、NHKの選挙速報システムの開発で通信ソフトの基本習得。82年、インターコムを設立、代表取締役社長に就任。97年、情報化促進貢献で「通商産業大臣賞」を受賞。 独立系パッケージソフトメーカーとして発展、、「BCN AWARD」では通信ソフト部門で7年連続最優秀賞を受賞。主要製品は、端末エミュレータ「FALCONシリーズ」、通信ソフトウェア「Biwareシリーズ」、FAXソフト「まいト~く FAXシリーズ」、ASP型セキュリティ総合サービス「SHILDIAN NETservice」、総合パソコン快適化ソフト「SuperXP Utilities Pro」、データ保全対策ソフト「SmartHDDシリーズ」など多数。