「ロマン」と「ソロバン」の両立を目指す――第15回

千人回峰(対談連載)

2007/10/09 00:00

高橋啓介

インターコム 社長 高橋啓介

NHKの選挙速報システムの開発で通信を学ぶ

 高橋 ああ、そんな経緯があったんですか。この頃の私は、NHKの技術本部に派遣され、選挙速報システム開発のチームリーダーを務めていました。全国の支局から入ってくるデータを基に当確予測などを行うわけで、この時、初めて本格的に通信の勉強をしました。

 その当時のNHKのシステムはミニコンを使っていました。このミニコンだけで1000万円以上はしていた。ところが、if-800のデモを見ていると、そのミニコンと同じようなことが10分の1のコストでできるかもしれないと思えました。この時はまだ漠然とですが、パソコンの時代がくるかもしれないと予感しましたね。

 もう一つの引き金は、アメリカの小さな会社が通信ソフトを発表したことでした。その頃のASRはハードやソフトの輸入にも手を広げており、海外の企業とは結構やりとりしていました。それで、アメリカのウィンター・ヘルターという数人でやっている会社が、IBMのメインフレームコンピュータとパソコンをつなぐ通信ソフトを発表して、結構注目を集めていることを知ったんです。

 あっ、これなら私にもできるかもしれないと思いました。それに、ASRはハードウェアにも手を広げており、ちょっと違和感を感じてもいました。私自身はあくまでソフトにこだわりを持っていましたから。

ソフトはアイデア次第で個人で開発できる

 奥田 それで独立を決意するわけですか。社名のインターコムはどんな思いから決めたのですか。

 高橋 インターコムの英語表記はInterCOMです。Inter COMputer & COMmunicationの略なんです。コンピュータと通信の融合時代は必ずくる、そのなかで、通信をコアとする自社ブランドのソフトウェアを開発、販売していこうと思いました。

 などと、今では立派なこと言ってますけど、本当のところは確信があったわけではありません。漠然とした思い、フィーリングで決めちゃうことが多いんですよ。今でもそうだな…。それで何とかなってきたというのは運がよかったんでしょうね。

 奥田 ソフト、それもパッケージソフトにこだわっておられますね。それはどんな理由からですか。

 高橋 ソフトというのは、極端なことをいえば紙と鉛筆さえあれば、個人で開発できますが、ハードはそうはいきません。どうしても共同作業が必要になりますし、相当な投資も必要になります。

 ソフトなら、アイデアがあり努力さえすれば、本当に個人でも開発できます。そして、それを使った人から、便利だな、こんなことができるんだ、すごいと褒められる、この快感が忘れられないんです。

 そうした“自分のソフト”を提供するためには、パッケージソフトが最適なんです。ASR時代に、受託ソフトを開発しながら、自分のソフトを持ちたいなという思いは強く感じていました。

 奥田 ロマンチストなんだ。そういえば、ロマンとソロバンの両立が必要だともよくおっしゃってますね。独立当時、ソロバンのほうはどう考えていたのですか。

 高橋 “儲かるかな”よりも、“(ユーザーに)受けるかな”という思いのほうが強かったですね。最初に開発したソフトは、メインフレームとパソコンをつなぐエミュレータというソフトで、先に申し上げた米ウィンター・ヘルター社の亜流といえば亜流なんですが、私なりに工夫を加えて開発しました。

 絶対の自信というところまではいきませんでしたけど、それなりの自信はありましたね。創業地に選んだのは赤坂でした。赤坂で遊べるくらい儲けたいという思いがあったことは確かです。

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