異端者の典型だったショックレイ
奥田 イノベーションで思い出すのは一時期のシリコンバレーの活躍ぶりです。確かに異端者も多かったですね。
水野 シリコンバレーの産みの親の一人は、トランジスタを発明したショックレイで、彼も数奇な運命をたどっています。
1948年、ベル研究所にいたウイリアム・ショックレイ、ジョン・バーディン、ウオルター・ブレテインの3人の共同研究によって、トランジスタが発明されました。画期的な発明だったのに、当時はこれを評価する声はほとんど聞かれませんでした。まあ、技術者、研究者というのは保守的な人たちが多いし、ジェラシー混じりにけなす人が多かったといいます。商品化にも否定的な声が多く、ベル研究所の兄弟会社で製造会社であるウェスタン・エレクトリックでさえ商品化には否定的でした。
奥田 シリコンバレーはもっと自由闊達な雰囲気なのかと思っていましたが、学者の世界はどこも閉鎖的なのかもしれない。
水野 それでショックレイはベル研究所を飛び出し、自ら商品化に向けて走り出すわけです。当時、光学機器では世界に覇を唱えていたベックマンという会社が支援に名乗りを上げ、会社をどこに設立するかという段になった時、ターマンに出会います。
フレッド・ターマンは、スタンフォード大学中興の祖とされる人物で、1954年に産学協同の場として「インダストリアル・パーク」を作りました。「トランジスタ」はその目玉的事業になると読んだターマンは、ショックレイに働きかけ、インダストリアル・パーク内にショックレイ研究所を作ります。これがシリコンバレーの原点になります。
奥田 もし、ショックレイがほかの地を選んでいたら、シリコンバレーという言葉も生まれなかったかもしれませんね。
水野 そうですね。シリコンヒルになったかもしれません。で、ショックレイの元には、ロバート・ノイス、ゴードン・ムーアなど全米から若き俊英たちが参集しました。ショックレイはまず、トランジスタの原理を教え、何ができるかというアプリケーションも教えていきました。この時のショックレイの講義録は、今でも半導体工学の名著として評価されています。当時、日本でも半導体に関する翻訳本が出始めていますが、その原理を本当に理解できてた人はほとんどいなかったんじゃないかな。今、読み直してみますと、間違いだらけのことを教えてますよ。それに引き替え、ショックレイの本は、難しい数式など使わずに非常に分かりやすくまとめています。
それはともかく、いよいよ実際に商品化しようという段階になって、ショックレイと弟子たちの間に対立が起こります。ショックレイは、一番難しいP-n-P-n結合という4層構造の素子から入ろうというのに対し、弟子たちはもっと作りやすい3層構造のほうがよいと主張したんです。対立は、日に日に険しさを増し、ショックレイは当時実用化されたばかりのウソ発見器を研究室に持ち込み、一人ずつ呼び込んで本音をただすようなことまでやったといいます。
奥田 なんと、まあ。一種の狂気ですね。