常に新たなテーマに挑戦――第11回

千人回峰(対談連載)

2007/06/05 00:00

手嶋 雅夫

ティー・アンド・ティー 社長 手嶋雅夫

ゲスト:ティー・アンド・ティー社長 手嶋雅夫 VS ホスト:BCN社長 奥田喜久男  多彩な才能を持った人だ。学生時代のアルバイトで甲子園球場のビールの売り子を経験、断然トップの販売成績をあげ、マーケティングの面白さを知った。そんなことから、大学で農業土木を専攻していたのに博報堂に入社することになったそうだ。私はサムシンググッドの時代に知り合ったが、ものの見えている人だなと思った記憶がある。さまざまなビジネスを展開してきて、今はレストランの予約システム「オープンテーブル」に力を入れている。その発想法には、実に興味深いものがある。

 「千人回峰」は、比叡山の峰々を千日かけて歩き回り、悟りを開く天台宗の荒行「千日回峰」から拝借しました。千人の方々とお会いして、その哲学・行動の深淵に触れることで悟りを開きたいと願い、この連載を始めました。

 「人ありて我あり」は、私の座右の銘です。人は夢と希望がある限り、前に進むことができると考えています。中学生の頃から私を捕らえて放さないテーマ「人とはなんぞや」を掲げながら「千人回峰」に臨み、千通りの「人とはなんぞや」がみえたとき、「人ありて我あり」の「人」が私のなかでさらに昇華されるのではないか、と考えています。
株式会社BCN 社長 奥田喜久男
 
<1000分の第11回>

※編注:文中の企業名は敬称を省略しました。
 

ビールの売り子でトップの成績

 奥田 手嶋さんって、不思議な経歴の持ち主ですよね。神戸大学大学院では農学部の農業土木を専攻していたんでしょう。それが、博報堂に入ってしまった。そもそも農業土木を選んだのはどんな思いからだったんですか。

 手嶋 私は、子供時代に極貧といってもいい経験をしているんです。親父が何度か事業に失敗、そのあおりで、電気、ガスを止められたこともあります。それであまり本も買えず、地図を見ては空想をたくましくするといったような子供時代を過ごしていました。ある時、南米のパラグアイの首都であるアスンシオンは、土地は肥沃なのに水利が悪いためマテ茶しか採れないという話を読んで、「俺が何とかしてやろう」と思ったのが入学の動機でしたね。

 大学、大学院時代には非破壊試験のための超音波による波形解析などという勉強をしていました。

 奥田 アルバイトで学費を稼いで、大学、大学院を卒業されたとか。

 手嶋 大学に入る頃は、たまたま親父の事業も順調だったんですが、途中で倒産、学費は自前で稼がなければならなくなりました。それで、甲子園球場でビールの売り子のアルバイトをやったんですが、マーケティングの面白さに目覚めたのはこのバイトがきっかけでしたね。

 アルバイト先の人に聞いてみると、人によって売り上げが2倍くらい違うって。よし!記録を更新してやろうと思って研究したんです。そして分かったことは、座席の間を横に動いてはダメ、上下というか縦に動いたほうが、ずっと効率がいいということでした。後に「接点距離」という言葉を知るんですが、お客さんが「ちょっと、お兄さん」と声をかけやすい距離があるんです。上下に動いているほうが、その接点距離が短かい。現実に自分で試してみて、横に動くより縦に動くほうが、声をかけてくれる率は2倍になることを体験しました。

 次に考えたのは、カップルを狙おう、と。男は見栄を張って二人分を注文してくれるだろうと踏んだんですが、これは見事に失敗でした。じつは、当時の甲子園球場のトイレというのは汚くて有名で、女性はトイレに行くことを避けたがっているということを後で知って…。これじゃあ、ビールは売れませんわな。

 次に狙ったのは、男性の団体客。これは当たりました。4人の団体客がいるとしますと、最初は誰かが「俺がおごろう」といって4本買ってくれるわけです。そして、しばらくしてそこに行くと、今度は俺が買うと別の人が言って4本売れる。結局、4倍売れるんです。ということで、記録を塗り替えていきましたが、会社は喜んで、新人たちのトレーニングをやってくれと言われて、途中からはこのトレーニングで稼げるようになりました。現場で動き回るより、短時間に高給を稼げるようになり、マーケティングの面白さに目覚めました。

 奥田 それで博報堂ですか。

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