日本語プラス1つの外国語を――第10回

千人回峰(対談連載)

2007/05/21 00:00

志賀徹也

オートデスク 元社長 志賀徹也

DECは技術偏重があだに

 奥田 志賀さんご自身も結局、第二次リストラのときに辞められた。DECを見限る理由はほかにもあったのですか。

 志賀 チャネル本部では64ビットのAlpha(アルファ)チップも売ることになりました。この売り方を巡る本社との折衝で、DECのAlphaチップの将来に不安を感じるようになったんです。Alphaは第4世代目に入ってましたが、1世代移るのに500ミリオンドルはかかるといわれてました。チップですから、量を売らなければどうにもならないわけで、私は今グーグルの社長を務めている村上憲郎君と一緒にNEC、セガ、任天堂に売り込みをかけることにしたんです。

 本社は150ドルならといってきましたが、任天堂の提示価格は30-40ドルでした。天と地ほどの開きがある。本社側には大事なチップをゲーム屋なんかに売りたくないという思いのあることが透けて見えるんです。

 ああこれじゃダメだなという思いと、リストラ責任者として会社に残るわけにはいかないなという思いが重なって辞表を出しました。

 奥田 DECはその後、1998年にコンパックに買収され、そのコンパックも2001年にはヒューレット・パッカードに買収された。DECほどの企業が生き残れなかった原因はどの辺にあると考えておられますか。

 志賀 ひとつは、技術偏重が過ぎたということでしょうね。有名な話として伝わっているのは、マーケティング担当役員が、ブランドイメージを高めるためにフットボールのスポンサーになろうと主張したことがあるんですが、1億ドルかかると分かると、創業者のケン・オルセンはその担当者を即座にクビにして、そんなお金があるならいいマニュアルを作れ、と命じたそうです。

 直接の原因は、オープンなUNIXの台頭にやられ、パソコンにも乗り遅れたというあたりになるんでしょうが、オープンになれなかったという意味では、松下電器の申し入れを断ったケースなどは象徴的です。DECは、1980年代にはネットワークまわりで、いい技術を持ち、DECnetは高く評価されていました。この技術を使わせてくれと松下電器が言ってきたのですが、断ってしまいました。

 技術には自信を持っていましたが、それを過信しすぎて、メインフレームVAXを指向、何十億円という赤字を出したケースもあります。

 じつは、マイクロソフトのWindows NTを開発したのはDECに居た人間でした。DEC時代、VAXのOSであるVMSを開発していたんですが、VMSより一歩進んだという意思を込めて、それぞれVMSの一つ先のキャラクターを使って、Windows NTにしたというのもよく知られた話です。

 パソコン時代の到来を予測していた人間もいるにはいたけど、そうした人材をうまく活用できなかったということもいえると思います。

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