「乗換案内」でBCN AWARD 2007最優秀賞を獲得した佐藤俊和社長と対談――第8回

千人回峰(対談連載)

2007/04/02 00:00

佐藤俊和

佐藤俊和

ジョルダン 社長

 佐藤 私、なまくらなくせに、せっかちな人間で、駅のホームで待つなんて大嫌いなんです。御茶ノ水から五反田まで行くのに、どういうルートで行ったら一番早いか、時間まで分かったらさらにいいな、なんてことを考えているとき、グラフ理論が応用できるなと思いついたんです。というか、最短経路を探すというのはグラフ理論そのものなんです。

 ただ、最短経路はすぐに弾き出せるのですが、商品として出す以上、2番目、3番目の経路も示す必要がありますし、その他のアナログ情報も種々入れていく必要があり、その辺に苦労しました。

1996年に上場を決意

 奥田 株式の上場はいつ頃から考えていたのですか。

 佐藤 社員の前で公言したのは1996年でした。4月に、新入社員、また今後社員になるかもしれない人たちに集まってもらい、私の考えを話したのですが、この時、2001年1月に店頭公開すると明言しました。

 1996年というのは、同年中に乗換案内が100万ライセンスを突破することが見えており、われわれは大きな力を持ちつつあるということを実感していました。成長を確実なものにするため、組織を再編、乗換案内を担当するシステム部門、ゲーム担当のアミューズメント部門、それに出版部門をおき、社員各自はこの3つの領域のなかで一流となるべく努力して欲しい。株は社員全員に持ってもらう。一流の企業になれば、株価が上がり、ほとんど税金がかからずに、お金が10倍、いや100倍になって返ってくる、だから頑張ってほしいと訴えました。

 結果的には2年遅れましたが、2003年4月に大阪のヘラクレスに上場することができました。

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