高専プロコンの王者・井上恭輔さん(津山高専専攻科)と対談――第7回
国立津山工業高等専門学校 井上恭輔
井上 というか、先輩の不祥事が発覚、上級生が辞めていったため、結果的に私が選ばれたというのが経緯です。
奥田 第13回プログラミングコンテストは金沢で開催されたのでしたね。自信はありましたか。
井上 普通、プロコンには4-5年生が参加するんですが、私たちは2年生と1年生、だから自信なんてありませんでした。でも、精一杯の努力はしようと考えてました。KBTのコードを一から書き直し、新しい機能も追加、名前は「次世代タイピングシステムKBT」にしました。ただ、欲張りすぎて、未完成のままの参加になってしまったんです。大会当日も、デモをするかたわら、バグ修正を行うというな慌ただしさで。
閉会式では、自由部門は最後の表彰で、審査員特別賞、優秀賞の順に名前が呼ばれるんですが、私たちは呼ばれませんでした。残念、ダメだったか――と諦めた時でした。「最後に栄えある最優秀賞・文部科学大臣賞の発表です」というアナウンスが聞こえてきて、「受賞は、2番、津山高専」。思わず息を呑むというのはああいうことを言うんだと思いますが、そんな感じでした。
井上 残念だったのは、2回目の審査員特別賞でした。初めての参加で、図らずも最優秀賞をもらって、慢心していたんですね。オンデキャストでは、「情報家電の一歩先」を提案しようと思い、作業量も難易度もKBTをはるかに上回るレベルのものを目指しました。それを実現するために、予算を増やし、人員も増やしたんです。KBTは3人でしたが、オンデキャストには6人で取り組みました。
ところが、チーム作業に不慣れだった私は、全員を一つの方向にまとめることができず、最後の追い込みのところでプロジェクトは実質的に崩壊、私は「もういい、みんながやってくれないなら俺一人でやる!」と叫んでいました。企画、設計、プログラミング、ビジュアル・デザイン――と手を出し続け、ソフトそのものは会心のできに仕上がりました。ですから、今年も文部科学大臣賞は間違いなしと思っていたのですが…。
だけど、表彰式では順位が低い審査員特別賞で名前を呼ばれた。「えっ!? そのランクじゃないだろう」と、呆然としてました。大会終了後、トイレに閉じこもって一人で悔し涙を流してたんですが、会場を去る時、審査員の一人の先生に呼び止められ、「君たちの作品の完成度は間違いなく一番だった。これが何を意味するか、考えて欲しいと」と言われたことを頭に思い浮べました。
振り返ってみれば、開発だけに追われて、プレゼンテーションの準備やポスター、ブース制作などはお粗末なものしか用意できませんでした。おごらず、自分たちの作った作品を、一生懸命相手に伝える姿勢を持つこと――これが欠けていたなと気づきました。
奥田 第13回プログラミングコンテストは金沢で開催されたのでしたね。自信はありましたか。
井上 普通、プロコンには4-5年生が参加するんですが、私たちは2年生と1年生、だから自信なんてありませんでした。でも、精一杯の努力はしようと考えてました。KBTのコードを一から書き直し、新しい機能も追加、名前は「次世代タイピングシステムKBT」にしました。ただ、欲張りすぎて、未完成のままの参加になってしまったんです。大会当日も、デモをするかたわら、バグ修正を行うというな慌ただしさで。
閉会式では、自由部門は最後の表彰で、審査員特別賞、優秀賞の順に名前が呼ばれるんですが、私たちは呼ばれませんでした。残念、ダメだったか――と諦めた時でした。「最後に栄えある最優秀賞・文部科学大臣賞の発表です」というアナウンスが聞こえてきて、「受賞は、2番、津山高専」。思わず息を呑むというのはああいうことを言うんだと思いますが、そんな感じでした。
プレゼンを軽視していた
奥田 プロコン出場の2回目は「オンデキャスト(ONDECAST)-新世代トータルメディアゲートウェイ」で審査員特別賞、3回目は「windWorks-新次元ワークスペーシングテクノロジー」で最優秀賞、4回目は「Antwave-超次元コラボレーションブラウザ」で最優秀賞。すごいねー。最初の繰り返しの話になるけど、最優秀賞を3回もらってるんだ。井上 残念だったのは、2回目の審査員特別賞でした。初めての参加で、図らずも最優秀賞をもらって、慢心していたんですね。オンデキャストでは、「情報家電の一歩先」を提案しようと思い、作業量も難易度もKBTをはるかに上回るレベルのものを目指しました。それを実現するために、予算を増やし、人員も増やしたんです。KBTは3人でしたが、オンデキャストには6人で取り組みました。
ところが、チーム作業に不慣れだった私は、全員を一つの方向にまとめることができず、最後の追い込みのところでプロジェクトは実質的に崩壊、私は「もういい、みんながやってくれないなら俺一人でやる!」と叫んでいました。企画、設計、プログラミング、ビジュアル・デザイン――と手を出し続け、ソフトそのものは会心のできに仕上がりました。ですから、今年も文部科学大臣賞は間違いなしと思っていたのですが…。
だけど、表彰式では順位が低い審査員特別賞で名前を呼ばれた。「えっ!? そのランクじゃないだろう」と、呆然としてました。大会終了後、トイレに閉じこもって一人で悔し涙を流してたんですが、会場を去る時、審査員の一人の先生に呼び止められ、「君たちの作品の完成度は間違いなく一番だった。これが何を意味するか、考えて欲しいと」と言われたことを頭に思い浮べました。
振り返ってみれば、開発だけに追われて、プレゼンテーションの準備やポスター、ブース制作などはお粗末なものしか用意できませんでした。おごらず、自分たちの作った作品を、一生懸命相手に伝える姿勢を持つこと――これが欠けていたなと気づきました。