高専プロコンの王者・井上恭輔さん(津山高専専攻科)と対談――第7回
国立津山工業高等専門学校 井上恭輔
井上 大学受験の勉強するより、毎日、コンピュータの勉強がしたいと思って高専に行くことにしました。実家からは呉高専(広島)のほうが近いんですが、近いといっても通える距離ではなく寮に入らなければなりません。寮に入るんだったら、全国どこでも同じと思い、調べて見たら、岡山県の津山高専が見つかったんです。最初からソフトウェアの勉強やりたいと思っていました。
津山高専のホームページは見た目にはパッとしなかったんですが、少し奧まで入っていくと、サーバーの仕様などが事細かに書いてある。これなら、ソフトが分かっている先生がいるなと判断して、メールで問い合わせしたら、懇切丁寧に答えてきてくれました。それで津山高専を選んだんですが、いい仲間、いい先生に恵まれました。津山高専に入れて、本当によかったと思ってます。
井上 友人の誘いで、システム研究部(シス研)に入りました。ただ、当時のシス研は落ちこぼれパソコン部というか、日陰者的な存在でした。活動費も、野球部は80万円なのに、シス研は1万5000円しか認められいなかったくらいですから。
でも私にとっては、大変楽しい部活でした。1年生の夏休みの時、合宿があったんですが、毎日毎日、倒れるまでプログラミングしてました。そんなある日、指導教官であった窪田哲也先生から、「倒れるほど遊ぶヒマがあるなら、実習用のタイピング・ソフト作ってみないか」と声をかけられました。中学生の時に開発したEnglish君は、その後も改良を加えて、それなりの自信を持ってましたので、これでどうですかと先生に見せたんですが、「ダメ、ダメ」と即座に却下。先生と話しているうちに、求められるタイピング・ソフトのイメージがだんだん見えてきました。
それで、いろいろ考えているうち、ひとつのアイデアが生まれたのです。クライアント・サーバー・システムにして、練習データをサーバーで管理、個々のパソコンには練習クライアントだけインストールしておけばよい、というアイデアでした。ただ、当時の私は、ネットワークの仕組みなどほとんど知りません。私をシス研に誘った友人と二人で、ゼロから勉強しながら、3か月かけて、「次世代タイピング練習ソフトKBT」を開発しました。KBTは窪田先生の名前からとらせてもらったネーミングです。
KBTは演習室の全パソコンにインストールされ、そのお披露目に学内タイピング・コンテストが開催されたんですが、参加者はポイントの優劣に「わぁー」と歓声を上げながら楽しんでくれる。この時も、開発者の喜びを全身で感じたものです。
思わぬ副産物もあったんですよ。窪田先生から、「これ、面白い。プロコンに出てみないか」と声をかけられたんです。実は、中学生の時から「日経ソフトウェア」を読んでいて、とくに「育代が行くよ!」というプロコンの紹介記事は愛読していました。いつかはこのコーナーに取り上げてもらいたいと…。
奥田 2年生でシス研の部長になったのは、そういう背景があったの?
津山高専のホームページは見た目にはパッとしなかったんですが、少し奧まで入っていくと、サーバーの仕様などが事細かに書いてある。これなら、ソフトが分かっている先生がいるなと判断して、メールで問い合わせしたら、懇切丁寧に答えてきてくれました。それで津山高専を選んだんですが、いい仲間、いい先生に恵まれました。津山高専に入れて、本当によかったと思ってます。
2年生でプロコン参加、文部科学大臣賞に
奥田 クラブ活動は?井上 友人の誘いで、システム研究部(シス研)に入りました。ただ、当時のシス研は落ちこぼれパソコン部というか、日陰者的な存在でした。活動費も、野球部は80万円なのに、シス研は1万5000円しか認められいなかったくらいですから。
でも私にとっては、大変楽しい部活でした。1年生の夏休みの時、合宿があったんですが、毎日毎日、倒れるまでプログラミングしてました。そんなある日、指導教官であった窪田哲也先生から、「倒れるほど遊ぶヒマがあるなら、実習用のタイピング・ソフト作ってみないか」と声をかけられました。中学生の時に開発したEnglish君は、その後も改良を加えて、それなりの自信を持ってましたので、これでどうですかと先生に見せたんですが、「ダメ、ダメ」と即座に却下。先生と話しているうちに、求められるタイピング・ソフトのイメージがだんだん見えてきました。
それで、いろいろ考えているうち、ひとつのアイデアが生まれたのです。クライアント・サーバー・システムにして、練習データをサーバーで管理、個々のパソコンには練習クライアントだけインストールしておけばよい、というアイデアでした。ただ、当時の私は、ネットワークの仕組みなどほとんど知りません。私をシス研に誘った友人と二人で、ゼロから勉強しながら、3か月かけて、「次世代タイピング練習ソフトKBT」を開発しました。KBTは窪田先生の名前からとらせてもらったネーミングです。
KBTは演習室の全パソコンにインストールされ、そのお披露目に学内タイピング・コンテストが開催されたんですが、参加者はポイントの優劣に「わぁー」と歓声を上げながら楽しんでくれる。この時も、開発者の喜びを全身で感じたものです。
思わぬ副産物もあったんですよ。窪田先生から、「これ、面白い。プロコンに出てみないか」と声をかけられたんです。実は、中学生の時から「日経ソフトウェア」を読んでいて、とくに「育代が行くよ!」というプロコンの紹介記事は愛読していました。いつかはこのコーナーに取り上げてもらいたいと…。
奥田 2年生でシス研の部長になったのは、そういう背景があったの?